2014年2月28日金曜日

方策(3)


生産性向上を図る一連の過程の中で、前のエントリで記した階層的な組織構造もその一つですが、自らの責に帰さない無駄の存在は大きな障害です。単なる印象ではあります。


己の職分にのみ注力すれば十分かもしれませんが、依拠すべき礎に横臥する非生産性、理不尽は、生産性向上への推進力を鈍らせるのではないでしょうか。 そういった部分に目を瞑れるのが大人の対応かもしれませんが...

同様に、生産性向上の結果、得られた時間的、人的余裕部分に新たな非生産的雑務が躊躇なく割り当てられることは、全く日常的な光景です。”暇そうだから”、”余裕がありそうだから”といった理由で...珍しいことではありません。 
――生産性を向上させた結果、雑務を課せられる――

なかなか落胆します。

如何ともし難い非生産的な空気が充満している中では、自らの業務の生産性向上を粛々と進めるには相応の意思が必要かと考えます。そういった空気が生産性向上の意義を霞ませ、駆動にブレーキがかかってしまう危険があることは常に留意しておくべきでしょう。

さて、上述したように、創造と判断が主たる業務となる職域では組織の簡素化が生産性向上の優先すべき一策であるとしました。管理職を削減して部署の統廃合を進めるということです。

該業務は少人数グループだったり、場合によっては一人親方状態で遂行されることも珍しくありません。問題を細分化し、各々に対応する解決策を発想するのは結局の所、一人か、少数であり、そういった人的資源の管理を必要最低限に簡素化するということです。

階層的組織構造を改め、管理職という職務を削減して構造のフラット化を進めると共に、自立的に職務を遂行できる構造と権限、職責の分散・委譲が重要ではないでしょうか。

では、創造と判断を主とする業務で人的資源を削減すると、生産性はどう変化するでしょうか。勿論、該業務に投入する人的資源を削減することは望ましくありません。但し、解決すべき問題、判断すべき案件合理的に設定され、成果から高い価値が期待できることが前提です。

しかしながら、研究開発を例に挙げれば、新規事業の探索、将来の収益の柱、成長戦略の芽、業際領域の開拓、多角化といった 名目の下、既存の自社事業、いわゆる本業とかけ離れた分野にまで膨張し過ぎた事例を幾度となく見てきました。

製鉄会社の半導体、遺伝子関連事業、情報通信・電機会社のバイオ、創薬事業、日用品・ヘルスケアメーカーの電子部品、記録メディア事業への参入といった例が容易に脳裏に浮かびます。

特に製造業において、研究開発は企業のメーカーの存続と成長を左右する生命線ですが、その戦略に疑問符がつく場合が少なからずあります。

こういった業務に投入される人的資源の削減は事業の選択と集中を意味します。おそらく、緊急性が低く、将来的にも主流となり得ないテーマと優先し継続すべきテーマの取捨選択が進むこととなり、即ち、生産性は向上します。

併せて業務の根幹に関わる部分を除いた外注化も進むでしょうし、あまつさえ研究開発自体も優先度に応じて外部委託してしまおう、という考えにすら辿りつくかもしれません。

確かに、必要な技術を都度導入すれば十分との考えも、先行投資のリスクを負わないわけですから、投入資源の投資効率の点で一定の合理性は否定できません。ただ、将来の成長、存続の芽を摘むことを意味するものであり、短期的な生産性向上は期待できるものの、長期ではどうだろう、といった疑問は残ります。

典型例はAppleの製品iPhone、iPadの生産を請け負う鴻海科技集團であり、半導体を受託生産するTSMCでしょうか。自社開発に携わらず、ひたすら製造技術を磨く、一つの事業形態かもしれません。事業の永続性、事業形態の普遍性には興味を持っています。

対極は勿論、Apple Inc.であり、ARM Ltd.です。IBM、Dell、HP辺りも前二社を猛追しているように見受けられます。

翻って日系の電機電子企業ですが、事業売却と撤退についてのニュースを頻繁に見聞します。確かに生産性は上がっているはずなのですが、前向きなイメージが抱けないままでいます。創造性が感じられないためかもしれません。

