2015年11月21日土曜日

表裏

ここ最近、NHK朝ドラ”あさがきた”を何気なく見ています。

幕末から明治維新にかけて、大阪有数の両替商に嫁いだ女性のドラマです。江戸から明治の激変期、主人公のあさは貸付先である諸藩の貸し倒れを不安視し、貸付金の回収に奮闘します。

宇奈山藩の蔵屋敷に日参、足軽部屋に押し込まれるものの居座って、一部貸付金の回収を成し遂げます。ドラマ中で、貸付金の取り立てにやりがいを感じる...返してもらえるまで居座る...

現代なら、貸金業法違反では?踏み倒しが予想できたにも関わらず、貸付の申し出に応じざるを得ない封建的時代背景があったのかもしれませんが。

いずれにせよ、正当と不当、道理と理不尽を分ける境目の曖昧さ、視点による揺らぎのようなものを感じた次第です。

これはドラマにおける女性の描き方からも感じます。朝ドラには、実在の女性の半生・生涯を題材としたシリーズが数多くあります。

ドラマの進行中に太平洋戦争戦後混乱期を含むシリーズも少なくなく、そういった作品では軍部の暴走、同調圧力が、石礫、”非国民・売国奴”と書かれたビラ、盲信的な国防婦人会による虐め、憲兵や警察の横暴といった形で具現化されてきました。戦争の理不尽さ、悲惨さ、即ち平和の大切さと厭戦・反戦を伝えると共に、愚かな為政者が国を司ることへの批判が見て取れます。

そういった全体主義時代の下で体制に翻弄される民間人の弱さ、この弱さが見る者に共感を抱かせ人気を呼ぶのでしょう。
 
ただ、現政権への配慮でしょうか。本シリーズの時代は幕末から昭和初期にかけてであり、おそらく太平洋戦争期は含まれないかと。

このシリーズでは、大阪の両替商が、大名貸しの焦げつきや、銀目廃止に伴う取り付け騒ぎで窮地に陥るわけですが、翻弄されるのは有数の両替商であって一民間人ではありません。後の政商です。

明治新政府への批判的な姿勢も憚られたのかもしれません。NHKですから。

で、”だす。”、”どす。”、”お家”、”旦那様”、”びっくりポン”、”燃える石”といった語を耳にしつつドラマを眺めていると、少子化、女性の社会進出、人権という今日でもしばしば論議を呼ぶキーワードが去来します。

この時、一体このシリーズは当時の旧習、旧弊を肯定したいのか、理解に苦しむことが少なくありません。

炭鉱事業の成功に向けて奔走する主人公”あさ”と新次郎夫婦が、なかなか子供に恵まれないことに対し、新次郎の母よのは妾を囲うことを進言...

当時から、女性が働くことと出産・育児は両立させ難かったと...えーと、その答えが妾を囲う?珍しいことではなかったとのナレーションも挿入されていた覚えもありますが、肯定したいのか。

女性の社会進出もその一因である可能性を否定しきれない少子化、この対策が”妾を囲う”...一寸、いや、断じて違います。

なんだか、”家政婦は見た”とダブる、お付きの女中とか、”お家を守る”、”旦那様”...そういった旧来からの身分制度、家父長制度を含む権威主義礼賛のような雰囲気がドラマ全体に臥していて、違和感を禁じえないでいます。

そういった違和感の最たるものが、
――相手を負かそうと武器を持つ。相手は負けないようにそれより強い武器を持つ、そしたらこっちはもっともっと強い武器を持とうとする。――

という新次郎の台詞です。九州の炭鉱で主人公あさが炭鉱夫を何とか働かせようと奮闘していた時、力ずくで物事を解決することがすべてではないことを、あさに伝えた言葉です。

