2015年5月30日土曜日

厚皮

正に民主主義の本質を垣間見た気がします。
「年寄りは死ねというのか」年金減額は憲法違反ーー全国の「年金受給者」が提訴
”謙虚”、”自律”といった語が僅かでも入り込む隙を許さない、その臆面の無さに清々しさすら感じてしまいます。

制度設計の失敗は明らかなわけです。近い将来の破綻すら囁かれているにも拘らず、全く意に介せず現役世代、将来世代にもっと貢げということなんでしょうか。

自分たちが享受してきたある意味、特権とも言える恩恵を顧みての姿勢なのかと...

年金保険料の納付率が低迷したままというのも宜なるかな、と思った次第です。
もう節約なんてギリギリだ。本当にもやしばかり食べなければいけないのでしょうか
もやしは美味しいんですがね。年金保険料を納付するためもやしばかり食べて働いています。工夫すれば飽きませんが...
そもそも、もやしと同程度の出費でかなりの食材を入手できます。
若い人たちに『年寄りは年金で食べていけるからいい』なんて、安直なことを言われたとき、すっごく腹がたちましたね。
余りに尤も過ぎる指摘に 、反論できず怒るしかなかった、ということではないでしょうか。

2015年5月26日火曜日

阿吽

強い不快感を禁じえません。

そういった言動が発達障害と診断されるなら私は思いっきり該当します。
どう向き合う? 夫の発達障害
上記NHKのリンクには放送された事例が全て上げられていませんでした。他サイトに示されていた事例も併せて示し、反論します。

1.ストレートな言動

回りくどくオブラートに包むより、率直に指摘した方が、問題を的確に捉え解決を図るには適切です。


2.変化が苦手

文房具でも食品でも、これまであった場所にないとイラッとするのは確かです。探す手間が生じますから。保管場所定まっている方が使う場合に効率的です。何らかの理由によってその場所に落ち着いたと捉えていますから、理由なく保管場所を変えたり、使用後元の場所に戻せない方が問題です。使用したい他者に対する配慮が足りないかと。

3.気持ちを察することが苦手

たとえば、妻が熱を出して辛い状態にあり、妻は夫に気がついて欲しくてマスクをして咳をしながらお皿洗いをしたとします。発達障害の人は、妻が皿洗いをしているのであれば、大丈夫だと判断をして代わりに手伝うということをしません。
発熱があることを察しろと?辛そうだが、洗い物ができる程度なのか、という判断は誤りなんでしょうか。問題は様子を覗えない、覗わないことではなく、
”風邪で辛いから洗い物を代わって”
と口にしない、できないことです。

4.一つの物事に集中しだすと他のことに目もくれず、時間を忘れてやり続ける

否定的に扱っていますが、科学者や技術者といったいわゆる理系の人間だけでなく、研究者を否定しているんでしょうか?


5.自分の決めた手順に強いこだわりがあり、例外は認めない

自分の決めた手順とは、正誤はともかく、より良いものにしよう、生産性を向上させようという姿勢が根本にあるわけです。一般常識、通常の手順、合理的理由に自分なりの考えを加えて手順を決めていると推測します。

例えば料理において、野菜の切り方は火の通りやすさだったり、調味料の順番は味の滲み込みやすさといった理由があるかと。茶碗の位置や魚の向きは常識というか通例の話です。

そういった部分も含めた自分の決めた手順を、意味なく逸脱されたら、自らの考えを蔑ろにされているような印象を抱くのは私だけでしょうか。誤りがあったり、より良くなるといった理由があれば差し障りはないと思います。

”なんとなく”、”理由なく”という部分が不快感を与えているかと。

6.正確な表現への強いこだわり

ありとあらゆるものに対してではありませんが、もちろん拘ります。

番組中、そこそこの量の肉に対して”すごい”という表現が”2kg”と発達障害とみなされた夫に改められていました。おかしいのでしょうか?”すごい”という抽象的な表現より量に対する認識を共有できると思いますが。直感的に”すごい量だな”と思えば、袋に貼付てあるラベル記載の内容量を見たり、更に興味を持てば量ってみるのも自然な行為ではないでしょうか。

全てに当て嵌めたら疲れてしまうのは承知しています。

上記のように、コミュニケーションにおいて自らの意思をできるだけ正確に伝え、意図を正しく理解してもらおうと考えれば、認識を共有している語を使おうとするのは当然です。

”すごい”、”多い”、”少ない”と、”美しい”、”かわいい”、”醜い”、上述の方は前者の語については数値化して訂正されるかもしれませんが、後者について指摘されることはないと思います。興味深い点ではありますが...

