2020年10月30日金曜日

不平

どうにも得心がいかない、というか不快感を抱かせる雑事がありました。ドコモの名義変更の件といい、苛立たせる事態が続きます。

根本的に事務手続きの適性が欠けているのでしょうか。備忘録として記します。視点に客観性が足りない部分があればご指摘頂けると今後の糧になります。

ここの処、銀行口座への振込手続きはインターネット銀行でしか行っていませんでした。振込や引き落としのための口座への入金はコンビニATMを利用しています。勿論、リアルの銀行口座からの引き落としもありますから、そちらの口座への入金も銀行支店外のスーパーや公共施設に設置されたATMを使うことが殆どです。

で、偶々、地元の信用金庫にある口座宛に振込の必要が生じました。その信用金庫は自宅から徒歩五分ほどの所に支店が在り、身内が口座を保有していたため通帳とキャッシュカードを携帯して該支店に赴いたわけです。ただその口座は以前月々の何かの引き落とし用に開設した口座で、行った手続きはこれまで入金のみで出金をしたことがなかった、まぁ、半休眠口座でした。設定した暗証番号が不確かな口座ということです。

予定の手続きは該口座に一旦入金し、その口座から指定口座に振り込む、その際、振込者と口座名義人は異なるため振込者名と電話番号を変更して、というものです。

この一連の操作において、誤った暗証番号を入力した場合のATMの応答というかシステムの対応が不快感を催させた次第です。伝えられた暗証番号が間違っていたことがきっかけではありますが原因はそれではありません。

一回目 入金操作

入金ボタンを押下、キャッシュカード挿入、(誤った)暗証番号入力、通帳挿入、現金入金...問題なく完了。(問題なく入金できましたから暗証番号が誤っていることなどツユほども思いませんでした。)

二回目 振込操作-1

振込ボタンを押下、キャッシュカード挿入、(誤った)暗証番号入力、振込先口座情報入力、振込金額入力、情報を確認して振込者と電話番号を訂正、振込実行ボタン押下。(暗証番号入力後、振込情報が正常に入力できましたから、暗証番号が誤っていることなどツユほども思いませんでした。)

三回目 振込操作-2

再び暗証番号の入力が求められ、(誤った)暗証番号入力。(ネット通販などでログイン時、決済時と二、三度のパスワード入力を求められることはよくあります。暗証番号が誤っていることなどツユほども思いませんでした。

四回目 振込操作-3

”もう一度暗証番号を入力して下さい”との表示が出て再度(誤った)暗証番号入力。(ネットの会員サイトでアカウントを取得する際、パスワードを二度続けて入力させられることは珍しくありません。暗証番号入力要求の繰り返しに、僅かに”?”と思いながらも、暗証番号が誤っていることなどツユほども思いませんでした。

その結果キャッシュカード、通帳と共に
このお取引は成立しておりません。パスワードが間違っています。やり直して下さい。

と印刷されたご利用明細が出力されました。それでようやく暗証番号の誤りに気づき身内に連絡、次の確からしい暗証番号が伝えられたわけですが、その時点でキャッシュカードが使用不能に...誤った暗証番号を4回入力したことが理由とのこと。

勿論、窓口で問い合わせました。結局、キャッシュカードを再発行する以外手段はなく、それには手数料が必要とのこと。ナンダソレ?

一体、どの段階で暗証番号が違っていることに気がつけるのか、自分の落ち度がどこにあるのか理解できません。キャッシュカードが最初の暗証番号入力で拒絶されたのであれば頷けますが。

信用金庫側が云うには、四回目の暗証番号入力の際、画面の左下?右下に暗証番号の相違云々と表示されているはず、とのこと。表示されていたか否かすら覚えていないほど印象に残っていません。画面中央に、

”もう一度暗証番号を入力して下さい”

と目立つように表示されればもう一度そのまま入力する以外、何を入力しろと...こっちは暗証番号が違っているなんてツユほども思っていないのだから。

その後、口座を解約したのは言うまでもありません。

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以前某スーパーで買い物をしてセルフレジで決済する際、クレジットカード一括払いを選択したつもりが、誤ってリボ払いにしてしまったことがありました。ちょっと急いでいたことに加えて、一括払いとリボ払いを選択するアイコンに同じカードの絵柄が使われていて、それほど大きくない文字情報のみで一括かリボを選択させるようなインターフェイスだったことが理由です。カードの請求明細が届くまで気が付きませんでした。

意図しない選択というのはやはり不快です。明確に識別できるよう改善を希望しました。その結果かどうかは存じませんが現在はより識別しやすいアイコンに変更されています。



なんだか、誤認を誘引するようなインターフェイスが至るところで散見されるように思います。健康食品のお試し→定期購入契約や、意図しないリボ払いへの誘導を意図したインターフェイスは論外であるのは記すまでもありません。ただ、自身のインターフェイスの質の低さを棚に上げて、気づかない側に落ち度があるとする姿勢も頷けません。常に注意を怠ることができない、気を抜けない社会というのも厭なものです。


2020年10月26日月曜日

鳴動

 コロナ禍の中、リモートなんちゃらとか、オンライン、5Gといった語が巷間で踊り続け、IT技術活用による効率化、利便性向上が叫ばれています。菅政権誕生後の昨今ではデジタル庁によるDX(デジタルトランスフォーメーション)、押印制度の廃止とか、まぁ、いろいろな掛け声が聞こえてくるわけです。


その少し前、技術資源の浪費以外の何ものでもない状況に直面し、ちょっと呆れちゃっています。これが日本の代表的IT企業の雄、NTTドコモの業務かと思うと失望を禁じ得ませんでした。先日、騒動となったドコモ口座不正利用事件の二週間ほど前の話です。