ISISのテロに対する欧米諸国のシリア空爆について、NHKの思いを代弁しているのだろうか?思いが過ぎりました。

ドラマ中に反戦、平和のメッセージを織り込みたかったのでしょうか。ただ、明治維新という日本の大きな転換期において、炭鉱事業がどんな位置付けだったのかを慮れば、件の言葉も”なんだかなぁ”といった印象です。
――お前が言うか?――
石炭というエネルギーが何に利用されるのか。ドラマ中では陸蒸気の燃料として取り上げられていますが、殖産興業と富国強兵という掛け声の下、軍備増強の目的で石炭が求められていたのは間違いないところです。

当時の石炭事業はどう見たって軍需産業としての位置付けを否定できず富国強兵政策の一翼を担っていたわけです。”相手を負かそうと武器を持つ”、その礎となる石炭事業の推進にあたって、件の台詞を吐かれても...

言行不一致との誹りを受けても致し方ないのでは、と考えます。

2015年11月20日金曜日

天丼

鶴舞の定食屋で昼食を摂った時のことでした。何気に配膳された丼をちらっと見れば、エビ丼のようです。

いわゆる天丼と区別するため、海老天の天とじ丼をエビ丼と称してみます。特徴は、丼ツユで海老天をひと煮立ち、或いは掻き玉の加えられた丼ツユをたっぷりかけるため、衣がクタッーとしているところでしょうか。丼ツユの味はいわゆる天丼より薄味で甘めかと。

名古屋に隣接した市の役所近くの天ぷら屋、同市にある古びた商店街の一角にある茶屋?、喫茶店?、守山の居酒屋?、定食屋?で遭遇しました。名古屋中心部の蕎麦屋やうどん屋では、古くから営業している店であってもこれまでお目にかかっていませんでした。

そのため、該エビ丼が名古屋特有の丼、いわゆる、名古屋めしであるという確信を今一つ持てませんでした。名古屋めしとして取り上げた事例も存じません。

ただ、最近になって、西区あたりの天ぷら屋でも天丼としてエビ丼が提供されているらしいことを知りました。今回の鶴舞の定食屋訪問でも、
――ああ、名古屋の天丼はやはりこうなんだ――
と改めて認識した次第です。

 それがどうしたと問われれば、それだけの話です。別段、褒めそやす意図はありません。天丼として秀でているかどうかは別の話ですから。

2015年11月17日火曜日

反攻

ここの所、ウェブサイトをふらふら巡っていると、
日清e-めんShop
の広告が目につきます。日清食品の公式オンラインショップのようです。で、覗いてみるとですね、1DAYプライス、今月のセール、Just¥99Sale、アウトレットコーナーといった特売コーナーがあったわけです。

ダブついた在庫をメーカ直売で処分売りということなんでしょうか。食品が供給過剰状態にあることは実感していましたが...
興味深いのは、卸や小売、特に流通大手からの圧力をどのようにかわして、メーカー直売を実現できたのだろうかということです。まぁ、流通大手もPBなんてものをやりだしてNBを追いやっていますから、
――お前が言うな――
ということなんでしょう。

以前、Amazonに全農直営店が出店した時も驚きました。
JAタウン
Aコープといった実店舗ととどう共存を図っていくのだろうかと。

米価市況の変化については存じませんが、ここ数年の米価の下落はなんとなく感じています。人口減や食習慣の変化による年間消費量の減少と供給過剰、流通経路の効率化、多様化に伴う価格競争がその要因でしょうか。

米価は漸減の印象です。輸入が相当の割合を占めている、麺やパンに代表される小麦製品の価格が、ここ何年かの円安にも拘らず高騰している実感もありません。

需要が増えない中、生産性が上がれば価格が下がるのは当然です。勿論、TPP合意も下落圧力です。成長戦略?生産性が上がれば価格は下がるのは自明では。

相反するデフレ解消がどう進むのか、未だ理解できないでいます。

次元

Facebook(FB)の話です。

パリで発生した同時多発テロを受け、”パリ市民の安全と平和を願うプロフィール写真を設定しよう”と、フランス国旗のトリコロールを自身のプロフィールに重ねあわせることについての是非が巻き起こっています。
yahooニュース(個人)
「イスラーム国の衝撃」の池内先生にISについて疑問をぶつけてみた結果と、自分がトリコロールのアイコンに賛同しない理由
そういった議論が活発であるほど、何とも言えない無力感に囚われます。