普段料理に携わらない誰かにお使いを頼んだとします。
”野菜炒め作るから豚コマ買ってきて。”
”鳥の唐揚げ作るからモモ肉適当に買ってきて。”
”ローストビーフ作るから牛ロース4人分。塊で。
不親切だなぁと思うわけです。実際に店頭で注文する、当事者意識に欠けているなぁと。頼む側は心得ているのかもしれませんが、相手の立場を慮れば正確に指示すべきでしょう。

己の意思を相手に正確に伝えるため、相手の立場に立って、客観的に、若しくは複数の同義語で表現することは、決して批判されるような姿勢ではないと考えます。

そもそも、時間、長さ、重さ、個数といった共有し得る尺度なしでは、研究、開発、設計、製造、施工といった文明社会に必須の作業に支障を来たします。


”共感性の欠如”が発達障害の一つであるASD(アスペルガー)の特徴だそうです。

かつて、文楽協会への補助金凍結の賛否を巡って、大阪市の橋下市長と作家の瀬戸内寂聴氏の間でやりとりがありました。その中で、瀬戸内氏の、
橋下さんは一度だけ文楽を見てつまらないと言ったそうですが、何度も見たらいい。それでも分からない時は、口をつぐんでいるもの。自分にセンスがないと知られるのは恥ずかしいことですから
といった発言に、決して橋下擁護ではなく素直に、傲慢さというか選民意識を感じ強い反発を覚えました。
”わからない奴は黙ってろ!”
ということかと。

見て直感的に分からないからこそ、理解しようと言葉による詳しい説明を求めるわけです。

上記”共感性の欠如”は確かにASDの特徴かもしれません。しかしながら、これを発達障害とみなして、分からないことを理解しようとする姿勢が否定的に扱われてしまわないかと強い懸念を抱いています。極端に言えば、封殺に利用されかねないということです。考え過ぎでしょうか。

ところで、発達障がいや発達障碍ではなく、発達障害との表現に何か理由があるのでしょうか。文字の選択以前にもう少し別の表現があるのでは、とも思いますが...

参考リンク


  1. 夫の発達障害|あさイチ
  2. NHKあさイチで「夫の発達障害」特集 妻が孤独を抱えて、うつ病を発症し…
  3. NHK「あさイチ」発達障害の夫に悩む妻が増大

2015年5月23日土曜日

想定

ドローンの自律機能に習って、もう少し自律できないものかと思います。

ドローンに纏わる報道が世間を賑わしています。その中で、
三社祭でドローン予告、15歳逮捕 威力業務妨害の疑い
少年は今月1日に京都市の東本願寺付近、3日に兵庫県姫路市の姫路城付近でドローンを飛ばし、「人混みで落下すると危ない」と警察から注意され、9日には長野市の善光寺で、法要行列の間に落下したドローンを操縦していたとして長野県警に指導されていた。また、国会近くなどで再三ドローンを飛ばそうとする様子をインターネットで配信。警視庁が少年を保護し、注意していた。
が耳目を集め、更に、
ドローン:善光寺や姫路城…15歳少年、支援金で賄う?
ドローン逮捕少年を「支援」 25万円提供の男性が出頭
 といった話に発展しています。少年の動画配信を促し、経済的支援をする人物がいたと。

リテラシー、倫理、道徳、未成年、情報技術、過信、立法化、不当逮捕、教育、規制と緩和、バカの可視化、煽動、メディア、無人、及び自動操縦技術といった様々なキーワードが連想されました。思ったところを記してみます。



まず、”少年”、”未成年”といった部分は切り離しても構わないと考えます。メディアが衆目を集める枕詞かと...バカはどこにでも、あらゆる年齢層にいるわけで、本件が偶々少年によって引き起こされたに過ぎない、ということです。

これまでもツイッターに代表されるSNSでバカが可視化されてきました。少年でなくても、
USJで迷惑行為を繰り返した大学生ってどんな人?
といった事例もあります。最近では、自称ネットアイドルが、都内の交番で踊ったり、 20代の男が金銭を請う物ごい行為の動画が投稿されたりしています。

この可視化は情報技術の発達に依るものですが、生産や、制御技術の普及、パーソナル化に伴って、バカがネットワーク内に収まりきらず、現実社会に漏れ出つつあるというわけです。
3Dプリンター銃製造事件
を鑑みれば、本件に未成年であることによる特異性は見出せません。

