2015年5月9日土曜日

漫画(2)

前のエントリに引き続き”漫画”というメディアの怪しさについて記します。


単行本の購読を止めて十年以上経つでしょうか。理由は単純です。掲載されている料理を実際に作ってみて、

心が動かされなかった
に尽きます。かなり以前に気づいていましたが、惰性で購読を続けていました。”遅きに失している”と指摘されればその通りです。

同じ頃、料理雑誌”dancyu”も同じ理由で購読を止めましたが、該雑誌は漫画ではないので触れません。いずれ機会があれば...

食物の風味、美味しさは改めて言うまでもなく主観性の強い感覚です。 評価という語でこの感覚を置換し、優劣を騙って序列化することで、美味しさの価値体系を構築するわけです。

そういった手法は珍しくも何でもなく、マーケティングやセールスプロモーションといった類の常套手段です。 漫画に限らず、食べログ、飲食をテーマとしたブログ、雑誌、新聞、テレビ、ラジオのコマーシャル、ステルス的な情報コンテンツ(番組、記事)といった全てのメディアで多用されています。対象も食材、料理に限定されず、文芸、絵画、音楽、衣料、情報機器、家電、自動車、及び、それらの付帯サービス、接客等、評価に主観的要素を少なからず含む、有形、無形を問わず極めて多くの消費者向け商品に使用されている、と捉えています。健康食品なぞはあからさまかと思います。

話が拡がり過ぎました。で、美味しさという主観に基づく評価指標は、当然、座標軸がぶれます。主観に依拠するわけですから。そのため、無理矢理点数表示したりもしますが、数値の根拠は全く不透明です。

料理の美味しさを点数評価しているウェブサイトは枚挙に暇がありません。ただ、当たり前のことですが、点数評価について、たとえ運営者自身の主観的な座標軸であったとしても、それを閲覧者に向かって丁寧に説明し、認識、価値観を共有しようとするサイトは皆無です。

”美味しんぼ”では、海原雄山という権威を頂点に、味覚に関する”尤もらしい”主観的な価値体系が構築されています。話の多くは、この価値体系に、例えば、経済性、生産性、効率性といった美味しさ以外の指標を座標軸とした価値感を持つ人物が放り込まれるものです。

当然、衝突が起こりますが、最後には料理が該人物を改心?教育?洗脳?屈服?せしめると...価値観の異なる人物を海原雄山の価値体系に取り込むことによる秩序の維持が共通の大筋でしょうか。

作品中では、しばしば主人公山岡、或いは海原雄山の反骨心から、料理を手段として権力や権威を糾す形をとっていますが、コップの中の争いです。所詮、座標軸の異なる価値体系が衝突しているに過ぎません。

多様な価値体系がある中で、こういった部分に、料理とその風味を座標軸とする体系があたかも絶対であるかの如く持ち上げようとする意図を感じてしまいます。ステレオタイプを生み出す、価値観に対する優劣意識の植え付けではないだろうか、ということです。

質が悪いことに、通俗的、若しくは無意識に受け入れている、仁-義-礼-孝-忠といった倫理観、例えば、勧善懲悪だったり長幼の序をテーマに料理を織り込んで話が構成されているわけです。他のテーマとしては反戦、平等、人権、民主主義に環境保護、反科学文明、手作り礼賛、天然志向といったところでしょうか。

恰も、テレビドラマ”水戸黄門”に似た構図かと。印籠の作用を料理に担わせているわけです。

好むと好まざるに関わらず、私達の深層部分にいつしか染み込んでいる通俗的な倫理意識、これに異を唱えるには注意を要し、油断すればつい首肯してしまいます。

料理とその風味を介した、そういった価値観の植え付け、印象操作の意図を”美味しんぼ”に感じる次第です。

”ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体”   (適菜 収)
に記されている人気ラーメン店の作り方、
これは飲食の分野に於いても然りで、適菜曰く――「豚骨、鶏ガラ、魚介、30種の野菜を三日間煮込んでスープをつくりました」という鍋に水と材料をいれただけの闇市の煮込み屋のようなラーメン――でも、「これが私の作品」だの「門外不出」「拘りの」「秘伝の」などと「B層」の琴線に触れる言葉を並べさえすれば、彼らは誘蛾灯におびき寄せられる蛾のように群がり、ごった煮のラーメン屋は「知る人ぞ知る」「行列ができる」「ほんとは教えたくない」「隠れた名店」になっていくというのである。

(引用はルキウスさんのエントリから)
と相通ずるものがあります。

”美味しんぼ”も上記意図の下、
そういった処方箋を利用して話が製造されているように思えてなりません




(続)

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