2014年3月16日日曜日

三色

生産性についてのエントリ、方策(4)はいずれ機が熟すのを待って仕切り直します。気分を変えるため、少し飲食について記します。

名古屋市内、及び、その近郊に限った話かも
れません。赤黄黒の二〜三色を使った派手というか目立つ看板を掲げた中華料理店が増殖しています。閉店した飲食店が居抜きで看板を掛け変えて開店することが多いようです。

比較的低価格の昼食メニューが用意されています。各々3種ほどの醤油ラーメン、豚骨ラーメンといった麺類と炒飯、中華丼等の御飯物を組み合わせた麺ランチ、とA、B、Cの3種ほどの中華定食メニューがあり、どれも一人前の分量が過剰な点が共通しています。経営は分かりませんが、調理、配膳は全て中華系の方です。

で、問題は味なのですが、ほぼ外れです。残さず食べ切ることがなかなか辛いわけです。


いくつかの例を挙げます。

炒飯が好物であるため、何人かの同席者が居合わせた際、ファミリーチャーハンという名称だったか、大皿で注文しました。本当に炒めてあるのか疑わしいような、正にミックスベジタブルの混ぜ御飯さながらの炒飯?が供され、その失望感は表現できません。又、その分量は筆舌にし難く、途方に暮れました。

上記を除き、総じて油っぽい上に油が良くないせいか、食後は胸焼けというか胃もたれがします。この時は普通の揚げ焼きそば、炒飯でした。


加えて、味も濃いわけです。揚げ焼きそばや中華丼に載せる八宝菜の醤油味も濃ければ、棒々鳥、四川風冷やし中華にかけられた胡麻ダレも濃くくどい味つけでした。濃厚という表現ではなく、口腔内がざわつくというか、デルモンテのケチャップを口に含んだ時のような感覚です。

鳥の唐揚げは一片が大きいのは結構なんですが、冷めると肉、衣が共に固くなります。こちらも濃い下味に加え、添えられた胡椒塩+マヨネーズ+ケチャップが味覚を麻痺させる如くの味濃さ...

スープについては好みによるのかもしれませんが、炒飯に添えられるスープ、醤油ラーメンのスープからは特有の肉のクセというか臭みを感じることがよくあります。一方、別の店で出されたコーンスープや卵スープは味付けが定まっていないといった印象です。全体として濃い味付けの料理の中でこのぼんやりした味付けが際立ってしまいます。重湯で付けたかのようなトロミもあまり好みではありません。まぁ片栗粉だとは思いますが...

料理を提供する側と口にする側の出身国が違えば、当然、食習慣、嗜好も異なることは理解しています。上記はその範疇の話なのでしょうか。

看板に”国家特級調理師”という資格を掲げているいる店もあります。それがどんな資格か知りませんが... 個人の印象としては、果して母国で中華鍋を振っていた経験者が調理しているのか疑問に思うことがあります。私達の好みを理解しよう、美味しい料理を提供して人気店にしよう、といった姿勢が窺えないのです。

以前、多数の名の知れたホテルのレストランで、意図的か慣習かは存じませんが、食材偽装、誤表示の騒ぎがありました。私自身、海老の区別も脂肪が注入され結着された加工牛肉か否かも、或は、解凍鮮魚かどうかも、味わいの差異に気付けないだろうと、鈍舌の自覚はあります。

その鈍舌をもってしても尚、口に運んで味わうことに抵抗を覚える料理を供する中華系中華料理店が少なくありません。

もう少し当たりの的中率が上がることを強く望んでいるものの、未だ失望は続いています。今後、期待できるのでしょうか。

2014年3月11日火曜日

落胆

かなり凹んでいます。

本ブログはblogger.comのサイトを利用して作成しています。

普段複数のPCからアクセスしているのですが、かなり旧いPCも使用しています。このPCを使ってブラウザのウインドウを多数開いた状態でblogger.comに接続してブログエントリを作成する時、場合によってはエントリの編集をクリックしても作成中の内容が読み込まれないことがあります。ブラウザの処理が追いつかないのでしょう。

この時、キャンセルストップスクリプトを選択するエラーというかアラートが表示されます。ブラウザの処理が追いつかず、作成中の内容が読み込まれないのは構いません。他のウインドウでの作業が終わり次第、逐次ウインドウを閉じていけばいいわけですから。

ただ、ストップスクリプトボタンを押下するとそれまで作成した内容が全て消去されてしまいます。

blogger.comのサーバーから作成中のエントリの読み込み処理ができず、止まってしまっているのでバックグラウンドで動作しているスクリプトを停止させるつもりで押下しました。

で、作成中のエントリの内容が消失すると...
落胆します...