こういった騒動を引き起こす共通した原動力は自己顕示欲、承認欲求から発せられている、といった推測には概ね異論はありません。そういった力を抑制、制御できない思慮分別の無さは未成年であるが故ではない、ということです。

保護者の監護下にあって、それまで僅かな失敗経験しか持ち合わせていない年少者の場合、自らの行為の及ぼす結果を想定する力が不十分かもしれません。その結果、衝動に対し弱い抑制力しか働かず、バカが可視化されがちになる、ということも考えられますが、本質的には想定力の程度に依るのではないでしょうか。この力は必ずしも年齢のみに相関するものではないとみています。



本件で、少年であるが故という部分があるとするならば、それは自らの置かれた状況から来る疎外感ではないだろうか、と想像します。

家庭、学校、地域、社会といった集団の中で、ヒトは成長とともに徐々に馴染んでいくだろうと...言い換えれば、コミュニケーションを通じて相互に折り合い、迎合し合う能力を身に着けていくだろうということです。

穿った見方と承知していますが、
何らかの原因で集団に溶け込めず、退学と不登校、家庭内に引きこもる。
で、家族からも疎外感を抱き、自分の身の置き場を確保しようと自立を図る。
とは言っても、職業経験のない少年が糧を得る手段などそうそうなく、動画投稿による収入程度しか思いつかなかった。
動画投稿という手段の選択も、それで糧が得られるという発想も安易というか浅知恵ですが、頼らざるを得なかったのでしょう。自分のアイディアを動画にして投稿すれば稼げる、稼がなければならないと...

リアルな社会で、集団におもねらず、馴染めなかった少年は、バーチャルな空間を通じたネットワークの向こう側にいる支援者に媚を売り、且つ煽られて行動がエスカレートしていったのではないでしょうか。

この歯止めの効かない仕組には悲壮感にも似た印象を抱かせます。

 こういった事態を招かない、或いは、回避するための方策について、様々な方々が各々の立場から提案されています。

ドローン操縦の免許制、購入時の登録制導入だったり飛行区域についての規制等、ドローンに関する規制に加え、

ドローン絡みで世の中がゴタゴタしているようです
ネット事業者は未成年の将来を台無しにしていることを自覚した方がいい
動画共有サイトを通じて支援者となった大人(囲い)の対応を問うたり未成年による該サイトの利用に対する機能制限を求めたりされています。

”総合的な学習の時間”での情報リテラシー教育、道徳教育、キャリヤ教育に結びつけた話に広がっていたりもしているようです。


ドローン少年事件から、既存のキャリア教育が危ういと感じた件
では、これらの提案を実現することはできるのか、或いは実行されていたならば、本事態は回避し得たのでしょうか。同じ愚が繰り返されないための方策という点からも、効果を考えてみると、なかなか難しいのではないだろうか、というのが率直な印象です。

件の少年は難関中学に入学後不登校になっています。その後地元公立中学に転校、卒業しています。仮に学校にリテラシ教育に関する適切なカリキュラムが用意してあったとしても身についていたとは思えません。

勿論、道徳教育も含めて用意されているカリキュラムが適切とも思っていませんが...

支援者となった大人(囲い)の対応に期待するのも、風俗店で来店客が風俗嬢に注意、忠告するようなもので効果は期待できないとみています。

未成年に対する動画共有サイトの機能制限は確かに効果的かもしれません。収入の道を閉ざすわけですから。ただ、コンプガチャを規制する以上に法的根拠に乏しいような気がします。ユーザー間の投げ銭行為を規制できるのでしょうか。

更に、ドローンの飛行規制と併せて対症療法のように思えます。本件と同じ場合なら即効性はあるかもしれませんが、
IT絡みでバカが何かしでかして騒動を起こす
ことに対する根治には繋がらないということです。

以前のエントリで
乙武洋匡氏の入店拒否騒動”やSNSによるバカの可視化”について触れていますが、本件にも共通したもの感じています。それは、
リスクを想定する力の欠如
に他なりません。自らの行為が引き起こすかもしれない危険、事故、炎上、騒動といった負の事態を想定できないということです。

想定力は本来ITとは無関係です。その一方で、SNSに代表されるITによって自らの行為に関する情報が瞬時、可逆的に拡散する現在、以前にも増してリスクを想定する力が不可欠になっていると考えます。

本ドローン騒動で言えば、事の善悪はともかく、墜落や傷害事故の可能性とその危険性を想定できれば、自重、若しくは操作の習熟も含めた周到な準備に思いが及ぶかと。

従来からある、ラジコンのヘリコプタや飛行機ををどこで飛ばすか、との問には落ちても危険のない処という答えは当然のように出てきます。ドローンは特別だったのでしょうか。

おそらくここに技術に対する過信があったのかもしれません。最新の技術が盛り込まれた、自律的な姿勢制御を行う飛行体...落ちるわけがない、落とすわけがないと...