その一方で、
2歳長男にたばこ吸わせた疑い 無職の父親ら逮捕
幼い息子が「タバコ吸う」動画 FBに載せた両親が大炎上、謝罪するも批判止まず
同じプラットホームにあるとは思えないこの著しい隔たりに驚きを禁じ得ません。 

2015年11月16日月曜日

異状

テレ朝だかメ〜テレ壊れたんでしょうか?

11/16(月)21:40〜22:00の間、エバラの”プチッと鍋”という鍋物のタレのCMが交互に延々と流れました。一つおきに...で、もう一方は引越社と不動産情報会社”ハウスドゥ”のCMです。

よほど枠の買い手がいなかったのか、不祥事で流せなくなったCMがあったのか...

障壁(3)

先のエントリに続けます。

さて、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)は、自由貿易協定であり、以下がその目的と理解しています。
関税、非関税障壁をなくすことで締結国・地域の間で自由な貿易を実現し、貿易・投資の拡大を目指す
そういった観点から、不透明な非関税障壁が取り除かれることを希望します。上述の農業に対する国からの補助金もある意味非関税障壁です。農業国の補助金による価格ダンピングは、価格競争力で優位となり他国への輸出圧力になります。これは言い換えれば他国から流入に対する非関税障壁にほかなりません。

対抗措置としての農業への補助金拠出がやむを得ないことは先述しましたが、非関税障壁の事例はこれに留まりません。

この不透明な非関税障壁の撤廃に向けて動きなんを進めずして、声高に”貿易・投資の拡大を目的として自由な貿易の実現”と叫ばれても、なんだかなぁといった感があります。非関税障壁は自国の事情によって、”保護と自由”を裁量で按配できますから。

極端な一例を挙げれば、
――米アマゾンやe-bayからのガソリン購入は可能になるか?自動車をワンクリックで個人輸入できるか?――
ということです。

現在、1Lのガソリンには53.8円の「揮発油税及び地方揮発油税」が課されています(内25.1円は暫定税率分。ガソリンの精製元となる原油ほぼ全量を輸入に頼っているのは言うまでもなく、いわゆるガソリン税は見方によっては関税ともみなせます。更に、消費税との二重課税になっている部分に目を向ければ質が悪いなぁと。二重課税の合理的理由も存じません。

物流に関わる情報技術は、自由な貿易の実現による恩恵を消費者が直接に享受できるまでに進歩しています。米アマゾンからガソリンが販売されることを強く希望します。

ちなみに、ガソリンを米アマゾンから購入するということは、個人レベルの消費量を輸送するという意味ではありません。ガソリンを入手できる商品券のような権利を米アマゾンから購入するということです。図書カードやデパートの商品券、ビール券と同様な証券がガソリンにあってもいいんじゃないでしょうか。それを購入して国内のスタンドから給油するといった枠組みの話です。

元々手掛ける気は毛頭ありませんが...――自動車の個人輸入――少し調べてみましたが、代行業者が存在する程度の、かなり手間と費用が必要のようです。

運送費、右側通行仕様から左側通行仕様への変更費用はともかく、ローカライズやその検査費用...非関税障壁と受け止められなくもありません。自由な貿易の実現には未だ遠い道ではないでしょうか。

2015年11月15日日曜日

催事

時折、アピタで買い物をします。で、お客様感謝デー?、UCSカード会員さま 特別感謝デー?だったかに行くこともあるのですが、その度に気分が滅入るというか、不快な場面に遭遇します。

