2023年9月23日土曜日

尚更

悪魔の証明を求める意図は毛頭ないのですが...

ジャニー喜多川氏の性加害問題に対する「マスメディアの沈黙」を取り上げたNHK クローズアップ現代について、論評が文春オンラインにありました。

スポンサーや事務所への配慮で「ジャニーズは触れないということですよ」…NHK「クロ現」が“テレビの沈黙”を検証#1

「ジャニーズが使えなくなったら番組ができなくなる」「視聴者獲得のため」…テレビ関係者40人が語った“ジャニーズ性加害問題”
#2
ジャニーズ関連のものはすべてアンタッチャブルにしていくと。━━
━━重大に捉えていなかった。━━
━━思いが至らなかった。━━
━━視聴者獲得のために清濁あわせのんでやってきた。━━

そういった文言が並んでいて、まぁ、忖度が働いて性加害を黙認、口を噤んできたわけです。この性加害は反社会的な犯罪行為ですが、それでもジャニーズ事務所との関係を維持するために該犯罪行為を座視してきました。

そうであれば放送を含むマスメディアに圧力を加え得る個人や法人、団体に対しては、関係維持や規制を避ける目的で、極めて容易に忖度が起きるであろうことが推認できます。犯罪行為ですら看過し関係維持を図ってきたわけですから。対象が適法の範囲内になら忖度によって報道の中立性や客観性を毀損することなど全く抑制できないのも然るべしです。

ではその忖度の対象は、となるわけですが、順当には監督官庁と記者クラブを置いている取材対象が該当します。

そう考えた端緒も、日銀金融政策決定会合についての報道でした。以前から日銀の金融政策についての報道に触れる度、政策の肯定を前提とした論調、という印象を拭えませんでした。批判的な言及はなく、肯定した上で、その結果何が起こるか、といった解説をしばしば見ます。迎合的な雰囲気を感じるわけです。(勿論、署名入りの記事では是非を問い、批判的な意見もあります。)

他、放送行政を司る総務省は言うに及ばず、報道資料の提供元、取材ソース源、である 各省庁、都道府県警、勿論総理官邸といった、報道機関に対して力関係や上下関係がある場合、忖度を排除することは不可能です。

それは、報道しない権利を含めた編集権を利用した報道機関の自主的な忖度ですから、外部からの報道統制ではありません。従って、報道の自由は保たれている体にはなっていますが...

毎年、7-8月辺りになると、日中戦争や太平洋戦争を含む戦争関連の番組が放送されれます。その中には軍国教育やプロパガンダ、思想統制に絡んで旧日本軍部と報道機関の関係を題材にしたものも散見されます。

報道機関はそういった番組の中で、国威発揚、戦意高揚の情宣活動を、概して軍部に強いられたかのように描かれています。保身や権益のため忖度して協力したようには決して描かれていません。

報道機関ですら言論統制を強いられていたのであれば、戦後、その痕跡というか記録が詳らかにされるのが自然です。そういった話は(反戦主義だったか否かはともかく)桐生悠々程度しか寡聞にして知りません。報道機関が進んで戦争協力した、というのが実の処だったと推測しています。

この構図は今般のジャニーズ性加害事件とそのまま該当しますし、犯罪事案ですら忖度して座視しているわけですから、犯罪でなければ尚更長いものに巻かれるのも自明です。

民主主義社会の護持や健全な発展、或いは公益への寄与のためには、報道の客観性とか不偏不党、公平性が不可欠とされていますが、力、つまりは利害関係次第でメディア忖度し自らが容易に手放す、ということです。木鐸についている舌(振り子)は、鳴らすべき側の手で容易に引きちぎられます。

この、おそらく避け得ない保身とか組織防衛の姿勢の下、稀に冤罪を取り上げた番組がNHKで放送されます。精査してみると、掘り下げ不足だったり、茶番に映ることも少なくありません。ある種のガス抜き、溜飲を下げるため?といった疑念を払拭できないでいます。

例えば、少し前にNHKから

「“冤罪”の深層~警視庁公安部で何が~」

の番組名で大川原加工機事件を取り上げた調査報道が放送されました。ウィキペディアに経緯がありました。

大川原化工機事件

この経緯と、検索で知り得た他のソースからの詳細で、何が取捨選択されて該番組が制作されたのか見てみます。下図は上記番組で警視庁公安部の組織図の一部です。外事第一課第五係が中心となって、スプレイドライヤの不正輸出容疑で大川原加工機の捜査に当たりました。管理官や係長ら捜査幹部が、警部補など約20人の捜査員を指揮していたとも放送されていました。


