2015年11月21日土曜日

表裏

ここ最近、NHK朝ドラ”あさがきた”を何気なく見ています。

幕末から明治維新にかけて、大阪有数の両替商に嫁いだ女性のドラマです。江戸から明治の激変期、主人公のあさは貸付先である諸藩の貸し倒れを不安視し、貸付金の回収に奮闘します。

宇奈山藩の蔵屋敷に日参、足軽部屋に押し込まれるものの居座って、一部貸付金の回収を成し遂げます。ドラマ中で、貸付金の取り立てにやりがいを感じる...返してもらえるまで居座る...

現代なら、貸金業法違反では?踏み倒しが予想できたにも関わらず、貸付の申し出に応じざるを得ない封建的時代背景があったのかもしれませんが。

いずれにせよ、正当と不当、道理と理不尽を分ける境目の曖昧さ、視点による揺らぎのようなものを感じた次第です。

これはドラマにおける女性の描き方からも感じます。朝ドラには、実在の女性の半生・生涯を題材としたシリーズが数多くあります。

ドラマの進行中に太平洋戦争戦後混乱期を含むシリーズも少なくなく、そういった作品では軍部の暴走、同調圧力が、石礫、”非国民・売国奴”と書かれたビラ、盲信的な国防婦人会による虐め、憲兵や警察の横暴といった形で具現化されてきました。戦争の理不尽さ、悲惨さ、即ち平和の大切さと厭戦・反戦を伝えると共に、愚かな為政者が国を司ることへの批判が見て取れます。

そういった全体主義時代の下で体制に翻弄される民間人の弱さ、この弱さが見る者に共感を抱かせ人気を呼ぶのでしょう。
 
ただ、現政権への配慮でしょうか。本シリーズの時代は幕末から昭和初期にかけてであり、おそらく太平洋戦争期は含まれないかと。

このシリーズでは、大阪の両替商が、大名貸しの焦げつきや、銀目廃止に伴う取り付け騒ぎで窮地に陥るわけですが、翻弄されるのは有数の両替商であって一民間人ではありません。後の政商です。

明治新政府への批判的な姿勢も憚られたのかもしれません。NHKですから。

で、”だす。”、”どす。”、”お家”、”旦那様”、”びっくりポン”、”燃える石”といった語を耳にしつつドラマを眺めていると、少子化、女性の社会進出、人権という今日でもしばしば論議を呼ぶキーワードが去来します。

この時、一体このシリーズは当時の旧習、旧弊を肯定したいのか、理解に苦しむことが少なくありません。

炭鉱事業の成功に向けて奔走する主人公”あさ”と新次郎夫婦が、なかなか子供に恵まれないことに対し、新次郎の母よのは妾を囲うことを進言...

当時から、女性が働くことと出産・育児は両立させ難かったと...えーと、その答えが妾を囲う?珍しいことではなかったとのナレーションも挿入されていた覚えもありますが、肯定したいのか。

女性の社会進出もその一因である可能性を否定しきれない少子化、この対策が”妾を囲う”...一寸、いや、断じて違います。

なんだか、”家政婦は見た”とダブる、お付きの女中とか、”お家を守る”、”旦那様”...そういった旧来からの身分制度、家父長制度を含む権威主義礼賛のような雰囲気がドラマ全体に臥していて、違和感を禁じえないでいます。

そういった違和感の最たるものが、
――相手を負かそうと武器を持つ。相手は負けないようにそれより強い武器を持つ、そしたらこっちはもっともっと強い武器を持とうとする。――

という新次郎の台詞です。九州の炭鉱で主人公あさが炭鉱夫を何とか働かせようと奮闘していた時、力ずくで物事を解決することがすべてではないことを、あさに伝えた言葉です。

ISISのテロに対する欧米諸国のシリア空爆について、NHKの思いを代弁しているのだろうか?思いが過ぎりました。

ドラマ中に反戦、平和のメッセージを織り込みたかったのでしょうか。ただ、明治維新という日本の大きな転換期において、炭鉱事業がどんな位置付けだったのかを慮れば、件の言葉も”なんだかなぁ”といった印象です。
――お前が言うか?――
石炭というエネルギーが何に利用されるのか。ドラマ中では陸蒸気の燃料として取り上げられていますが、殖産興業と富国強兵という掛け声の下、軍備増強の目的で石炭が求められていたのは間違いないところです。

当時の石炭事業はどう見たって軍需産業としての位置付けを否定できず富国強兵政策の一翼を担っていたわけです。”相手を負かそうと武器を持つ”、その礎となる石炭事業の推進にあたって、件の台詞を吐かれても...

言行不一致との誹りを受けても致し方ないのでは、と考えます。

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