特段、アピタ特有という事ではないはずですが、妙に印象に残っています。思い起こしてみると売り場の効率の悪さに由来しているような気がします。スムーズに買い物ができないことにイラッとしているのかも。

そういった催事(?)の日の午前中は駐車場も満車で空き待ちの列を作ることもあるようです。掲示がありました。で、来店客の店内の滞留時間が長ければ入れ替わりは進まないだろうな、と...効率良く買物ができれば店と客、双方に無駄な滞留時間がもう少し短縮できるんじゃないかと思った次第です。

根本は、店の規模、通路、ショッピングカート、子供用カートの幅、大きさのバランスが悪すぎ、ということに尽きると考えます。これに催事特有の試食コーナー、来店客の民度なのかモラルが触媒となって苛つきを増幅させるわけです。

店内の通路幅に比して、ショッピングカート特に子供用カートが大き過ぎてすれ違えない場所があります。通路の交わる辺りは、行く手を阻むかの如く、一時的な特売品が山積みされていたりして対向客との交互の通行を余儀なくされます。

通常でもこの有様です。上記催事日になると更に試食コーナーが設けられるわけです。至るところに...

方々で鳴り響く試食を勧める声が気に障らないわけではありませんが、それよりそこに群がる客をもう少しなんとかできないのか、と滅入ります。正確には通路中央に放置されているカートと、そうやって通路を塞ぐことに何ら思いが及ばない試食客の態度に失望することしきりです。

友人だか知り合いの二人がそれぞれ押しているショッピングカート、或いは、親子がショッピングカートと子供用カートを通路に放置して試食テーブルに向かう...
”他の客の通行を阻むほど大したもんじゃないから”
口には出ていないと思います。

他にも主はどこに行ったのか、商品満載で通路中央に放置されているカートはよく見ます。夫婦は通路中央で商品を指さし品定め、こっちの女性客達はカートを脇に立ち話...さして広くない通路を自分たちが塞いでいるという意識が持てないのでしょうか。滅入ります。一部呟いてしまったこともありました。

後ろを確かめず後退、周囲を見ずにUターン、商品に目を向け、脇見したままカートを押し進んで対向する客を全く避けない、譲らない、自動車であれば大惨事続出です。この辺りはどこのスーパーでもよく見かける光景ですが...

おそらく、上述の通路の狭さとカートの大きさ、試食コーナー、混雑具合、そういった諸処の要因が相互に組み合わさって、アピタ店内の動きにくさを際立たせているのでしょう。多くの来店客で賑わったとしても、”滞留時間を長引かせるだけで効率良くないなぁ”が素直な印象です。
ファミマとユニー、統合合意でも待つ障害
最大の課題は総合スーパーの不採算店閉鎖にある。佐古社長は約230店の2割以上に相当する「最大50店閉鎖」との一部報道については否定するが、「(閉鎖は)是々非々で考えていく。契約満了や継続的な赤字が続いている店舗もあり、これを機に集中と選択を進める」と話す。実際、「前期末では経常利益段階での赤字店舗が4割に達している」(ユニーグループ幹部)としており、水面下では数十店規模での閉鎖を予定しているようだ。
なんとなく頷けてしまいます。イオンに負けじと対抗していこうということでしょうか。でもまぁ、そもそもイオンが...

その後バローの某店舗に立ち寄ったのですが、その閑散とした清々しさといったら...実に心地よいものでした。広い通路を縦横無尽に動き廻ることができる、自由を満喫致しました。ありがたい話です。いや、決してバローが流行っていないということではなく...平日の中途半端な時間だったからなんですが。


付記

ところで、陳列棚から商品を手に取り品定めして、価格、消費期限、品質だかの理由でしょうが、不要とみるや商品を戻のに放り出すような光景をしばしば目にします。概して六十代以上の年齢層で性別問わず見かけます。


”食物を粗末に扱うな”といった注意を、子供時分に耳にした憶えがあるのですが...自身が購入品ではないから関係ない、ということなんでしょうか。

勇気

勇気があったら...