思い込みが激しく、稼ぐ必要に追い込まれている15才の少年なら、物事を全ていいように解釈していても不思議ではありません。

世界に誇る技術力と自負し、日本の優秀な研究者、技術者を含む産官学が一体となって推進してきた、原子力発電ですら、安全神話に囚われ、絶対安全と思い込んだ結果があの有様ですから....
  • 信号無視
  • 指定場所における一時不停止
  • スマホを操作しながらの運転、
等は危険行為に該当することになります。こういった行為による交通事故が耐えないことが規制強化繋がったようです。これもリスクを想定しない、できない好例です。で、規制に頼らざるを得ないと...

斯様にリスクを完全に想定するということはなかなか難しいわけですが、私達の判断、考察、言動を決定する礎の一つです。であるが故に教育の分野でもう少し目が向けられてもいいのではないでしょうか。

電子教科書、IT、道徳、リテラシー、グローバル化等の流行りに乗じたカリキュラムを課す以前の話です。与えられた事実、条件、材料、状況といった既知の情報を基に、そこから何が有り得るか、起こり得るかを想定する力を涵養する、そういった教育こそが全てに先んじられるべきと考えます。

2015年5月22日金曜日

催眠

先日、夕方のニュース番組で知りました。
「催眠療法で必ず病気治る」 誇大広告にあたるとして83歳男逮捕
昨年一年で145万円程を得ていたと...荒稼ぎなんでしょうか。

で、続いて"お中元商戦が本格スタート"のニュース。こっちの方が情報操作と扇動、同調圧力の催眠商法で荒稼ぎなんじゃ...

そんな思いがふと頭を過った次第です。

予断

――手数料が必要な場合があります――
いや、ま、自分が情弱だったということかもしれませんが、釈然としないものを感じています。

偶々、自分にとってそこそこ大金を所持することとなって、出先のATMで金融機関の口座に入金しておこうと思ったわけです。

で、イオンに設置してあるゆうちょ銀行のATMを利用して、ゆうちょと地方銀行の口座に預け入れをしました。ゆうちょの口座へは何ら問題なく預け入れができました。

その後、同じATMを利用して、ある地銀の口座に預け入れをしようとした際、冒頭のメッセージがATMの画面に表示されました。同じATMをそのまま利用したのは、該ATMには確か、
”約1500社の金融機関のカードが利用可”
といったラベルが貼付してあったためです。まぁ、他行のキャッシュカードが使えなきゃ、その旨表示されてはじかれるだろうと。

で、上記メッセージが出て、どうやら使えそうだと...この時点では挿入した地銀のキャッシュカードが”手数料が必要な場合”に該当するのか否かは伝えられていません。勿論、手数料の額もです。

ネット通販を頻繁に利用している私は、手数料が必要ならばその旨、及び、額が明示され、それらを自身の意志で承認して始めて手続きが完了するものと受け止めていました。つまり、承認しない限りどの段階でも手続きをキャンセルできると...

ところが、紙幣投入口に現金を投入、投入額が表示され、金額を確認後確認ボタンのタッチで預け入れ手続きが完了してしまいました。本手続きで手数料が必要であることも、手数料の額も明示されることなく、そのことによる取り消し操作の機会が与えられないままにです。

いくつかの予断があったことは確かです。
  • 上述のように手数料の要不要、その額、といった手続きに関わる全ての条件が明示され、それらを承認しない限り手続きは完了しない、即ち、最終の承認前ならばいつでも取り消しができるだろうと。上記”確認”はあくまで投入金額の確認という意味であって、必ず最終承認が求められるだろうと思い込んでいた。
  • 今回のような状況で金融機関の口座への預け入れ手続きをしたことがなかった。記帳のため、常に保有口座の金融機関支店に赴き店内のATMで手続きをしており、預け入れ手続きの手数料は無料が当然と思い込んでいた。
  • 口座を保有しているネットバンクでは、コンビニのATMを利用して預け入れの手続きをしており、勿論手数料の負担が無いため、口座への預け入れには手数料がかからないと思い込んでいた。
  • 他行ATMからの引き出しや振込には手数料負担があることは十分承知していたが、預け入れ手続きに手数料が必要な場合があるとは思いもよらなかった。
そういった、諸々の思い込み、先入観によって、手数料を支払って口座への預け入れをした次第です。間抜けと言われればその通りですが、何だか虚を衝かれた思いです。不親切だなぁと。額の多少は関係なく...