方策(4)の続きを作成していたのですが、全て消失しました。

生産性について記してきた一連のエントリなのですが、この非生産的な事態に茫然としています。

――一つ積んでは...               
二つ積んでは... ――         

が脳裏を過っています。

太古の昔、Win3.1というOSで特許明細書の作成中、幾度となくフリーズし、都度打ちのめされた悪夢が甦ります。その後も度重なるHDDクラッシュに落ち込みながら現在に至っています。

学習していない、と指摘されればその通りなのですが...

ひっくり返った卓袱台を元に戻し、再び石を積み出し始めるにはしばらく時間が必要です。

2014年3月4日火曜日

信用

ビットコイン取引所であるMt.Goxの破綻に際し少し記します。 

――ネットワーク参加者がネットワーク上に構築された特定の情報で構成される価値体系を共有し該体系内で価値を認めた情報を通貨として利用する――

私の理解です。誤りを御指摘頂ければ幸いです。

上記考えは、理想としては支持できます。

国境とは無関係に、即ち、国家の頸木から解き放たれてネットワーク上に拡がる通貨システムであり、恣意的な通貨の流通操作は排除されると考えます。唯一、ネットワークに接続できることが利用の条件です。

ユーロのような地域通貨であるものの、但し、中央銀行は存在しない、といったところでしょうか。この時、地域=ネットワークです。国家の信用に裏付けられない通貨システムですから、政治的意図に基づく緩和や引き締めといった金融政策(操作)は排除されます。

情報の送受信が通貨の流通を意味しますから、多くの国に広く利用されれば、国境を跨ぐ為替、送金といった異種通貨間の諸手続きは不要になります。通貨の流通に関わる生産性が向上するということです。

問題は、果してこのビットコインそのものと関連するシステムに絶対的な信頼性、完全な信用が確保されていたか否かです。

ネットワークの参加者が全て善人であるはずもなく、不正に対し脆弱な部分の存在がシステムに対する信用を毀損し、通貨としての価値を貶めたということでしょう。

こういった国家以外を信用の拠り所とする通貨システムというものは未だ時期尚早なのか、若しくは、未来永劫本質的に不可能なのか、興味を持っています。

揺るぎない物理法則、絶対的な数学的原理に信用を依拠した通貨システムの可能性があるようにも思えます。無責任に勝手なことを書いています。

少し飛躍します。

実は私達は無意識の下でかもしれませんが、絶対的な基準というか、完全なる事実、揺るぎない拠り所というものを求めている、必要としているのではないかと思っています。上記のように何かの目的に利用することだけを理由としてではなく、です。

毎年のノーベル賞受賞者の発表において物理学、特に理論物理や宇宙物理の分野での受賞者が、とりわけ多くの人々から尊敬の念をもって称賛されていることがその証左ではないでしょうか。根拠はありません。印象です。

今回報道された、ビットコイン取引所のシステムへの侵入は、ネットワーク上で起こる不正を未然に抑えられるほど情報技術が進歩していないことを示しています。

情報技術に代表される科学技術は、私達社会の不完全さを補うほど進歩していないわけですが、一方で、科学技術の進歩に相応しく、社会が善くなっているわけではないことを改めて気付かされました。

利便性や快適性、合理性を追求するだけでなく、社会を賢く善い方向へと進めていく、科学技術のそういった役割にもう少し焦点が当たってもいいのではないかと考えます。

2014年3月1日土曜日

方策(4)