以前のエントリで、某食品メーカの釜飯の素について記しました。自宅のIH炊飯ジャーを使用して釜飯を炊いた処、ソレはもう何とも不味い代物が出来上がった話です。食品メーカや炊飯器メーカに問い合わせて一応の理解を持ち、機会があれば再度試してみると...

実は、機会があって二度ほど該シリーズの釜飯の素を使いました。但し、炊飯用の土鍋で炊きました。問題なく、上手くできあがったわけです。

現時点で、箱裏の能書きに
※IH炊飯器では美味しく炊けません。土鍋を使用して下さい。
の一文が加わっています。私の脳内で...

で、再度慎重に”よくかき混ぜ”てIH炊飯器で炊くかです。二の足を踏んでいます。臆病者です。上手い方法が見つかったのに、あえて挑戦するか?

いや、失敗はいいんですが、あの忌まわしい食物を再び片付けなければならないことを想像すると...

勇気が欲しいです。覚悟でもいかもしれません。

2015年11月13日金曜日

障壁(2)

前のエントリから続きます。

翻って農業分野を鑑みてみた時、果たして日本の行政府は、自国農業の持つ課題を解決すべく真摯に取り組んできたのだろうか、疑念を拭えないでいます。

件のTPP合意に関連し、日本の果物の安全性、美味しさを自賛し、果物の輸出拡大に活路を見出すべき、といった論をしばしば目にします。ドバイやシンガポールの富裕層に、自国内消費者からは信じ難い高値でスイカ、メロン、桃を売る...果実生産者の一部は生き残るでしょうが、違和感を抱きます。果物という嗜好品の輸出で国内農業の衰退が食い止められ、成長産業化が可能なんでしょうか。少なくとも食料の国内自給率に象徴される食料安全保障の状況は、さらなる輸入食料の流入で改善どころか弱体化が進むのでは、と危惧します。

工業製品と同列の比較が適当というわけではありませんが、例えば強引に自動車産業と対比してみます。日本国内の自動車市場は、乗用車分野では輸入車が一定の割合を占めるようになって久しく、今後もこの傾向は変動があったとしても続いていくでしょう。”人や物資を輸送する”といった機能以外の部分、例えば、走行性能、所有欲、個性、見栄といった嗜好や趣味が車種選択に影響を及ぼしますから。消費者から選択の多様性も求められています。

ところが、輸送や移動といった自動車本来の機能が優先される、トラックやバス等の商用車については国産車のほぼ独占です。

需要が消費者の嗜好に依存するフェラーリやポルシェといったスポーツカーメーカだけで当該国の自動車産業は維持できるのでしょうか。やはり、商用車メーカーとしてのVW、メルセデス、フィアットがあっての自動車産業ではないだろうか、ということです。

諸外国の富裕層向けに上質な果物を高値で輸出、というのはなんとなく農産物のフェラーリやポルシェを目指しているんじゃないか、と連想させます。このことを否定する意図は毛頭ありませんが、商用車に対応する、自国内の穀物、野菜、酪農、畜産といった基盤となる食料生産を蔑ろにして、高級果物の輸出生産が成り立つものなんでしょうか。

果物という嗜好品の輸出で稼いで、主食や飼料とる穀物、畜肉を輸入する...釈然としません。”だからこそ、備蓄と国際友好、平和外交を...”という声を理解できなくはありませんが、想定から目を逸らして
―― 全電源喪失はありえない――
で、福島原発はどうなったか、という話でもあります。

それじゃどうするんだ、という話になるわけですが、国内農業の生産性向上を図るのは当然として、やはり補助金政策に頼らざるを得ない、と思っています。

消極的ですが補助金農政を肯定する、ということです。ダンピング価格で流入する輸入食料には対抗ダンピング以外に方策があるのでしょうか。ある意味チキンレース、消耗戦であるのは否めませんが...