身内間で携帯電話の名義を変更する必要が生じました。その一部
顛末です。

自宅近くのドコモショップで手続きをしたわけですが、それに当たって、事前にNTTドコモのwebサイトで必要書類の確認をしました。というのは、これまで何度もドコモショップで様々な手続きをしてきたのですが、
一度で手続きを完了できたことがほとんどなかった
ためです。実際の使用者、或いは契約者の代理で手続きをするのですが、委任状がない、押印がない、本人確認書類が不備、自筆で記入していない、記入漏れ...等で幾度となく手続きを拒絶された経験があります。

サイトを見た処、まず、ドコモショップで手続きをするには日時の予約が必要でした。コロナ禍のためショップで人が密になるのを防いだり滞在時間を短縮するためなんでしょう。このご時勢ですから、まぁそれも当然かと。これまで予約無しで訪れて、結構な待ち時間があったことが幾度となくありましたから、これはこれで頷けます。

ただ、希望の時間を予約しようとすると前日では無理でした。所用で週一でドコモショップの近くを通りますのでそれに合わせて来店予約をするわけですが、前日予約が無理で一週、予約を失念して二週経過して三週目にようやく予約成立と相成りました。単なる書類の手続きで、行動を制限される予約を入れるのに一ヶ月弱...少しづつストレスが蓄積されていきます。

次に必要書類の確認をしたわけですが、今回の名義変更は身内A、B、CとあってC名義の携帯をBに名義変更、支払い口座はこれまでのAの口座で変更なしというものです。又、これまでA、B、Cは同一住所でしたが、Cのみ転居しているという状況です。

ドコモのサイトによると、

お手続きいただける方
現在の名義人の方
変更後の名義人の方
代理人の方

ご家族間(三親等以内)の名義変更で、一部のサービスや設定情報を引継ぐ場合は「現在の名義人の方」のご来店が必要です。

ただし、ご登録いただいているご利用者※が「変更後の名義人の方」の場合に限り、「現在の名義人の方」のご来店いただかなくてもお手続きになれます。

とあって、 現在の名義人C、変更後の名義人B、代理人Aのいずれでも手続き可能なようです。ただ次の注釈にある”ご家族間〜「現在の名義人の方」のご来店が必要です。”は、委任状があれば必要ではないのか、否か、判りません。今回は引継ぐ/引継がない、どちらでも構いませんでしたが。

で、A、B、Cの誰でも手続き可能なようですが、その後ろに記されている、”お手続きに必要なもの”を見ると煩わしさにかなりの差があります。

お手続きに必要なもの
ご来店される方問わず必要なもの :
  現在の名義人の方の本人確認書類
  変更後の名義人の方の本人確認書類
  変更後の名義人の方のキャッシュカードまたはクレジットカード※
  変更後の名義人の方が来店されないまたは、キャッシュカードやクレジットカードをお持ちでない場合は変更後の名義人の預金通帳+お届け印が必要です。
現在の名義人の方のみご来店される場合: 
  以下を追加でご用意ください。
  変更後の名義人の方からの委任状
変更後の名義人の方のみご来店される場合: 
  以を追加でご用意ください。
  現在の名義人の方からの委任状
代理人の方がご来店される場合: 
  以下を追加でご用意ください。
  代理人の方の本人確認書類
  現在の名義人の方からの委任状
  変更後の名義人の方からの委任状
現在と変更後の名義人の方両名でご来店される場合: 
追加書類はありません。
Cの来店は困難なのでBが手続きをすることにしました。となると必要書類はCの本人確認書類、Bの本人確認書類、Cからの委任状になります。この時点でドコモに電話で問い合わせました。電話料金の支払い口座としてAの口座を使う旨、問い合わせ窓口に話した処、”CからBへの名義変更に伴い、一旦支払い口座が解約され再手続きが必要”との指摘がありました。そこで、上記委任状と共に”異なる名義による一括請求同意書(代表回線契約者から三親等の方のみ)”もダウンロードして作成したのですが、そうなるとAからの委任状や本人確認書類も必要か?、ということになって、結局Aも来店することになりました。加えて、サイトにある本人確認書類のリンクを見た処、
(コピーでは受付できません)
の文言があるのを目にしていたため、”当日来店しないCの運転免許証、マイナンバーカードの原本を借りるのか?”と尋ねたわけです。その回答は、”委任状があれば不要”とのことでしたから、A、Bの本人確認書類、Cからの委任状、Aの同意書を持参してドコモショップに赴きました。

徐々に疲弊してきていますが、これで手続き完了と自信満々でショップを訪問、その結果は...差し戻しでした。Bの本人確認書類が必要との理由でした。確かに必要書類には挙げてありましたが、その一方で”(コピーでは受付できません)”との説明があるわけです。それもあって、事前に確認したのですが、Bの本人確認書類は複写でも可とのこと。

仕切り直しです。手続きカウンターに進むことなく待合エリアで門前払いでした。

転居したCから運転免許証のコピーを入手し再度ドコモショップを訪れたのはそれから二週間後です。勿論予約してのことです。

その結果は...差し戻しでした。理由は、委任状記載のCの現住所と運転免許証記載の住所が一致しないとのことです。委任状は転居後の住所、運転免許証は住所変更前のため旧住所が記載されていたわけです。又しても手続きカウンターまで進むことなく門前払いでした。運転免許証の住所変更は次の免許書き換え時で構わない、そのために平日を潰してまで住民票の交付を受けて手続きをするほどではない、というのが自分の認識でした。まさか、こんな処で引っ掛かるとは...

代わりに健康保険証のコピーでは、というとこちらも新住所記載の保険証はまだ交付前...結局、委任状に記載する住所を運転免許証記載の住所に合わせて再記入することにしました。ここで新たな問題が発生。委任状を再記入にあたって、
「契約者本人の自署」または「契約者本人の記名押印」が必要です。
とあるわけです。転居したCが委任状を再度記入するにはそれから更に二週間を要しました。この時点でかなり意気消沈しています。自分には携帯電話の名義変更は無理なんじゃないかと...