生産性の低い、或は、不採算の事業売却の延長には企業そのものの吸収、合併もあり得ます。当然ですが、生産性の低い会社は存続できないということです。

まぁ、生産性が低くとも、社会の需要を満たし、要請に応えられる、若しくはその義務がある企業は存続しますが...いわゆる規制業種で、公益事業が代表例です。負担は転嫁すれば構わないというわけです。 

私自身は現時点で、投入資源を絞り込んで研究開発、或は製造のいずれかを手掛けないままもう一方に特化することに、生産性向上のための明確な優位性を感じていません。この形態が果して最適な方策か否か、判断できないでいるのがを実際です。判断には長期に渡る推移の観察が必要かと考えます。

各々の部門において、投入資源削減による創意工夫、選択と集中が競争力強化に繋がることには異論はありません。ただ一部門を全て切り離す事業形態に諸手を挙げて支持することには躊躇を覚えています。


2014年2月21日金曜日

方策(2)

全ての業務に適用可能ではありませんが、意図的な投入資源削減も一つの方策ではないでしょうか。勿論、生産される価値の目標は固定したままです。

以前、トヨタの生産現場で導入されていると、見聞した覚えがあります。


投入資源(人、時間、設備、原材料、ユーティリティ)を現状より削減して、削減前と同価値の生産物が得られるならば、見掛けの生産性は向上したことになります。この時何らかの創意工夫による改善が生産プロセスに加えられているはずです。

例えば、投入する人的資源を削減した時、時間、設備といった他の資源を増強すれば削減分を補うことができます。簡単には、残りの人員が残業や休日出勤で減少分を穴埋めするということです。この時点では当然、生産性に変化はありません。

その後この状況、即ち、個々の人員に加わった時間的負荷の増大が、例えば、生産プロセスの最適化、設備の改良(設備投資ではなく)によって軽減されれば生産性は向上したことになります。

時間的資源に関しても同様です。生産プロセスを変更することなく、より短期間で同一価値の生産物を得るには、人的資源の追加等、投入資源の増強が必要となります。生産性の向上には、生産物の価値を保ったまま、該投入資源の増大が抑制されなければならないわけです。


常套的には合理化の名目でムダ、即ち、優先度が低く、管理が容易な投入資源の過剰分、余剰分が削減されます。場合によっては、生産性向上の端緒を見出すため、生産に必須な資源であっても投入を絞ります。

素材製造のような装置産業と家電製造に代表される組み立て産業といった、業種による優先度の差は勿論ありますが、通常、投入資源量の柔軟な管理が可能であり、即応性が高い人、及び/或は時間が選択されます。設備については小さな改善は絶え間なく加えられるものの、大規模な設備投資は、乾いた雑巾を更に絞り切った後の検討項目です。

一般的な実現手段を挙げるとすれば、例えば、IT技術を活用した生産プロセスのネットワーク化多能工の養成、ロボットの導入による省力化と自動化、といったところでしょうか。

こういった手段を駆使して投入資源の無駄が排除され続けます。併せて、生産プロセス全体、及び、該プロセス構成する個々の単位プロセスの改善による、ボトルネックの解消、規格化、簡素化、共通化生産性向上が図られていくわけです。

更なる生産性向上には、生産地域の選定も含めた上記大規模な設備投資や従来技術の延長にはない新規生産プロセスの開発が必要とされます。又、既存製品からより高性能、高機能を有する新製品への生産品目の置き換えも、高付加価値の製品を生産するという意味で、生産性が向上したと捉えることができます。

この辺りから技術開発部門、研究部門の領域となっていきます。生産工程を短縮させる反応収率を向上させる触媒、環境負荷の低減、副生成物の再利用に関わる技術開発や、小型軽量、高強度、高耐熱性、高精細、高信頼性、高耐久性といった高効率、高性能を有する新規製品の研究開発です。

以前も触れましたがこういった部門での生産性向上をどう推進するかは、生産物、即ち、業務による成果の定性的評価の面から、難しいものがあります。人的資源による創造と判断が生産物の根幹部分であるためです。