又、該装置を輸出規制の対象とすることに当初難色を示していた経産省が強制捜査を容認する下りがありました。ここでは公安部長の働きかけが仄めかされています。

更に、
第五係幹部らは『お前の“できません”のひと言でダメにできる案件じゃないんだよ。警視総監までいっている話なんだから』と発言していた
といった証言もありました。

何人もの捜査を差配する権限を持つ警視庁の上級幹部が登場しています。

この事件は、不正輸出の法的根拠となった外国為替及び外国貿易法違反については東京地検の公訴取り下げで終結しました。それでも地検の担当検察官は
当時、起訴すべきと判断したことは間違っていないと思うので謝罪の気持ちはない
とコメントし、取り下げに至った経緯は闇の中です。一部には、
東京地検には、詫びるどころか『本当は立件できたのに取り下げてやったんだ』というような傲慢な雰囲気を感じましたね。
といった声もあるようです。いずれにせよ本事件に対する地検の対応は公訴取り下げの事実を除いて、上記番組では全く触れていません。不自然な印象を拭えません。

本事件を知る警察関係者は、捜査を担当した公安部外事一課第五係の係長、現場捜査員は勿論、第五係担当の管理官、外事一課長、公安部長、警視総監でしょうか。加えて該外事一課は、大川原加工機の外国為替及び外国貿易法違反の捜査、立件で警察庁長官賞と警視総監賞を受賞していますから、顕彰の選考関係者も事件について知り得る立場にあります。

この中、番組内でNHKが接触して何らかの応答のあった警察関係者は、(捜査当時の)公安部長、第五係の係長、及び、大川原加工機に有利な証言をした現場の警部補が二人、捏造に関わったとされる現場の警部補が一人です。(真偽を確認できない匿名の警察関係者は除きます

ただ、
元公安部長:コメントする立場にない
第五係の係長:うるさいな
という応答は実質応答なしです。前記第五係幹部らの発言にある警視総監は勿論、該第五係幹部からも、外事一課長、第五係担当の管理官も応答なしです。加えて、上記警察庁長官賞と警視総監賞は後に取り消しとなりましたが、捏造事件が顕彰に至った選考過程の検証も不明のままです。

結局、現場の二人の警部補が事件の捏造を証言し、別の警部補が捏造した弁解録取書の廃棄について過失を証言と。具体的な証言はこんな処でしょうか。

つまり、公訴取り下げに至った本冤罪事件を、捏造であっても過失他であってもあくまで現場レベルでの出来事に矮小化して収束させようという意図があったのでは、ということです。その意図も実は警察と検察に加えNHKも打ち合わせた結果ではないか、という疑念も抱いています。

加えて、大川原加工機の社長などが本冤罪事件について国と東京都に対し賠償を請求している裁判で、捜査と起訴に関わった担当検事による証言が報道されています。
原告側の弁護士から長期間の勾留や、その間に1人が亡くなったことについて謝罪の気持ちがあるか問われると「当時、起訴すべきと判断したことは間違っていないと思うので謝罪の気持ちはない」と述べました。

一方で、起訴取り消しとなったことについては「検察官として真摯に受け止めるべきだと思う」と話しました。
”間違っていない”ということは、検察官一体の原則に反する文言ですし、何より再び冤罪を生むことに躊躇しない、ということです。となると、後段の”真摯に受け止める”は起訴取り消しにならないよう、もっと粗のない筋書きを組み立てる、と解することができます。

本冤罪事件に関わる、警察、検察の責任ある立場の関係者からのコメントは何処にも見当たらず、上記証言がそれらしきコメントになります。

番組のタイトルが「“冤罪”の深層~警視庁公安部で何が~」ですから、上記検察官の”間違っていない”という文言を番組で取り上げないのは、警察官の文言ではないという理由が通るわけです。

以上を鑑み、総合的に判断すると、



(追記していきます)

2023年9月18日月曜日

幻想

 残念至極です。

信頼できる政府というものは空想上の産物なのかもしれません。各々についていちいち言及しませんが、マイナンバーカードに纏わる数々のトラブルを見聞してのことです

まぁ、例えば年金記録問題や、新型コロナが蔓延した際の新型コロナウイルス接触確認アプリ(cocoa)の不具合等、政府主導の大規模システムで起こった過去のトラブル事例を思い起こせば、案の定といった処で、違和感も意外感も抱きませんでした。