再度、自分を奮い立たせてドコモショップに予約を入れたのは、名義変更の必要が生じてから七週間後です...


ようやく手続きカウンターまで案内されました。やれやれと思いながら手続きが進むのを待っていると新たな問題が...
委任状の注文内容欄にある、

□名義変更+dポイントクラブ入会

のチェック欄に✔がなかったのです。目眩が...Cからの委任状でCがその場にいない中、ショップ店員の眼前でAやBが✔を書き込むわけにはいきません。

とって返して30分弱、ようやく✔が適切に記された委任状を提出、名義変更が完了致しました。めでたしめでたし。

疲れました。


ここからが本論なんですが、事前に必要書類を確認して、問い合わせていても、ドコモショップに延べ四回赴き、七週間かかって携帯電話の名義変更が完了したわけです。

巷間で、外出を控えるというか、人が集まる場に行くのは控えましょうと言われる中、四回もドコモショップを訪れることになりました。リモートだ、オンラインだと持て囃される一方で、回答の不備、記載内容の不一致とか自署といった問題で名義変更に七週間の時間を要しました。チグハグ感が否めません。

これは通話、SMS、二段階認証の本人確認用に使用しているガラケーの話です。スマホだ、dポイントだ、G5だと煽る前にこんな程度の手続きはオンラインでできるようにナントカナランノカ?、というのが率直な印象です。

以前、AI技術の進歩で消滅する仕事という話題が衆目を集めましたが、AI以前の話です。事前に確認しても必要書類が解りにくく、自署や押印のある委任状の必要性、実情より書類の整合性を優先、などを鑑みると、ドコモショップの対面業務はなくならない、なくす気がないことがよく理解出来ました。

この一連の手続きは八月には完了していましたが、九月に入ってドコモ口座を利用した、電子決済サービス不正引き出し事件が発覚しました。

これはドコモ口座を、ドコモの携帯電話契約者のみの開設に留めず、メールアドレスを保有している不特定多数の開設まで間口を広げたことが原因です。ドコモとしては他者の携帯電話ユーザーにもドコモ口座の開設、利用を開放することで、キャッシュレス決済等の金融サービス事業の拡大、新規契約者の誘引を目論んだのだろうと、容易に推測できます。自社の携帯電話契約、契約の名義変更には厳格な本人確認を求める一方、自社利益の足がかりになりそうなドコモ口座開設には匿名での開設を許可するという...ユルユル感、チグハグ感は否めません。チグハグ感が否めません。

これは通話、SMS、二段階認証の本人確認用に使用しているガラケーの話です。スマホだ、dポイントだ、G5だと煽る前にこんな程度の手続きはオンラインでできるようにナントカナランノカ?、というのが率直な印象です。

以前、AI技術の進歩で消滅する仕事という話題が衆目を集めましたが、AI以前の話です。事前に確認しても必要書類が解りにくく、自署や押印のある委任状の必要性、実情より書類の整合性を優先、などを鑑みると、ドコモショップの対面業務はなくならない、なくす気がないことがよく理解出来ました。

この一連の手続きは八月には完了していましたが、九月に入ってドコモ口座を利用した、電子決済サービス不正引き出し事件が発覚しました。

これはドコモ口座を、ドコモの携帯電話契約者のみの開設に留めず、メールアドレスを保有している不特定多数の開設まで間口を広げたことが原因です。ドコモとしては他者の携帯電話ユーザーにもドコモ口座の開設、利用を開放することで、キャッシュレス決済等の金融サービス事業の拡大、新規契約者の誘引を目論んだのだろうと、容易に推測できます。自社の携帯電話契約、契約の名義変更には厳格な本人確認を求める一方、自社利益の足がかりになりそうなドコモ口座開設には匿名での開設を許可するという...ユルユル感が否めません。

これを受けてドコモ口座の本人確認がオンラインで始まるようです。
オンラインで本人確認?...これができて契約の名義変更がオンラインでできないわけがありません。単なる怠慢です。ドコモ口座云々以前に根本の携帯電話の契約に関わる本人確認をとっととオンライン化するべきです。

自社の損害が発生すれば迅速に対応、契約者の名義変更の本人確認には書類や押印を要求...って、全くもって顧客の利便性軽視、ユーザー視点の欠如です。

果たして契約の名義変更といった、これまでドコモショップの予約、来店が求められた手続きのオンライン化が進むのでしょうか。少なくとも、名義変更や口座開設に拘らず、本人確認の厳格化は間違いありません。

今後再び、名義変更の必要が生じた際、当事者以外手続き不可とか、そもそも名義変更を認めないという、オンライン化されないままの本人確認厳格化、つまり間抜けな対応に陥る恐れがあることを示唆しておきます。

アベノマスク配布、Gotoキャンペーン、レジ袋有料化といった春先からの疑問符のつく施策に通底したチグハグ感を禁じ得ません。

昨今、新たに役所を作ってデジタル化とか、行革相が押印廃止とかブチ上げているわけですが、半信半疑、というか懐疑的、胡散臭い目でみています。その施策は社会の効率化、利便性向上に寄与するのだろうかと。なんだかデジタル化、押印廃止自体が目的化して生産性は上がるどころかかえって低下、そんな結末が脳裏を過る今日この頃です。

