2012年10月30日火曜日

再発

――安全性が確認された――と、活断層存在の可能性が指摘されているにも拘らず、依然、大飯原発は稼働中です。大間原発は建設工事が再開されました。 

泊原発は冬場の北海道の電力不足解消を理由に運転再開が経済団体から要請されています。更に、柏崎刈羽原発も再稼働の機会が窺われているようです。

福島原発事故の収束が遅々として進展せず、廃炉に向けての技術的見通しが不透明な中原発推進への動きが着々と進行しています。

ヒトが(他)人の痛みを共有できないとしても、あまりにあからさまな感が私には拭えません。


こういった、なしくずし的な原発推進への動きに対し、原発の運転中止や再稼働反対といった反原発運動が続けられています。(一時期ほど運動の勢いが衰えてきたのか、以前程メディアは取り上げなくなったような気がしますが...)



反原発運動の行動原理であろう原発事故の再発に対する不安、恐れが解消されない限り、この運動は止まないのでしょう。では、事故の再発に対する不安を取り除くことは可能なのでしょうか。

この問いに対し、一体どのような答えが用意されているのか、私自身も知りたいと願っています。果して今後将来、過酷な原発事故が再発する可能性は全くないのでしょうか。

福島での事故後も尚、原発の建設、運転再開といった原発推進を目論む方々に是非考えを伺いたい所です。

以前、元原発設計者であった学識経験者の方が”完全に事故のない原発の設計、運用こそが我々の責務”といったことを宣っていらっしゃるのを見ましたが、”技術者、研究者の驕り”を強く感じました。中身如何によらず、設計、運用、管理について最高の安全性が達成できたとしても100%の安全はあり得ない、とするのが技術者、研究者の姿勢ではないでしょうか。

過去を無視した将来の予測はあり得ません。将来を予測するには過去を基にせざるを得ないことになります。過去に事故が発生していれば未来永劫事故は起こらないと断言できる根拠はなくなってしまいます。


”原子力”という技術が見出され、実用に至った今日までの五十年以上の間、勿論大なり小なりの事故は原発を保有する各国で起こってきました。これまでの事故を教訓に今後も指数関数的に事故の発生確率は低減されていくでしょう。現在の1/10,1/100,1/1000...と、但し絶対に0%にはなり得ないはずです。

一方、核燃料の最終廃棄物は安全なレベルに下がるまで数万年とも10万年とも言われる間、地中深く保管し続けることになっていますが、事故の発生確率が0%より大きい場合、この超長期の間無事故を継続できる技術的根拠、確率的根拠があるとは思えません。事故の都度、技術は進歩するでしょうが、現時点で既に1/10(年)ではないにせよ1/100(年)以上の確率で深刻な事故が発生しています。


結果として原発が稼働を続ける限り、短期はともかく超長期のスパンにおいて事故の発生は回避し得ないと考えます。我国の原子力技術開発を担ってきた優秀な科学者、技術者、及び、原発を推進してきた賢い(?)為政者が、このような当然の考えに至らないはずがありません。この考えが誤りであるのか、或は、この考えの先には更なる結論があるのか、是非、有識者層がどのような”合理的”な認識を有しているかを知りたいと願っています。

今後、原発の是非について様々な立場から議論、要求、運動、圧力が続く間、少なくとも事故再発の可否に対する認識の共有はしておくべきではないかと考えます。共通の認識を踏まえ、その上で更なる議論へと深化していかなければ、永久に非生産的な対立が解消されず、時間、ヒト、モノ等の社会的資源が浪費され続けることになってしまいます。


(続)