口座保有機関のATM、提携金融機関のATM、コンビニのATM、手続きの条件は様々、複雑ですが、利用者に取ってはいずれも同じ現金自動預け払い機です。ユーザインターフェイスの統一性向上、より丁寧なガイダンス表示を願いたいところです。


[蛇足]

ところで、イオンの、特に食品売場に佇むと己のB層度がどんどん上昇していく不安に駆られます

亜麻仁油は品切れ...テレビで取り上げられたとのこと。威力を実感しました。

気になる製品があったら試してみようと、瓶詰めのオリーブやピクルスを探してみるものの、寂しい品揃えでした。オリーブオイルならば色々並べてあったのですが...

又、なぜだか判りませんが自宅でココナッツミルクのストックが発見され、これをグリーンカレーで使い切るべく、ペーストを探してみたものの見つからず...  そもそもココナッツミルクを販売していないようなので、置いてないのもさもありなんということでしょうか。

結局、興味を引く、心動かされる食品は見出せませんでした。

健康にいい(?)として番組で取り上げられた食材、或いはコマーシャルでこれでもかと美味しさが過剰に演出された食品、テレビからのそういった商品情報の事前収集が必須です。その上で買い物に赴く、これがイオンでの購買行動の正しい姿勢なのかもしれません。

情弱には高過ぎるハードルです。

2015年5月18日月曜日

迷走

変化を嫌う、正にシルバーデモクラシーの具現化ということですか。
大阪都構想 反対多数が確実に 橋下氏、政界引退も…「維新」に大打撃
勿論、 橋下支持というわけではないのですが...橋下ポピュリズムでもシルバーデモクラシーには敵わなかったと。

まぁ、大阪都抗争による、未来の変化への不安を煽るネガティブキャンペーンが繰り広げられたように見受けられます。責任や負担を将来に先送りする、正しい民主主義の有様を垣間見た気もします。

レームダック化する一方、揺り戻しというか反動に伴う混乱や敗残兵狩りが起こるのでしょうか。それはそれで非効率です。

部外者の視点にたっての話です。問題解決のための現状変更でも変化が認められない、或いは問題が悪化した、で、更なる変更を加える、若しくは元に戻す、そういった機会が拒絶されたわけです。硬直化が進んで茹でガエル現象が現れるのか、興味深いところです。

郵政民営化とその見直し、民主党政権の立ち往生にも似た閉塞感を催させます。

2015年5月17日日曜日

道理

なんとも辛く痛ましい事件です。
ビリギャル云々で騒ぐよりもう少し目を向けてもいいのでは、と思っています。まぁ、経済効果を鑑みれば、さもありなんということなんでしょうが...

現在、容疑者である学生の精神鑑定が進められているようですが、その結果如何によって責任能力有無の話になるのでしょう。

その部分については全くの門外漢であり何ら言及できません。しかしながら、被害者となった同級生に何ら落ち度のなかったことを鑑みれば、事前に何か術はなかったのだろうかという思いが過るわけです。

これが難問であり、不可能だったとされても首肯してしまう回答であるのは確かです。ただ、だからといって偶発的な事故として不可避だった、と結ぶことには強い違和感を抱きます。

たとえ、結果論であったとしても、どうすべきだったか、何ができたかの検証は、社会の責務とも考えます。道徳、倫理についての教育、環境で何とかなったのか、カウンセリング治療でコントロールできたのか、或いは、ゼロではない確率で避け得ない理不尽な事故なのか、法の枠組みとは別の診断があってしかるべき、ということです。

福島の原発事故、JR福知山線脱線事故、数多の交通事故にしても、根底では相当程度でヒトに起因しているわけです。そういった事故と同様に本事件についても、ヒトの判断、意思決定に纏わる検証が進められることを願ってやみません。

少なくとも、国の定めた、教科化された道徳で何とかなるような話ではないような気がしますが...