2020年10月12日月曜日

適法

学生の頃、 人文系の科目で、

――あの教官は飼育している猿に成績を決めさせている――

とか、

――答案用紙で紙飛行機を折ってよく飛んだ順に成績をつけている――

などといった噂が飛び交う科目がありました。まぁ、学生の戯言ですが、それくらい評価基準が不明瞭だったということです。ただ、これが事実であっても適法なわけです。

翻って、日本学術会議の会員候補の任命拒否を巡り、
――適法に行われたと承知している――
と官房長官は説明し
――推薦段階の名簿は見ていない――

と首相は発言しているわけです。では、99人の任命名簿か、6人の任命拒否名簿か、何を見て判断したのかもよく解りません。

任命拒否の理由は未だ開示されないままですから、

――総合的、俯瞰的活動を確保する観点から猿が決めました。猿に聞いて下さい。それでも適法です。――

と、そんなところかもしれません。

基準

 未だ収束しない学術会議の新会員任命拒否問題ですが、最近で学術会議に対する批判も噴出し始め、民営化論、解体論も散見されるようになってきました。

興味深いのは、この解体論を提唱している論者がコロナウィルス対策、原発再稼働案件ではゼロリスクを否定し、リスク許容を主張していることです。経済の損失を抑えるためには一定の感染者発生を容認して経済活動を止めるべきではないとか、日本社会の維持存続にはリスクを許容し原発を再稼働すすることが必要とか、まぁ、そんな論調です。

メリットとデメリット、ベネフィットとリスクを通算した結果、メリット、ベネフィットが上回るため、コロナ対策としてのロックダウン的な規制を否定、原発を再稼働という主張は理解できます。

ただその一方で、学術会議を解体するべきという意見が同じ視座から出されているのであれば、どうにも得心できないわけです。問題の多い学術会議を解体する(=消滅させる)ことは、例えばリスクをゼロにするため原発の稼動を認めないことと通底しているように映ります。

学術会議については上述の通算の結果、メリット、ベネフィットなしとされたのでしょうか。勿論、社会や市民にとってです。

何かが在るということは自動的に何らかのデメリットやリスクを伴うことに他ならないと考えます。このマイナス分とメリット、ベネフィットとの差分が有用であれば、それこそがその何かの存在理由です。

その上で消滅を求めるということはこの差分がマイナス、つまり学術会議は社会に損失を与えているという理屈になります。学術会議を消滅させればそのデメリットやリスクはゼロになりますから、ある意味ゼロリスクを要求しているわけです。

福島原発の事故が起こっても尚原発の稼動を求める、新型コロナウィルスの感染が警戒されている中、コロナ禍前の経済活動求める、こういったリスクを許容して差分のメリット、ベネフィットを追求するという姿勢を理解できないわけではありません。しかしながら、その一方で学術会議のゼロリスクを求めて解体・消滅を提案するというのも整合性が欠けています。

ダブルスタンダードとの印象は払拭できませんが、同一人格の中で、リスクを許容する事物とゼロリスクを求める事物、両者を何が隔てているのか、興味深い処です。

2020年10月10日土曜日

損益(2)

先のエントリからの続きです。

 2)二極化とレッテル貼り

昨今の新型コロナウィルスを巡るゼロリスク要求側と否定側の論戦を観察していると、立場を二極化して批判合戦を繰り広げているように見受けられます。

ゼロリスク要求側は文字通りリスクの完全な撲滅を追求し、周囲や社会全体からの支持を得るべく、その活動や意見をSNSなどで公開しています。リスク許容側は、このゼロリスク要求側を、ゼロリスクが実現不可能なものと批判し、それをやはり公開していて、そこにはリスク許容の支持を増やそうという姿勢が窺えます。

両者共に相手の意見を否定して自身の主張を押し通そうと、批判の域を越えた罵倒合戦に発展してしまっている場合もあります。更に、自身がゼロリスクを要求する、リスクを許容する意見を開陳するだけに留まらず、他者や社会にも同調圧力をかけ支持を求める、それが適わなければ対極側を支持しているとレッテルを貼付する、そんな印象すら抱くことも少なくありません。

セロリスクの実現が不可能であることに論は待たないが、前述の1)の理由から直ちに諸手を上げて支持するには違和感を覚える層を、ゼロリスクを要求する側からはリスクを盲目的に許容する側に、リスクを許容側からはゼロリスク信者として見做す独善性が行間に漂っている、ということです。

以下は2011年03月11日まででゼロリスクについて検索された資料からの引用です。遺伝子組み換え農作物に着目したリスク・コミュニケーションにつての資料ですが、
2.4 一般の人々は非現実的な「ゼロリスク(絶対安全)」を要求しているのか? 
• 「どんなものにも多かれ少なかれリスクはある」、「リスクの削減は便益とのバランスの上で考え なければならず、多少のリスクは許容しなければならない(リスク便益原則)」、さらには「リスク を恐れては何もできない」等々の決り文句による恫喝 
• しかし、実際には人々は必ずしもゼロリスクを求めているわけではない(Marris et al., 2001; Wynne, 2002; STAFF, 2000)。
i) 求めているのは、ゼロリスクなどありえない世界の中で専門家たちが果たすべき「責任」が 十分に果たされること。
ii)リスクとベネフィットのつりあいではなく、無知・不確実性と、理由・目的の正統性、責任 のつりあいが重要。 ~「新しい技術は、自分たちを不確実性に曝すほど重要な目的をもっているか、どうしても 必要なものなのか、代替策はないのか、責任体制は十分なものか?」
iii) 「参加」の要求: 目的・必要性について、自分たちで判断したいという欲求不確実性・価値・公共性をめぐるリスクコミュニケーションの諸問題 ― リスクガバナンスの非公共化に抗して ― 平川秀幸 (京都女子大学現代社会学部)
ゼロリスクを要求しているわけではないが、行政や事業者側の施策、計画を盲目的に支持しない層の存在が示唆されています。実は社会の中でこの層は、当時も現在もいわゆるサイレントマジョリティとしてかなりの割合を占めているとみています。おそらく自分もこの層に含まれます。

