2019年9月17日火曜日

風土(11)

「表現の不自由展・その後」の中止騒動が勃発する直前に京アニ放火事件が起きました。先述しましたが、被害者遺族の中には実名の公表を拒否された方もいました。それにも関わらず、NHKは”実名を報道することが必要”と考え、”遺族の方の思いに十分配慮をして”、実名を公表しました。

しかしながら、必要な理由の具体的説明、遺族に対する配慮の内容は依然明らかにされていません。こちらも議論のきっかけを投げかけた状態で止まっています。NHK側としては既に結論が出ているとして議論するつもりはないのかもしれません。
公正中立な放送を行うNHKが必要と判断したのだから遺族が望まなくとも、拒否したとしても実名を公開する
この姿勢に全く独善的な意志を感じます。実名公表を報道の使命と責任に依るものと位置付けているのはNHK側の論理であって、見方を変えれば弱者の意向を無視したNHKというメディアの力を背景にした強者の傲慢な姿勢に映ります。

この場合、NHKを実名公開へと駆り立てたものは報道の使命と責任ということですが、報道の自由を制限されることへの反発もあったのでは、という勘ぐりを捨て切れません。率直に言えば、
いちいち取材先の意向を聞き入れていたら自由に報道できない
そういった業務が制限されることへの組織防衛や、それまで認められてきた報道の自由の幅が狭められることへの危機感の現れのような気もします。

翻って「表現の不自由展・その後」です。9月5日のNHK クローズアップ現代でこの騒動が取り上げられていました。
「表現の不自由展・その後」 中止の波紋
視聴した処、番組製作側の著しい偏向姿勢を感じました。抗議や脅迫で展示中止に至った経緯が説明され、”中止の判断は誤り”という批判へと続く流れでした。で、「表現の不自由展」の実行委員会側からはインタビュー映像が放送されました。展示中止の決定が批判されています。他、表現の自由を主張し展示を求める側はスタジオにゲスト出演して意見を開陳したり、番組向けにコメントが伝えられました。その一方、展示中止を主張する側については河村市長の会見映像を切り取って放送するなど過去の素材の使い回しでした。展示中止を求める側の理由に関してはは全く取り上げられていません。

つまり、主張が対立する両者の意見を公平に取り上げず、表現の自由を主張する側を偏重した構成になっていたわけです。まぁ、それ以前に議論すべきは、”表現の自由”が認められる条件は何かであって、果たして「表現の不自由展」はその条件を満たしているか否か、です。そのあたりの議論が深まらないように避けて、ただ”表現の自由”を声高に求めるという番組内容もどうなんでしょうか。底が浅いと言わざるを得ません。

上述した京アニ放火事件被害者の実名公開の場合と同様に、自由が制限されることへの防衛本能でも働いているのだろうか、とさえ思ってしまいます。視座によっては独善的、身勝手にも見える報道ですら可能にする報道の自由が脅かされることなく、既得権として護持したい、そんな思惑が垣間見える気がします。

それだけではなく、「表現の不自由展」で掲げられた慰安婦像の説明と、番組で放送された該像の作者の作品説明との食い違いも指摘されています。
英語の解説文には、「Sexual Slavery」(性奴隷制)という言葉があり、「性奴隷」の象徴としてこの少女像が存在していることがしっかり記されていた。
説明書きを読んでみると〈1992年1月8日、日本軍「慰安婦」問題解決のための水曜デモが、日本大使館で始まった。2011年12月14日、1000回を迎えるにあたり、その崇高な精神と歴史を引き継ぐため、ここに平和の碑を建立する〉と書かれている。
(略)
しかし、クローズアップ現代には少女像の作者が登場し、「(これは)反日の象徴として語られていますが、私たちは平和の象徴と考えています。(戦争の)悲しみと暗い歴史を語る象徴なのです」というインタビューが放映された。
クロ現「表現の不自由展」特集で痛感した「NHKという病」より
真偽は判りませんが、事実であればあからさまな印象操作です。こういった視聴者を誤認させる印象操作を行う自由も護持しておくためにも、”自由”の必要性を訴える番組構成を企図したのかもしれません。

公平で中立を装って、その実、偏向した番組を放送するというのは悪質です。(池上彰氏がよく口にする)注意して視ていないと知らず知らずの内にそれが”正しい”と刷り込まれてしまいます。油断も隙もあったもんじゃない、というのが該番組の素直な印象です。


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いずれにせよ、愛知県とか名古屋市が文化とか芸術事業に手を出すとロクなことにならないわけです。向いていないことを実感します。下手に迎合するすることなく、都市ブランドイメージ調査の、最も訪れたくない、魅力ない街の座を守ってほしいものです。愛知県や名古屋市が果たすべき都市や地域の役割、機能はそんな処にはありません。ヨソ者を受け付けない排他的な地域、観光客に厳しい都市といった評価を一層高めてほしいものです。

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