普段にも増して、生産的なことが記せない、自身の腑甲斐なさを実感します。

2015年5月14日木曜日

幻滅

京料理?すっぽん?

いや、その前にまともな白飯を出すべきでしょう。春日井の和食店です。高級店ではなく、普通の和食店なんですが...

ご飯がですね、冷凍ご飯をレンジで加熱したような、で、おまけに加熱ムラがあるような、部分的に飯が押し固められた塊ばかりのご飯だったわけです。

消沈しまくりです。

私は日替わり定食を選択しましたが、同席者は天ぷら定食を注文...供されたのはフリッターかと...海老天を箸で持ち上げると弾力で大きく湾曲します。天ぷらなのか?

食事後、店外に出ると看板には”京料理”、”すっぽん”の文字が...

自宅近傍のきしめん屋、以前、昼の営業をしていた焼肉店などは昼食に訪れた時間が遅めだと、
”ごめんなさい。御飯がなくなりました。ご飯物以外でお願いできますか。”
などと言われたものです。それはそれで残念ではあるものの、特段気になったことはありません。”遅かったか。”と思う程度です。

この日は、終日気落ちしたままでした。


2015年5月9日土曜日

漫画(2)

前のエントリに引き続き”漫画”というメディアの怪しさについて記します。


単行本の購読を止めて十年以上経つでしょうか。理由は単純です。掲載されている料理を実際に作ってみて、

心が動かされなかった
に尽きます。かなり以前に気づいていましたが、惰性で購読を続けていました。”遅きに失している”と指摘されればその通りです。

同じ頃、料理雑誌”dancyu”も同じ理由で購読を止めましたが、該雑誌は漫画ではないので触れません。いずれ機会があれば...

食物の風味、美味しさは改めて言うまでもなく主観性の強い感覚です。 評価という語でこの感覚を置換し、優劣を騙って序列化することで、美味しさの価値体系を構築するわけです。

そういった手法は珍しくも何でもなく、マーケティングやセールスプロモーションといった類の常套手段です。 漫画に限らず、食べログ、飲食をテーマとしたブログ、雑誌、新聞、テレビ、ラジオのコマーシャル、ステルス的な情報コンテンツ(番組、記事)といった全てのメディアで多用されています。対象も食材、料理に限定されず、文芸、絵画、音楽、衣料、情報機器、家電、自動車、及び、それらの付帯サービス、接客等、評価に主観的要素を少なからず含む、有形、無形を問わず極めて多くの消費者向け商品に使用されている、と捉えています。健康食品なぞはあからさまかと思います。

話が拡がり過ぎました。で、美味しさという主観に基づく評価指標は、当然、座標軸がぶれます。主観に依拠するわけですから。そのため、無理矢理点数表示したりもしますが、数値の根拠は全く不透明です。

料理の美味しさを点数評価しているウェブサイトは枚挙に暇がありません。ただ、当たり前のことですが、点数評価について、たとえ運営者自身の主観的な座標軸であったとしても、それを閲覧者に向かって丁寧に説明し、認識、価値観を共有しようとするサイトは皆無です。

”美味しんぼ”では、海原雄山という権威を頂点に、味覚に関する”尤もらしい”主観的な価値体系が構築されています。話の多くは、この価値体系に、例えば、経済性、生産性、効率性といった美味しさ以外の指標を座標軸とした価値感を持つ人物が放り込まれるものです。

当然、衝突が起こりますが、最後には料理が該人物を改心?教育?洗脳?屈服?せしめると...価値観の異なる人物を海原雄山の価値体系に取り込むことによる秩序の維持が共通の大筋でしょうか。

作品中では、しばしば主人公山岡、或いは海原雄山の反骨心から、料理を手段として権力や権威を糾す形をとっていますが、コップの中の争いです。所詮、座標軸の異なる価値体系が衝突しているに過ぎません。

多様な価値体系がある中で、こういった部分に、料理とその風味を座標軸とする体系があたかも絶対であるかの如く持ち上げようとする意図を感じてしまいます。ステレオタイプを生み出す、価値観に対する優劣意識の植え付けではないだろうか、ということです。

質が悪いことに、通俗的、若しくは無意識に受け入れている、仁-義-礼-孝-忠といった倫理観、例えば、勧善懲悪だったり長幼の序をテーマに料理を織り込んで話が構成されているわけです。他のテーマとしては反戦、平等、人権、民主主義に環境保護、反科学文明、手作り礼賛、天然志向といったところでしょうか。