福島原発の事故以前、ゼロリスクの実現は不可能であることを承知しながらもリスクを許容することに躊躇を覚える、モヤモヤ感を拭えない層についての言及が既にされていたことは特筆しておくべきことです。

しかしながら、そのような問題提起があったとしても、社会全体に蔓延していた、”今まで大過はなかった”とか、”寝た子を起こすな”、”日本の原発が重大事故を起こすはずがない”的雰囲気の中に社会的関心はかき消されていました。

これはその後の福島原発の事故を受けてもう少し議論が深化して然るべきですが、依然足踏み状態にあるように見受けられます。

該事故の前から提起されていた、行政の無謬性などのリスクコミュニケーションの問題は依然として未解決のままです。その状態で、ゼロリスクの要求とか、リスクを許容すべきとかで対立するのもなんだか不毛だなぁ、という印象です。事故はゼロリスクについて関心を深め、上述の信頼社会の構築に向けた生産的な議論へと進める原動力になり得るはずなんですが...

なかなかそういった方向に進まないのは、技術の進歩に相応するほど社会が賢くなっていない所為かもしれません。


次のエントリに続けます)

2020年10月8日木曜日

客引

 Go To Eatでひと騒動起こっているようです。

なんだかよくわかりませんが、ディナーの時間帯の予約で一律1000円分のポイントが付与されることを利用して、店を予約、1000円以下の料理を注文することを繰り返して差額分のポイントを貯めていくのだとか。

ご苦労様です。現在は既に是正されているようですが、鳥貴族という焼き鳥のチェーン店を例にすれば、この店のメニューは原則税込み327円で、店を予約してこのメニューを一品注文して退店、673円分のポイントを貯めると。

この行為そのものについて云々するつもりはないのですが、上記予約はいわゆるグルメサイトからのみ有効で、飲食店は予約一件につき200を送客手数料として該サイトに支払わなければならないようです。

上記例では、結局店側の売上は98円(=税別298-200)に留まってしまい、一体どこが飲食店支援のキャンペーンなんだ、という声も聞こえるわけです。

飲食店支援を謳って、ほくそ笑んでいるのは飲食店の紹介屋、手配屋であるのは明かです。古今東西、水商売は遣手とか元締めが利を貪る仕組みになっています。

飲食店は紹介屋に加盟金とか協賛金というみかじめ料を支払って、ある意味傘下に入らないと客の紹介を受けられません。客も紹介屋に登録する必要があります。

紹介屋は労せず飲食店の加盟、客の登録を促すことができるわけです。この梃子というか販促キャンペーンがGo To Eatということです。国庫使って何やってんだ?

紹介屋に頼らず営業をしてきた、非加盟店にとっては明らかに逆効果で支援になっていません。むしろ営業を圧迫しています。集客費という贅肉を既に営業コストに含めている飲食店への支援にはなりますが、味と価格という飲食店の根本に重きを置き、自店の力のみで集客を続けてきた店にとってはかえって邪魔でしGo To Eatかありません。

家族経営で人件費を抑え、宣伝広告費、集客費を削って、材料にコストをかけた料理を提供する、そういった飲食店の存在を鑑みれば、Go To Eatという政策の不公平性を如実に感じます。

2020年10月7日水曜日

新報

 前のエントリに関連した、学術会議の新会員任命拒否についての話です。

総合的・俯瞰的活動を確保する観点から判断した結果、日本学術会議が推薦した新会員候補のうち6人の任命を拒否した、と。

何だそれ?、というのが率直な処です。未だ個々の理由は開示されないままです。これって、換言すれば”何を推測されても否定しない”ということではないでしょうか。

今こそあることないこと勘ぐって憶測で報道できる絶好の機会です。総合的・俯瞰的活動の説明がない限り受け止める側で推測するより他ありません。例えば、

”独裁社会化を進めるための総合的・俯瞰的活動を確保する観点から判断した”

”邪魔者を排除するための総合的・俯瞰的活動を確保する観点から判断した”

”学術会議を御用組織化するための総合的・俯瞰的活動を確保する観点から判断した”

”軍事研究を学術界に委託しやすくするための総合的・俯瞰的活動を確保する観点から判断した

”反論する学者をスケープゴートにするための総合的・俯瞰的活動を確保する観点から判断した”

”反体制分子を一人残らず粛清するための総合的・俯瞰的活動を確保する観点から判断した”

”学術会議を解体するための総合的・俯瞰的活動を確保する観点から判断した”

今なら、どう報道しても虚報ではありません。ある意味サンドバック状態です。想像、憶測、勘ぐりを伝えて政権から否定されれば改めて詳細な見解を求めればいいのではないかと。否定がなければそれを事実として一人歩きさせるわけです。

脱力タイムス、虚構新聞に続く、憶測新報という新メディアの登場を待望しています。


顛末

 猛暑になるといろいろ壊れます。

自分自身も壊れつつある中、ノートPCが動作不良陥りました。現在、ようやく復旧に至りましたがその過程を備忘録として記します。

復旧に際し、先行事例を検索しましたが見つけられませんでした。同様の例も検索した処、

該ノートPCはThinkPad Edge 14でOSとしDebianを使用しています。購入後、真っ先にインストール済みのWin7を削除、Debianをインストールして使ってきました。このPCではDebian 6.0 (Squeeze)から、Debian 7 (Wheezy)→Debian 8 (Jessie)へとアップグレードしていますから、それなりに酷使してきたことになります。

全ての作業はDebian上のGUI(KDEデスクトップ)で行っています。以前、ラズパイを弄った際もKDE上で起動したターミナルエミュレータから接続していました。

このPCの動作不良の状況はフリーズでした。電源投入で Linuxに続いてX Windowが起動、GUI環境へのログイン画面が現れます。ここからKDEデスクトップ環境にログインするわけです。KDEデスクトップ環境へのログインまではできるのですが、そこから何か操作するとカーソルがフリーズします。そうなるとPCのタッチパッド操作もキーボードからの入力も不可能となります。