言い換えれば、マイナンバー関連でこれまで露見した問題は、過去の事例を検証していれば殆どが回避し得たトラブルである、ということです。検証しない、顧みない、点検しない...お粗末の一言です。

行政(人、組織、施策)が前提としている無謬性こそが過ちを繰り返させている根源なんでしょう。もはや、旧くから継承されてきた日本の伝統的体質と言っても強ち外れではないと思っています。

過ちて改めざる、これを過ちという

当にこの言葉通りですが、更なる言及は別の機会にします。冒頭の”残念至極”は、上記体質に対してではなく民主主義システムの効率化への道が閉ざされた、少なくとも遠ざかったことに対する失望感です。

マイナンバーカード総合サイトによれば、

マイナンバーカードとは、マイナンバーが記載された顔写真付のカードのことです。
マイナンバーカードは、プラスチック製のICチップ付きカードで券面に氏名、住所、生年月日、性別、マイナンバーと本人の顔写真等が表示されます。
本人確認のための身分証明書として利用できるほか、自治体サービス、e-Tax等の電子証明書を利用した電子申請等、様々なサービスにもご利用いただけます。

とあります。この全く個人に帰属する唯一無二であるはずの情報を、住民票や健康保険の情報、公金受け取りに使う銀行口座と紐付けることで多様な公的サービスに活用する、という目論見でした。自動車の運転免許証にも、という話もあったかと。

ところが、この紐付けが過ったケースが散見されています。無二のマイナンバー(個人番号)が割り当てられた個人に、例えば同姓同名の他人の住民票や健康と、保険の情報がリンクしていたり、当人名義ではない銀行口座が登録されていたり混乱を招いているわけです。

そうなると、本人確認のツールとしてマイナンバーカードの信頼性が失墜するのは、まぁ、当然です。例えば、マイナンバーカード記載の情報と、マイナンバーカードを利用して発行した住民票の情報、正しいのはどちら?といった話になります。

「私たちのふだんの暮らしでは、免許証やパスポートが、身元確認の役目を果たします。では、顔が見えず、成りすましも簡単なオンラインの世界で、身元確認や本人確認をどうするのでしょうか。その役目を担うのが電子証明書を内蔵しているマイナンバーカードです。それゆえに、マイナンバーカードは『デジタル社会のパスポート』と呼ばれています」

上記は、岸田総理の記者会見での発言のようです(R5.8.4 総理官邸)。言葉通りに受け止めるならば、マイナンバーカードが本人証明を担保する力は、保険証は言うに及ばず、免許証やパスポートを遥かに上回って最強です。

この本人確認に対する絶対的な無謬性は、民主主義社会を成立、維持するための礎である選挙に欠くべからざる前提です。マイナンバーカードについて巷間には賛否がある中、カードの取得をアメとムチのような施策で牽引してきました。前者はマイナポイントで国民の頬を張り、後者は現行の保険証廃止でカードの取得を促すというか強いるというか...

この辺りの話を見聞していると、

何だか程度が低いなぁ、真っ先に選挙に活用しないのは何故だろう。意図的か?

という疑問が生じました。健全な民主主義社会構築に資する格好のツール、というのが初めてマイナンバーという制度を知った時の素直な印象ですから。マイナンバーと健康保険証や運転免許証とのリンクは確かに社会の生産性向上には寄与しますが、生産性だけでなく社会の質、民主主義社会の健全性を高め、より賢い社会を構築するためなら、マイナンバーの選挙への活用が優先されて然るべきです。

マイナンバーカードの支持/不支持を問われた時、小手先の生産性向上のためだけに導入するのであれは失望し不支持です。社会の質を高める目的で、選挙で優先的、積極的にマイナンバーカードを活用しようという姿勢が覗えれば支持、というのが私の立ち位置です。残念ながら、現状では上記の如く失望感が否めません。

総務省から、”いろいろ便利になる”とアナウンスされつつも、マイナンバーカード選挙に活用しようという話は噂ですら聞きませんまぁ、現在の混乱を見れば...賢明なんでしょう。

