先日、俳優田中邦衛氏の死去が報道されました。これを一つの機会として、氏出演の代表作であるドラマ「北の国から」について思う処を記してみます。当時の放送をリアルタイムで観てはいませんが、好評を博し多くの視聴者を惹きつけたドラマだったかと。概略については上記リンクに譲ります。
特段、是非を云々したり批判する意図はなく、”「北の国から」とは何だったか”、そういった視点から考えてみました。
1.真実性
言うまでもなく該ドラマは倉本聰氏が原作、脚本を手がけた創作です。それが今尚話題性を保っている理由の一つは、ドラマで醸成されたリアリティにあると確信しています。以前のエントリでも記しましたが、フィクションにリアリティを持たさせる典型的な手法は事実や史実の脚色、というか歪曲です。
その実例は社会派と称される小説、歴史小説、著名人の人物伝、朝ドラ、大河ドラマと枚挙に暇がありません。
――死ぬときはたとえどぶの中でも前のめりに死にたい――
漫画、「巨人の星」の中で坂本竜馬の言葉とされていますが、原作者による創作です。
事実に虚構を織り込んでいき、あたかも全てが事実であるかのごとく刷り込んでいく、その印象が強い場合には虚実の逆転すら引き起こすと。このように虚構が事実して独り歩きを始め、それが是正されないまま既成事実化した例も珍しくありません。
では、「北の国から」はどのような手法で視聴者に現実感を抱かせているか。事実というか実際の”出来事”や”実在した人物の言動”の流用の程度は小さいのではないでしょうか。
代わってリアリティを感じさせるものとして使用された道具が北海道の自然という舞台です。撮影方法により映像に演出を加えることはできますが、北海道、富良野辺りの自然(=事実)の上に創作を立脚させることで現実感を醸し出しているのではないか、と考えます。それを狙ったのか、結果として、なのかは存じませんが。
富良野の四季折々の自然に加え、離農、冷害、無農薬農法、高齢化、過疎といった農業が直面している事実を織り込んで具現化?昇華?したドラマが「北の国から」である、という認識です。
2.話の筋立て
子は親を選べない
フランケンシュタインの誘惑(5)「愛と絶望の心理学実験」
母親の虐待の研究をするために、サルに苦痛な刺激を与える母親を作り出し、揺さぶるような親に対しては、懸命にしがみつき、針金で刺すような母親からは一時的に逃れるが、そのあとやはり、母親のところに帰っていく。
「中学校に行く気はありませーん!」 元小学生ユーチューバー・ゆたぼんが不登校を宣言現行の教育課程を受け入れろ、従え、という話ではありません。その適否はさておき、より多くの選択肢、より大きな自由を獲得するための手段として教育が蔑ろにされること、そういった風潮に批判の声が上がらないことに違和感を覚えた次第です。
差別だけでなく格差や貧困の解消、何も持たない人間の自立には、残念ながら教育以外に手段を見い出せません。 40年ほど前に放送されたドラマだから、と言われれば致し方ない話かもしれません。マララ・ユサフザイ氏のスピーチもその後のことですから。
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