フリーズする操作は特定できませんでした。個人のプロファイルを読み込むウォレットへのパスワード入力、WiFiルータとの接続、Chromeの起動といった、GUI環境へのログイン後の様々な操作でフリーズが発生しました。

一旦フリーズが起きるとにっちもさっちも行かなくなります。Xの再起動([Ctrl]+[Alt]+[Bs])、OSの再起動([Ctrl]+[Alt]+[Del])も実行不可能でした。[Ctrl]+[Alt]+[F1/F2/F3...]でもCUIによる仮想端末にも切り替えられず...結局、マジックSysRqキー([Ctrl]+[Alt]+[PrtSc]+[B])で強制再起動する以外に手段を見い出せませんでした。この操作は、リセットボタンによる強制的な再起動をソフトウェアスイッチで行うに等しく、できれば避けたい対処です。

実際、該操作で再起動を行うと起動時にファイルシステムのチェックfsckが行われます。このノートPCを使う以前、ファイルシステムはext2でした。当時、こういった強制再起動でfsckがかかるとファイルが破損していることが時折ありました。その後、ext3、ext4と開発が進むに従い修復不可能な破損に遭遇することはなくなりました。が、そうは言っても稼働中のPCのコンセントを引っこ抜くようなものですからファイル破損の恐れを考えれば躊躇する操作であるのは間違いありません。

で、ここからの復旧を試みたわけです。

まず、最初に排熱ファンの異常を疑いました。というか決めつけてしまいました。これは、”Linuxではフリーズは殆ど起こらないはず”、”GUI環境へのログインでフリーズする”から原因はハードウェアにある、と判断したことによります。(結果としてこの推察は誤りで復旧まで遠回りすることになりました。今振り返れば、LinuxがフリーズしないというのはCUI環境での話であり、排熱ファンの異常であればフリーズではなく、CPUの熱暴走で電源が落ちるか強制再起動がかかったと思われます。

勿論、”ThinkPad”、”フリーズ”、”Linux”、”KDE”辺りの語で検索しましたが、有用な事例は見つからず、そのまま排熱ファンの交換へと進みました。

検索してみるとThinkPadの排熱ファン交換は、全く同じ機種ではないもののいくつかの先行事例がありました。下写真はそれらを参考にPCの裏蓋、続いてファンユニットを取り外した状態です。

ファン・アセンブリーの取り外しと取り付け - ThinkPad Edge 14 および 15


下写真は取り外したファンユニットです。




引っくり返すとファンだけ取り外すことができました。このファンだけ手配できれば入手、交換してできあがり、という目論見でした。ファンには”Panasonic UDQF2ZH82FQU DC5V 0.21A 1201M2"と記してありました。この品番や、ThinkPad edge 14 CPUファンで調べてみた処、Panasonic製は入手不可能のようですが、互換品としてDelta KSB06105HA-AG35が入手できるようです。


うーん、これは純正部品としてLenovoに採用されている部品なんでしょうか。そのまま交換して問題ないのか否か...検索してみるとデルタ電子という台湾の電子部品メーカ製のようです。自分が知らないだけで、真っ当なメーカのようです。純正部品かは不明ですが、まぁ、大丈夫だろうと判断して購入、交換しました。

互換品ですから何ら支障なくファンの交換は完了し、下写真のようにファンユニットをPCに組戻しできました。
ただ、取り外したPanasonic製ファンの埃を取り除いて見た処、ファンが全くスムーズに回転するのが少し気掛かりではありました。無駄な作業だったか?

ともあれ、PCを元の状態に戻し、電源投入、OS起動、ログイン画面からデスクトップ環境にログイン...

フリーズ

...ファン交換は徒労でした

その後、無線LAN部分のハードウェア的な異常を疑い、有線LANで接続するもデスクトップ環境にログインでフリーズ...

残るはHDDの物理的な破損かと、データのバックアップ、HDD交換、システムの再インストールを考え始めた際です。もう少し不具合についての情報が何か得られないかと少し弄ってみました。

その結果、どうやらCUI (キャラクター・ユーザー・インターフェース)なら使える、電源投入時に古いバージョンのkernelを選択すれば(フリーズしないわけではないが)多少はマシ、ということが判りました。

で、まぁ、新しいHDDを手配しても届くまで少し時間がかかるだろうし、Debianのアップグレードを試してみるのも全くの無駄骨ではないだろうと。

ここから涙目の作業に入っていきます。

流れとしては、これまで使用してきたDebian 8 (Jessie)をまず最新の状態にして次バージョンのStretch、更にはBusterにバージョンアップしていくわけですが、現在のバージョンからは不可能です。フリーズするわけですから。

それならばと、古いバージョンのkernelで起動してデスクトップ環境にログイン、X window上の端末から

#apt-get update

#apt-get upgrade

#apt-get dist-upgrade

#apt-get autoclean

#apt-get autoremove
を行った後、

#vi /etc/apt/sources.list

で編集へと進みました。sources.list内でjessieと記されている部分を全てstretchに置換。再度、

#apt-get update

#apt-get upgrade

を行うと。順当に進めばこの操作だけでDebian Stretchへのバージョンアップが完了するはずなんですが...そうは簡単にバージョンアップさせてもらえないわけです。

パッケージの依存関係を保持する範囲内でのアップグレードである、#apt-get upgradeまでは問題ありませんでした。

#exit

に続けてOSの再起動後もデスクトップ環境へのログインが可能でした。

その後パッケージ構成の変更、つまり、新規にDebian Stretchに採用された、或いは外れたパッケージ追随した依存関係の変更を伴うアップグレードである、#apt-get dist-upgradeを行った処...