上記と同様に人的資源を削減しても尚、アウトプットの価値が保たれていれば良ですが...人材が最も重視されるべき業務分野において、生産性向上のために人的資源を削減することが採るべき選択とも思えません。

効果を期待するならば、管理部門の縮小、管理職の削減による組織の簡素化でしょうか。業務の核心部分ではなく、周辺部分を削ぎ落すわけです。創造と判断が主たる業務部門において、いわゆるプレイングマネージャーならともかく、部署や部門の管理が該部門の生産性向上に大きく寄与するとは思えません。

”管理”が創造と判断による付加価値を生み出すわけではありません。勿論生産の方向性を秩序付ける役割があるのは事実です。しかしながら、階層的な組織構造が屋上屋を架す結果を招き効率を損ねてしまう多くの事例を目の当りにしてきました。

随所に評論家、批評家を発生させてしまう組織構造では、会議や打ち合わせが蔓延し、生産性向上など望むべくもありません。

 ”新規”、急務目標成果独創達成と笛を吹いたからといって上手に踊れるわけではありません。創造と判断を根幹とする業務の生産性向上には管理、統制の排除が有効な策であると考えます。


続けます。

2014年2月4日火曜日

方策

さて、創造と判断に関する生産性評価の信頼性が不確かであったとしても、生産活動は止むことなく続き、その時その時、その場その場の手法で生産性は逐次評価されていきます

ただ、そういった中で、生産性の向上に繋がらないどころか、むしろ阻害して逆効果となる事例もあったりします。一例を挙げます。

未だに継続して運用されているかは存じませんが、以前、目標管理制度と称される手法によって評価を受けたことがあります。当時、企業の研究開発部門に所属していました。

該制度は事務系技術系に依らず各部門一律に導入されたようです。各自が年毎に目標を設定、申告し、その目標に対する進捗や達成度で業務の成果が評価されました。

で、この時むしろ生産性を落しかねない力が働いていたような気がします。この制度から受ける非生産的な印象、提出書類作成のための資料収集、会議、面談に費される時間は勿論のことです。

思いつくままに列挙してみます。

1.目標に対する達成率で評価されてしまうわけですから、
  達成可能なというか、目処がついたレベルの目標まで
  しか設定しなくなります。
  極端には次期目標達成を確保するため、成果の出し
  惜しみが起こります。

2.目標に至る過程で派生した、横道に逸れた成果は、
  それが別のテーマで有用であったとしても
  軽視されてしまいます。
  別方向のチャレンジ目標と称される項目が
  設けられていたとしても、あくまで設定した
  主テーマの目標に対する達成率が優先されます。

3.目標を達成した成果の質的評価には客観性、絶対性を
  おそらく備えられないため、評価は報告書、特許、論文
  といった成果書類の件数に大きく支配されます。

4.通常、成果の評価者は所属部署の管理職となります。
  該管理職は部署内、或いは関連部署の出身であることが
  殆どです。原則として内部昇格者による
  階層型組織が形成されているわけです。
  この時、評価者として適正な能力が培われているか
  疑問符がつく場合が少なくありません。
  研究部門では、研究者としては優秀だが...
  という例は珍しくありませんでした。
  自らが功績を上げる能力と、他の成果を評価する能力は
  相関しない気がします。

その他、当事者の責に帰さない朝令暮改による目標、計画の変更、修正、中止等の事態に遭遇すると、非生産性はより強まります。


いずれにせよ、特に創造と判断が主たる業務において、生産性の評価という作業は極めて困難です。部門横断的であり、且、各部門に適切に最適化された生産性評価システムな一朝一夕に構築できるものではないと考えます。

そういった難しさを考慮しないままの不十分な制度設計では、結局、体面的、形式的な運用になり、該制度が却って生産性向上の弊害になってしまいます。


かつて民主党が与党だった当時、盛んに喧伝されたマニュフェストじゃあるまいし、己の職務と資質を予断なく鑑みれば、安易に大風呂敷を広げて自縄自縛に陥ってしまう事態は極当然に予測できるのではないでしょうか。

ただ、だからと言って生産性向上に無関心であっていいわけではありません。生産性向上を図るにはどういった方策がとり得るかを考えてみます。



続けます。