だからといって、既得権化した従来制度の延長に対しては全く支持できません。
田舎移住した人を待ち受ける落とし穴
両親が過疎地に移住しました。
「過疎地に若者を呼ぶにはまずそれだけのメリットを与えなければならない」という現実 対する画期的な案

問題の根幹は、こんな処にあるような気がします。TPP絡みの農業支援としては、

TPP対策 農業支援「15年以上」 政府・与党素案 牛肉配慮し長期間に
牛・豚肉、赤字の補填割合9割に 自民、TPP対策
といった報道があるわけですが、ガット・ウルグァイ・ラウンド合意時の経験は織り込まれているのでしょうか。

該合意時に拠出された莫大な農業合意関連国内対策事業費、行政の無謬性を自覚した上でこの費用対効果の検証を糧とすべきです。単に赤字の補填では...国内農業の生産性向上をどのように図っていくか、ここに合理的なビジョンが示されない限り同じ愚の繰り返しです。


明治政府の”富国強兵”、”殖産興業”以降、戦後高度成長期の”兼業農家”、”三ちゃん農業を経て現在に至るまで、労働力を工業へと振り向ける政策が採られてきたように思います。その流れは未だに歯止めがかからず、離農率や耕作放棄地の増大に繋がっているわけです。

以前、TPPに対する是非論が闘わされていた頃、NHKの朝ドラ”花子とアン”が放送されていたかと。このドラマで描かれていた、日本農業の源流である明治〜昭和初期の貧農の姿を見て、生業としてではなく産業として日本の農業には可能性はあるのだろうか、ぼんやりと思いが過ぎりました。

勿論、時代は全く異なり、当時とは様変わりしていることは承知しています。ただ、当時の地主-小作農の関係は早期に会社形態の農業組織を実現する機会となり得たはずです。厳しい封建主義的関係から脱し、上手く近代化されればの話ですが...こういった農業組織が現代に引き継がれていれば、今ほど農業は衰退しなかったかもしれません。勝手な想像です。

現実には、戦後、GHQの強い力による農地改革で、農地は小口に分割され各々の元小作の所有となったわけです。系はエントロピーが増大する方向に進みます。農業の生産性向上の一策として農地の集約を考えた時、GHQの強制力で分割離散した農地を再集約するには、該強制力以上の強い力が必要でしょう。バラバラにするのに要した以上の力でなければ集約させまいとする抵抗力に打ち勝てません。GHQ以上の力?難しい話です。

この難しさ、実現可能性の低さが農業への補助金拠出に対する拒否反応の根源になっている気がしなくもありません。


(続)

2015年11月3日火曜日

販促

巷間、横浜傾きマンション問題の話題で持ちきりです。収束の兆しは一向に見られません。

一方、ネット上では密かにステマの疑念が払拭できないノンクレジット(広告主の名前を表記しないこと)広告の話題が、こちらも依然燻り続けています。下記は代表例です。
ベクトル社が名指しステマ記事にホームラン級にアレな反論をして広告業界大困惑の巻
思ったところを少し。

広告は物品、サービスといった商品の販売側が売上を上げるための手段です。ところが、売り手側からの商品の情報提供はしばしば誇大広告になりがちで、商品の価値が底上げされています。様々な媒体に掲載された広告による商品選択、消費活動を通じて、消費者側も売り手側から発信される広告の欺瞞性をなんとなく感じ取っているわけです。

そこで、ウェブ上だけでなくテレビ、ラジオ、雑誌といったあらゆる媒体で、消費者側からの声、いわゆる口コミや、専門家と称されるライターのレビュー、比較記事が重用され、広告としての役割を担わされるようになってきています。

使用者としての評価は購入者の側に立った有用な情報、専門家としての評価は客観的な情報であり、商品選択、購入の判断に大きな影響を与えます。

で、こういった情報の発信者と販売側に何らかの金銭の授受があった場合には、情報の真偽、信頼性如何に関わらず、当該情報にはその旨表示せよ、という話です。

この時、風味、面白さ、洗練、格好といった主観に基づく評価はともかく、計測可能な仕様情報の提供に対してすらそういった扱いが要求されるのだろうか、との思いが去来しました。例えば、長さ、重さ、速さ、時間、温度といった客観評価には恣意性は込められないんじゃないかと...