様々なエラーメッセージが表示されました。最初は、

”システムにサンドボックスユーザー「_apt」はありません。権限を削除できません”

が...全く心当たりがありません。検索して、

#adduser _apt --force-badname

で解決できました。どうやらStretchへのアップグレードに伴う変更のようです。

#apt-get update

して次は、

公開鍵を利用できないため、以下の署名は検証できませんでした

と表示されアップデート失敗。で、

#apt-key adv --keyserver keyring.debian.org --recv-keys PUBKEY_ID

とか、

#gpg  -keyserver keyring.debian.org -recv-keys PUBKEY_ID

とかやって、

#apt-get update

の後

#reboot

で再起動した結果、GUI環境にログインできなくなりました...どこかで下手を打ったようです。

抽象的には二歩進んで三歩目を踏み出そうとしたら、八歩後退といった状況です。ログイン画面は現れていますがログインすべきデスクトップ環境が消失しています...今振り返れば、#apt-get dist-upgradeでアップグレードに失敗してJessieで採用されてたデスクトップ環境関連のパッケージが消失したということなんでしょう。

にっちもさっちも行かなくなって立ち往生です。取り敢えず、[Ctrl]+[Alt]+[F1]でログイン画面を切り替えrootでCUI環境にログインしました。ログインはできるようですがネットワークには接続できないようです。

CUI環境で復旧、アップグレードするのか...久しぶりすぎて忘れています。GUI環境からホットプラグで接続するのが当たり前のようになっていましたから。

#ping google.com

も応答なしです。

#ifconfig -a

でネットワークインターフェイスの状態を確認しようとすると文字化け...えーと。

#printenv

で環境変数を確認して

#LANG=C

で言語を英語に設定と。再度、

#ifconfig -a

してみるとどうやらネットワークインターフェイスeth0が起動していないようです。

#ifup eth0

に続けて

#ping google.com

で応答がありました。どうやら接続できたようです。

#cat /etc/apt/source.list

でリポジトリがStretchになっているいることを確認して、

再び、

#apt-get update

で、今度はChrome関連でエラー....

W: 署名照合中にエラーが発生しました。リポジトリは更新されず、過去のインデックスファイルが使われます。GPGエラー: http://dl.google.com/linux/chrome/deb stable Release: 公開鍵を利用できないため、以下の署名は検証できませんでした: NO_PUBKEY.....

W: http://dl.google.com/linux/chrome/deb/dists/stable/Release.gpg の取得に失敗しました 公開鍵を利用できないため、以下の署名 は検証できませんでした: NO_PUBKEY ...

身に覚えがないエラーです。そもそも/etc/apt/source.listにdl.google.comを追記した記憶がありません。

#cat /etc/apt/source.list|less

でsource.listの内容を調べましたが、dl.google.comの記述はありませんでした。と、思ったら与り知らぬ内に/etc/apt/sources.list.dディレクトリが作成されていてそこにgoogle-chrome.listのファイルが自動で作成されていました。このファイル内に記述されていたhttp://dl.google.com/linux/chrome/debがエラーの原因のようです。検索して、

#wget -q -O - https://dl.google.com/linux/linux_signing_key.pub | apt-key add - 

で解決、再度、

#apt-get update

続けて

#apt-get update

#apt-get upgrade

#apt-get dist-upgrade

を実行。その結果は、

E: 未解決の依存関係です。'apt --fix-broken install' を実行してみてください (または解法を明示してください)。

というエラーが...指示通り

#apt --fix-broken install

を実行後

#apt-get update

#apt-get upgrade

#apt-get dist-upgrade

を繰り返しました。今度は

処理中にエラーが発生しました:
/var/cache/apt/archives/mariadb-server-core-10.1_10.1.45-0+deb9u1_amd64.deb

心が折れそうです。再度、上記エラーについて検索して、

#dpkg -i --force-overwrite /var/cache/apt/archives/mariadb-server-core-10.1_10.1.45-0+deb9u1_amd64.deb

を実行。そう言えば、DebianのバージョンがJessieからStretchへと移行する際リレーショナルデータベース管理システムがMySQLからMariaDBにパッケージが変更されたことを見たか、聞いたかしたような...定かではありませんけど。

もう一度、

#apt --fix-broken install

を指示され、

#apt-get upgrade

#apt-get dist-upgrade

を実行。あれっ。エラーが出ない...上手くいったようです。

これで

#reboot

した処、無事ログイン画面が表示され、KDEのデスクトップ画面にログインすることができました。ようやくJessieからStretchへのアップグレードが完了しました。めでたし、めでたし。

この後、StretchからBusterへとアップグレードしたわけですが、

#vi /etc/apt/source.list

でstretchをbusterに置換、

#apt-get update

#apt-get upgrade

#apt-get dist-upgrade

で全く滞りなく完了しました。

問題は元々の動作不良、フリーズですが、作業が完了した八月中旬以降十月初旬の今日まで前述したようなフリーズは起こっていません。不具合の原因はソフトウェアにあったのかもしれません。まぁ、取り敢えず落着ということで。

2020年10月4日日曜日

亡国

日本学術会議の新会員任命に際し、学術会議の推薦者105名のうち、6名の学者が任命されなかったことについて菅政権に各方面からの批判が集中しています。


憲法で保障された学問の自由への侵害とか、政府や社会に対し科学者の立場から様々な意見、提言を行うに当たってその独立性が損なっている、ということが批判の理由です。

前者については、”直ちに”侵害していることを示す実例が思い当たりませんのでさておきます。しかしながら、後者については明らかに該当していると考えます。学術会議を御用組織化して、政府の都合に合わせて科学者の権威を利用しよう、という菅政権の意図が明らさまです。

これに対しこの任命見送りは問題ではないという印象を抱かせる声も少なからず散見されます。例えば、
1.学術会議は国庫からの予算拠出による組織であるから行政府の長による任命権の行使は当然