恰も、テレビドラマ”水戸黄門”に似た構図かと。印籠の作用を料理に担わせているわけです。

好むと好まざるに関わらず、私達の深層部分にいつしか染み込んでいる通俗的な倫理意識、これに異を唱えるには注意を要し、油断すればつい首肯してしまいます。

料理とその風味を介した、そういった価値観の植え付け、印象操作の意図を”美味しんぼ”に感じる次第です。

”ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体”   (適菜 収)
に記されている人気ラーメン店の作り方、
これは飲食の分野に於いても然りで、適菜曰く――「豚骨、鶏ガラ、魚介、30種の野菜を三日間煮込んでスープをつくりました」という鍋に水と材料をいれただけの闇市の煮込み屋のようなラーメン――でも、「これが私の作品」だの「門外不出」「拘りの」「秘伝の」などと「B層」の琴線に触れる言葉を並べさえすれば、彼らは誘蛾灯におびき寄せられる蛾のように群がり、ごった煮のラーメン屋は「知る人ぞ知る」「行列ができる」「ほんとは教えたくない」「隠れた名店」になっていくというのである。

(引用はルキウスさんのエントリから)
と相通ずるものがあります。

”美味しんぼ”も上記意図の下、
そういった処方箋を利用して話が製造されているように思えてなりません




(続)

2015年5月5日火曜日

漫画

以前、松江市で、漫画”はだしのゲン”の閲覧制限について騒ぎがありました。ことさら、蒸し返す意図はありません。

その後も、例えば、”美味しんぼ”が、”東日本大震災・福島第一原発事故に関する記述”を巡って物議を醸しました。

漫画のその描写内容についての真偽、信憑性、印象操作、偏向に纏わる批判が時折巻き起こります。

これら社会的に耳目を集めた事例も含め、”漫画”というメディアの怪しさについて思うところを記してみます。

上述の二作品に例示されるように、描写内容の真偽を裏付ける客観的根拠は乏しいわけです。それはそれで、”漫画だから”という理由で許容されてきた部分もあるのでしょう。

一方、作者に代表されるメディア側の立場からすれば、高評価を得たい、人気を博したい、売りたいといった思惑の下、作品の世界に引き込むためにリアリティを高めることが一つ手法であるのは明らかです。

漫画は創作、フィクションですが、虚構の言い換えでもあります。そこに、現実感を高めるため事実や科学的知見、実在の人物を織り交ぜ、全体が恰も事実であるかの如く印象付けると...

”実は事実ではない話”を、演出と既知の事実を組み合わせて新たな事実に仕立て上げていく、ということです。

まぁ、漫画に限らず、テレビ、新聞、週刊誌、ネットの情報等、あらゆるメディアで採られているであろう手法です。事実と公言して虚偽を流布するメディア、虚偽捏造の発覚など都合が悪くなった際、”フィクションですから”といった逃げ道を持っているメディア、どちらが誠実なのかよく判りません。

ただ、後者である漫画は読者に対して(易)しげな姿勢で近寄ってきます。とにかく、内容、意図を理解させ、惹きつけることを最優先にしているということです。勿論、漫画ですから内容の信憑性より重視されるでしょうし、又、その技法に長けているはずです。

読者側も理解できなければ、つまらなければ読みません。それで事は済んでしまいます。漫画は、その内容が読者に肯定的に受け入れられ、批判的な目には晒され難い特性があるのでは、と思っています。
印象操作、物騒な表現として洗脳の目的には、テレビと並んで好適なツールです。

一方、漫画の一語で括るにはその内容は多様であり、読者として想定される年齢層といった属性も相応して広きにわたっています。ただ、総じて少年〜青年あたりが主となる読者層ではないかと...憶測です。

おそらく知的好奇心が強いであろう、そういった若年層向けに社会、政治、倫理、思想についての、場合によっては宗教的メッセージを易しい表現で理解させるわけです。知的欲求への心地よい刺激は、価値観の摺り込みを行う格好の手段として利用される危うさを否めません。砂地に水が染み込むように...