例えば、上記エントリ中でリンクされている、
【ステマ症候群:拡大版】iPhone商戦の陰で広がるステマ記事発注の舞台裏
では、
記事の書き手は、東京メトロ銀座線の各駅で、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクという通信3社それぞれのiPhone6sの通信速度をアプリで計測。その結果、銀座線の19駅のうち13駅においてau(KDDI)が勝利したと調査結果を掲載している。
とあるのですが、誰が測定しても同じ値となる測定法を採用しているならば問題ないのでは、と思った次第です。広告主であるKDDIでも競合となるドコモ、ソフトバンクのいずれが測定しても測定値の優劣に揺るぎがない、そういった客観的手法で得られた、事実を用いた記事ならばノンクレジットでも容認できるのではないか、ということです。

とは言うものの、理想に過ぎない話でしょうか。昨今の様々な企業不正を鑑みれば、測定値ですらその信憑性に疑問符を付けざるを得ないのが実状です。測定値の改竄、流用(旭化成建材杭打ち問題)、不正ソフトによる規制クリア(VW排ガス不正)などが明らかになっていますから。

不正とは断定されずとも、評価に際し、”当社比”従来比”同クラス内での比較当社測定による、等の枕詞は頻繁に目にします。さすがに、数値で表示される評価で”個人の感想です”といった注釈を見たことはありませんが...

いずれにせよ、企業倫理の問題に行き着く話です。ステマだとか誤認といった欺瞞的な広告以前の不正事件が頻発している現状です。違法ではないノンクレジット広告、ステマを自粛すべきと認識する、そういった誠実さを企業にどこまで期待できるのか、疑念を拭えないでいます。 

2015年11月1日日曜日

従順

江戸末期のええじゃないか騒動を連想させる一方で、平和な民主主義社会の一側面を象徴しているのかもしれません。
ハロウィーン 渋谷
【速報】渋谷駅カオス!ハロウィンで完全に制圧される!DJポリスもただの「DJ」になってしまう!
ルキウスさんのエントリ、
ロイ・アンダーソンを考える
では市場原理主義=刹那主義について記されていますが、この刹那主義的要素は、実は民主主義にも内包されている、そう思えてなりません。

”その場に居合わせたみんなの合意”に基づく民主主義は、刹那主義でもあるわけです。おそらく民主主義の無謬性のようなものがあって、合意に対する賢愚、是非、善悪の判断をさておいてしまうような気がします。

不利益は他国や後世に追いやるということです。

ところで、渋谷スクランブル交差点辺りの中継映像を見ていて、先日のSEALDs含む安保法案反対のデモの比ではないなぁ、と素直に思いました。権威に対する従順さは真逆かもしれませんが。

ハロウィンの群衆と該法案への支持不支持が繋がる理由はありませんが、社会のマジョリティはそういうことなんだと。改めて実感した次第です。

暴動の一つも起こってもおかしくないあの群衆が、概ね粛々と警察の指示に従って行動している、というのも不思議ではありました。羊と羊飼い、牧羊犬の関係を連想させました。至るところに糞を撒き散らす(ゴミを散らかす)マナーの悪い羊であっても羊飼いには従順でした。

そういった羊の群れあの宰相を擁する社会を選んだ、受け入れたのか、或いは連綿と引き継がれたそういった社会が羊の群れを生み出してしまったのか、興味は尽きません。