2016年9月5日月曜日

権高

――判決は放送法64条の受信設備の設置についての解釈を誤ったものと理解しており、直ちに控訴します――
に対するNHKの対応です。

 「ワンセグ機能付き携帯電話での受信契約に係るさいたま地裁判決」について
強い反感を抱いています。以前のエントリで記した通り、ワンセグ受信機能付きガラケーの保有のみでNHKとの受信契約を求められた実例を知っていますから。勿論、テレビを所有せずとも、です。

ワンセグ受信機能のある携帯電話やカーナビを持つだけでNHK受信料の支払い義務が生じる...全くもってその論拠を理解できません。

自分が支払っている受信料のわずかであっても、それが本訴訟関連費用の一部に充当されてしまうことは、憤懣やるかたない思いを去来させます。全く不本意に上記地裁判決を否認する片棒を担がされているわけですから。地裁判決とはいえ真っ向から司法の判断を誤りと指摘するその独善的姿勢に強い反発を覚えます。

行き着くところ、最高裁判決まで出て”主張が認められなかったのは残念”という形になるまで正当性の主張は続くのでしょう。で、”支払い義務なし”という判決に対し”やむを得ない”という姿勢で応ずるものと予想できます。つまり、
断じて自らの誤りは認めない、正すつもりもない
いうことです。正にそういった部分に、皆様のNHKの根幹にある中立を装った無謬性を認めることができます。

例えば、NHKのサイトでは放送倫理の確立に向けてには、放送倫理基本綱領として、
放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない。
とあり、NHK倫理・行動憲章/行動指針には、
NHKは、公共放送として自主自律を堅持し...
と記されています。

本件、ワンセグ受信機能付き携帯保有者に対する受信料支払い義務の是非について、多くの角度から論点が明らかにされているのか、公共放送としての自律機能は働いているのか、”言行不一致以外の言葉が見つかりません。

放送法、番組基準、放送倫理、ガイドラインに倫理・行動憲章/行動指針...どんな文言でも構いませんが、大上段にというか、臆面もなく”不偏不党”とか”自主自律”などと宣ってしまうと...

それが一人歩きを始め、是正されないまま暴走せざるを得なくなってしまいます。様々な規定で”不偏不党”、”自主自律”を自負しておりそれが遵守されているはずだから、自分達に誤りはない、間違っているのは相手であり、司法であると。独善的体質に陥っているとみています。

それは是正し得ない公的組織の体質かもしれません。近代以降、公益を目的とした”官庁、公共団体”に、幾度の失敗も糧とすることなく未だ受け継がれ続けてきているやに思います。

その後、更に燃料投下...

高市総務大臣、ワンセグ付き携帯電話はNHK受信料の対象との見解を示す
ここにも無謬性は余さず発現されています。最終的な司法判断は仕方なく(事務的に)受け入れられても、価値観の是正、その判断の依拠する価値観に自らのものを差し替えることは不可能です。余計な発言などしなければと思うわけですが、資質の問題なんでしょうか。