漫画の全てにそういった意図が込められているわけではないでしょうが、全ての漫画に潜み得る恐れを排除できません。

勿論、知を獲得するという行為は決して阻まれるべきではありません。ただそこから更に、得た知見と無批判に向き合うことなく、何を考察し、どう判断するかこそが肝要でしょう。

ルキウスさんのエントリきっかけ一つとして、そういった視点で立ち止まってみました。漫画は果たして知の供給源としてその任に適しているだろうか、その責を負えるだろうか、ということです。


この問に肯定的姿勢で抵抗なく応えることは難しく、この時、払拭できない漫画の危うさを気づかされました。

少し例を挙げます。直ぐに思い浮かぶのは”インベスターZ”(モーニング,講談社)”美味しんぼ”(ビッグコミックスピリッツ,小学館)といったところでしょうか。島耕作シリーズ(モーニング,講談社)も旬の社会、政治的話題が頻繁にツマミ食いされていて、違和感を持つことがあります。


インベスターZ

投資(?)、投機(?)をテーマにしています。投資の入門漫画といったポジションを目指しているのでしょうか。小編毎に株式、FX、運用、成功、就活、起業といったキーワードに符合する話が進んでいきます。時には、実在の人物、起業家がストーリー中に織り込まれたりもします。

先日、
ウェブにおけるタイアップとステマ風ネイティブアドの境界線|やまもといちろうコラム
ネイティブアドのガイドラインが機能してくれないと、間違いなくネットの記事を一つも信じられなくなる未来が来てしまう件について
といった記事を拝読した際、媒体は違えどこの漫画もネイティブアドの一つかも、といった思いが頭を過ぎりました。”提灯点けてのか?”ということです。広告を意図したものか否かは存じません。

上記記事の一つはFX取引事業をグループ内に有するDMM.comのニュースに掲載されていたんですが...

今、FXをテーマに話進行中です。よくある失敗(損失)と成功の例、奇をてらうことを意図した小ネタ尤もらしい理由、格言、リスクとその限定策を織り込みつつ物語が展開していきます。まぁ、入門漫画の役割を担いつつ、読者の勧誘でも目論んでいるのだろうか、といった印象です。

おそらく、先日のスイスフランショックには触れることはないでしょう。話が深入りし過ぎてしまいますし、こんな危ない話は封印、封印と...

加えて教示役となる先輩、起業家といった登場人物の断定的な口調で話が進んでいきます。経験不足の人物がとった行動は(たとえ好結果だったとしても)全否定され、意表をつくような理由と、尤もらしい本来為すべき行動が唯一無二の如く示されていくわけです。
”いや、ま、いいんですけどね...漫画ですから。”
素直にこれを受け止めることができません。抵抗を感じます。もたもた記していた所、折よく、
マンガ「憲法改正ってなあに?」PDF
が物議を醸しています。
安倍首相の指示で作られた「改憲推進マンガ」がデタラメだらけであることが判明
両者の内容の真否、是非についてはさておきます。いずれ記すかもしれません。

上記漫画は典型ですが、まぁ、そういうことです。

ここまで極端であからさまであれば、意図がわかりやすく、反射的に身構えることができます。ある意味、その潔い、包み隠さない姿勢にかえって支持を集めてしまうかもしれません。それはそれでよろしくないなぁ、とは思います。

より懸念されるのは、そういった意図が、例えば、島耕作シリーズのような多くの読者を有する人気漫画に潜ませられることです。

読者に(易)しく、解りやすく近寄ってこられると...サブリミナル、フレーミング、アンカリングといった語が適当ではないとしても、先入観を利用した印象操作的な行為が可能になってしまわないでしょうか。

まぁ、”美味しんぼ”に改憲推進の意図が織り込まれることはないでしょうが...

政治、経済、社会的関心事をテーマとした漫画に目を通せば、その真偽、確度は勿論ですが、中立性、公正性、正当性、倫理性の点で、疑念を抱かざるを得ない事例には事欠きません。


(続)

2015年5月4日月曜日

延焼

更なる延焼を期待したいところです。
大森由紀子さん、こんな些末なことで物知り自慢をする前に、日本語を学び直したらどうか! ランジェリー、もとい、ブーランジェリー、もといブーランジュリ?
しばしば拝読しているブログで上記エントリがありました。”Boulangerieのカタカナ表記について、FB上の”ブーランジュリとすべき”、といった声に、
”ブーランジェリーだろうがブーランジュリだろうがどちらでもよい。それより..."
揶揄されています。まぁ、カタカナ表記した時点で是非を云々してもしょうがないなぁと...

”情熱ミルフィーユ”
の週があったことを思い出しました。”Boulangerie”より”mille-feuille”を正すのが先決ではないでしょうか。

こういったTシャツを着用されている方々に目を向ければ、正にどうでもいい話かと思った次第です。