2.学術会議側の会員推薦のプロセスや理由の不透明性

3.学術会議の存在意義や役割 

といった部分で任命見送りの妥当性が印象付けられています。このうち、2.と3.話のすり替えです。今回の新会員候補6名の任命見送りとは別の話であって、問題があったとしても別途議論されるべきです。

で、1.の任命権の行使は当然か、という話になります。ここで、それでは行政府の長は誰によって任命されるのかとなると、
〔天皇の任命行為〕
天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。(日本国憲法 
第六条
と定められています。では、任命権を持つ天皇は任命を拒否できるのかというと、
〔天皇の権能と権能行使の委任〕
天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。(日本国憲法 第四条)
とあって任命しないということは
あり得ないわけです。

翻って、本騒動の場合はどうでしょうか。日本学術会議法には、
日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、これを組織する。
2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
(日本学術会議法 第七条)

 とあって、

日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者の うちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。(日本学術会議法 第十七条) 

と、推薦の規定が定められています。従って、”任命しない”は、即ち、”学術会議の推薦を認めない”ことを意味しますから、任命しない理由と推薦した理由の突き合わせははされて然るべきです。会議による選考の否定に他ならないわけです。

又、職務、及び、権限の章で、

日本学術会議は、独立して左の職務を行う。
一 科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
二 科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。(日本学術会議法 第三条)

と定められていて、ここに”独立して”の語を認めることができます。この部分が、内閣総理大臣の指揮命令から独立して、とか、政府から独立して、を指しているとの理解です。一部報道にあるように”明示的”に記されてはいませんが、政府のドメイン(go.jp)下にある日本学術会議のサイトには、

日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24年(1949年)1月、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立されました。(日本学術会議とは
とありますから、政府の公式見解です。

少し逸れますが、法文内の”独立して”には非常にあっさりした印象を受けました。そこで、政府から比較的高い独立性を有する他機関について調べてみました。
日本銀行の独立性
(日本銀行の自主性の尊重及び透明性の確保)
日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は、尊重されなければならない。(日本銀行法 第三条) 
(業務の公共性及びその運営の自主性)
日本銀行は、その業務及び財産の公共性にかんがみ、適正かつ効率的に業務を運営するよう努めなければならない。(日本銀行法 第五条)
とあるのですが、第四条で
(政府との関係)
日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない。(日本銀行法 第四条)
とあって玉虫色の印象を持ちました。

会計検査院の独立性
会計検査院は、内閣に対し独立の地位を有する。(会計検査院法 第一条)
しっかり明記されています。
人事院の独立性
(人事院)
内閣の所轄の下に人事院を置く。人事院は、この法律に定める基準に従つて、内閣に報告しなければならない。(国家公務員法 第三条)
上記法文内にある”内閣の所轄の下”は、
「所轄の下」とは、内閣に属する ものの、内閣の直接の指揮命令を受けず、独立してその職権を行使することをいいます。(内閣から独立した専門機関 ~人事院の位置付け~
とのことです。”内閣の所轄の下に”と日本学術会議法で規定されている、
日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。(日本学術会議法 第一条2)
の意味の違いがよく解りません。同じ意味なんでしょうか。
公正取引委員会の独立性
公正取引委員会の委員長及び委員は、独立してその職権を行う。(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律 第二十八条)
日本学術会議法に記された法文に最も近い表現です。独立の説明は、
公正取引委員会は,この行政委員会に当たり,委員長と4名の委員で構成されており,他から指揮監督を受けることなく独立して職務を行うことに特色があります。(公正取引委員会の紹介

とありますから、学術会議の”独立”も”他から指揮監督を受けないこと”で間違いないはずです。

ちなみに上記、いわゆる独禁法には、
公正取引委員会は、内閣総理大臣の所轄に属する。(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律 第二十七条○2)
との記述があり、前述の”所轄の下に”、”所轄とする
”、”所轄に属する”は各々別の意味で使われているのか依然不明ではあります。

話を戻して、以上の他の機関の”独立”を照らし合わせれば学術会議の独立とは、”他から指揮監督を受けないこと”とみるのが妥当です。で、今回の政府による任命見送りは学術会議の判断に対する指揮監督であり、日本学術会議法に抵触する行為に相違ない、と考えます。

但し、独立にはやはり責任は伴いますし、監査の義務付けは抜きにはできません。本来、事実と論理のみに従い、学者の良心に基づく合理的な判断、行動がなされることが理想ではあります。事実に反したり理不尽な行為には毅然と異を唱える姿勢を望みたい処です。ただそうは言っても、機関の自律性に対する過度の期待は抱くべきではないと考えます。やはり、暴走や過ちの恐れ、独善性を排除する機能、仕組みは必要です。

その辺り、学術会議も含めた独立性が付与された各機関の監査、生産性評価が未だ十分ではないような印象は否めません。


さて、ここから少し違った、斜め上を向いた視点から学術会議新会員の政府による任命拒否問題について記します。

社会に変革をもたらすような卓越した知は、自由から創出され、それが更に大きな自由の獲得に繋がっていく、と考えています。私見です。知に対する探究心は自由の追求心と根源的には通底している、と捉えています。

つまり、自由が制限された独裁国家では卓越した知は生まれない、ということです。いくつかの国が思い当たります。そしてそれは他国に限った話ではありません。

ここ数年間、
政府と日銀のアコード
検察官の定年延長
内閣法制局長官挿げ替えによる憲法解釈の変更
内閣人事局による人事院の独立性の毀損
法人化による予算面、運営面での大学の独立性の毀損
独立性を尊重すべき機関に対する政府の介入姿勢を目の当たりにし、今度は学術会議か、と。新たな知の創出に大きな足枷となってしまうことを危惧します。