ところで、一連のエントリを記すきっかけは、下記ブログエントリでした。


このエントリの筆者は、人材育成に関わるコンサルタントの方と推定されているようです。

真偽についてはどうでもいいのですが、この”人材育成”という職務、”コンサルタント”という職業の生産性には大きな興味があります。

御本人は自身の職務と職業の生産性をどう意識し、どのように自己評価されている(いた?)のでしょうか。

人材育成という業務は何を投入資源として成果をどう評価するのでしょう。

所属組織の利益に貢献する人材を如何に短期間で育成するか、一定期間に育成した人材がどれだけ大きな価値を生み出すか、と考えてみます。

組み合わせれば単位時間当たりに生み出す価値の大きさ(=生産性)ですから、この生産性が高い人材を如何に効率よく生み出すかが、人材育成の生産性と捉えられます。

既に記したように生産性の評価は一筋縄ではいきません。特に、創造と判断が求められる業務では、適正な評価はより一層困難です。

育成により習得させた生産性をどう評価し、人材育成業務それ自体の生産性をどう評価するか、果たしてどこまで合理的な評価ができるのか興味のあるところです。

加えて、”コンサルタント”という非主体的というか、責を負わない職種の評価です。

生産性の高いコンサルタントとは助言、提案、指導を通じて
顧客に高い利益をもたらすコンサルタントを指すのでしょうか。或いは、顧客利益に左右されず口八丁手八丁、美辞麗句で顧客から高い報酬を引き出せるコンサルタントを意味するのか、興味は尽きません。


やはり、”自分の頭で”ちゃんと”考えよう”が大切かと感じた次第です。


さて、この生産性について対象を拡げて記してみます。

来月四月から消費税が増税となります。で、市中の小売店ではその後の更なる増税も見越してか、商品の価格表示を税抜き表示にする動きが散見されます。

平成十六年四月以降、原則として消費税を含んだ総額表示が義務付けられました。この義務化に伴い全国の小売店は相当の人件費、システム改修費といった経費の支出を余儀なくされました。これら資源の投入によって生産された価値は何だったのでしょうか。

確かに、義務化以前はいわゆる内税表示と外税表示の店が混在しており、瞬時には比較し難かったかもしれません。ただ、消費者の支払総額は義務化前後で変わる理由がありません。

義務化による小売側の負担増は確実にありましたし、該負担の販売価格への転嫁もあり得る話でしょう。いずれも総額表示義務化に起因しています。

今は再び税抜き表示が容認されています。元に戻しても構わないと...又、非生産的な負担を強いられるわけです。

今後更なる増税を行うつもりである、という行政側の事情による義務化の棚上げ、正に裁量行政そのもです。そんな程度の理由で義務化を翻す位なら、はなから総額表示など義務付けるべきではなかったのではないでしょうか。

消費者に総額が判り難い、といった理由も受け止め方は行政側にとってその程度であり、己の都合で簡単にひっくり返すということです。

消費税を増税しようという意思は行政側に十分にあったわけですから、こういった事態を想定できなかったはずがありません。できなかったとしたら無能過ぎますし、想定しての措置であるならば、”生産性”、”ムダ”といった考えが余りに欠如していると言わざるを得ません。




少し、脱線します。

この度の消費税増税に当たり、以下のような報道を見聞しました。
日本コカ・コーラグループが自動販売機で扱う缶入飲料を120円から130円に値上げ。
理髪店のQBハウスが、これまでのカット料金税込み1000円を1080円に値上げ。

JR東日本が券売機による鉄道運賃を増税分も含め10円単位で値上げ。カード型IC乗車券では円単位で増税分が反映されることから二重運賃に。
便乗値上げではないとされています。いや、便乗値上げでしょう。消費税の増税を機に増税分以上の値上げをすることに変わりはないわけです。解釈や線引によって咎めないということに過ぎません。

以前であれば、便乗値上げにもう少し厳しい目が向けられていた気がしますが、表だって主要メディアで咎めたり、批判する声を聞きません。かき消されているのでしょうか。

その一方で、商品販売時、”増税分値引きします”、”増税分を据え置いています”、”増税分還元します”といった表示を禁止しつつも、”3%値引きします”、”3%還元します”といった表示は許されているようです。

(厳密には消費税を5%とした場合と8%として総額から3%値引いた場合では、支払総額は一致しませんが、)
支払総額が殆ど変わりがないにも拘らず、単に表現が異なるとだけで一方が違法とされ禁止されています。頭大丈夫なんでしょうか。表現の自由が制限されているというか、抑圧的な印象を抱いてしまい不快です。


実際に支払総額が増税分以上の値上がりとなる便乗値上げに咎められない場合がある一方、支払総額がほぼ同じであるのにその表現を規制しようとする、強い違和感を禁じ得ません。


脱線終ります。



もう少し続けます。