ただ、選挙の度に低迷し続ける投票率が嘆かれてきた中、選挙制度にネット投票の導入を求める声は少なからずありました。投票行為に対する時と場所の制限を緩和し、より軽便で低コストの選挙を実現するための手法としてネット投票とかリモート投票が提言されてきたわけです。この、投票に対する時と場所の制限緩和が、幅広い民意を政治に反映させるために必須であることは間違いない処です。(ただ、幅広い民意が政治に反映された結果、例えば、問題先送り、大衆迎合政治、国家主義社会、統制社会を自らが選択してしまう危険を排除できないのは勿論です。民主主義による選択と最善の選択は必ずしも符合しないことは記しておきます。)

かなり以前、該このようなインターネットを介した投票に否定的な声として

”なりすましを排除できない”

とか、

”全ての有権者に洩れなくネット投票が可能なわけではない

といった意見を見た憶えがあります。

改めて、ネット投票を巡る現況を検索してみた処、意外な動きがあることに驚きました。

インターネット投票の最前線
実現できるか 山積する課題

上記リンク先によれば、つくば市が2024年10月の市長選挙と市議会議員選挙で、全国初のネット投票の実用化を目指している、とのことでした。全く存じませんでした。この結果は、公職選挙全般へのネット投票導入の試金石です。どのような課題解決を経て実現されていくのか、強い関心と共に観ていきます。



(追記していきます)

2023年9月10日日曜日

保身

テレビ朝日系の番組が視られなくなったようです。当地では名古屋テレビの放送が映らないということです。といってもHDDレコーダでは受信できていますから、テレビ〜レコーダ間接続の接触不良なんだろうと。

で、視聴できずとも何ら困らないわけで、まぁいいか、と放置しています。巷間、ジャニーズ事務所の性加害事件が騒ぎになっていますが、その加担責任についてテレ朝がアクションを起こし出すまでは打っ遣っておくかもしれません。

それに対し、さすが天下のNHKです。テレ朝系以外の他の民放の映像が不安定になっても安定して放送が映ります。

NHKの担っている役割を鑑みれば、特段の意外感もなく腑に落ちるます。なんと言っても、体制の意向に沿って、煽動や誘導、操作といった情宣活動の重責がありますから。

この情宣活動を担う体制の尖兵というメディアの本質に着目すると、戦中戦後、ジャニーズ事務所全盛期と現在、両者には通底した報道姿勢が伺えます。この情宣活動は、戦時中であれば、国益優先で国威発揚、戦意高揚を企図したもので、事実や公共の福祉より重視していたのは間違いありません。

この情宣活動を担う体制の尖兵というメディアの本質に着目すると、戦中戦後、ジャニーズ事務所全盛期と現在、両者には通底した報道姿勢が伺えます。

戦時中、NHKは軍部に追従する戦争協力団体でした。戦後は自らの過去の情宣活動を棚上げした、日中戦争、太平洋戦争関連の番組がてんこ盛りです。毎年、7月下旬〜8月6日、8月にかけて、以前の番組の再放送と共に、新たな戦争関連の番組が放送されています。ほぼ全ての番組が、NHKは旧軍部とは一線を画していた、若しくは協力を強いられたかのような雰囲気を漂わせた作りになっています。

戦争協力団体としての過去を隠蔽、つまり、軍部と距離を取っていたかのような戦争関連の検証や記録番組で、戦時下におけるNHKの情宣活動を塗り潰そうとしているのでは、といった印象を抱くわけです。過去の行状の改竄とも言えるかと。

同様の印象を今般の性加害事件の報道姿勢に感じた次第です。一連の報道では、”メディアの責任”とか、”自省しなければならない”といった文言を耳にします。こういった免罪符的な言葉を盾に、飛び火させない、自らへの糾弾の視線を逸らすための、該事務所に対する執拗で強硬な姿勢にも映ります。

間違いなく、女衒、ポン引き、遣り手婆、幇間は存在していたと考えます。”自省しなければならない”を言葉通りに受け止めるならば、叩きやすい故人だけでなく、ジャニーズ帝国隆盛の当時、強大な力を与える結果となった帝国への協力者も詳らかにされるべきです。

身を切っての全容解明が求められるわけですが、上述の戦争関連の番組制作姿勢に照らし合わせれば、全容は闇の中というのが予測される結末です。今般の事件の端緒となったBBCの報道と同じくガイアツに頼らざるを得ないのも嘆かわしい話です。