2019年9月12日木曜日

風土(9)

津田大介 あいちトリエンナーレ2019 芸術監督

当初は、大村知事と同様に、”表現の不自由展・その後”に対する展示中止の圧力を、表現の自由を理由に撥ねつけようとしました。
行政はトリエンナーレのいち参加作家である表現の不自由展実行委員会が「表現の自由の現在的状況を問う」という展示の趣旨を認めているのであって、「展覧会内で展示されたすべての(個別の)作品への賛意」ではないという立場です。その前提に則りお答えすると、行政が展覧会の内容について隅から隅まで口を出し、行政として認められない表現は展示できないということが仕組み化されるのであれば、それは憲法21条で禁止された「検閲」に当たるという、別の問題が生じると考えます。「表現の不自由展・その後」について津田大介芸術監督が会見を行った際に配布したステートメントです(2019年8月2日)
ところが、騒動が大きくなるに従い、芋引いて知事の中止決定を支持し、一転、”実現は難しいと伝えたが実行委員会から拒絶された”と釈明しました。
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告
で、騒動勃発以前に遡ってざっと検索してみた処、「表現の不自由展・その後」についての情報は7月下旬まで殆ど見つかりませんでした。箝口令でも敷かれていたのか、後戻りできない時点まで内々で準備が進められていたとの印象です。河村たかし会長代行にも知らされていなかったようですから。”意図して秘密裏にことを運んだ”とみるのが合理的です。

これは、実行委員会に言わせれば、検閲を受けて改変や中止を迫られることを避けるためということなんでしょうが、言い換えれば物議を醸す、騒動が起きる可能性を十分認識していたということです。秘密裏に進めて開催日さえ迎えてしまえば展示を続けられるといった腹づもりだったのか...向き合い方が幼稚というか、そうまでして展示を強行させる実行委員会の独善性が不思議です。手放しの表現の自由を求めることの正当性は一体何に依拠しているのか、そこまでの利己的姿勢を形成せしめる行動原理の正体は何か、それはそれで気になる部分です。

数少ない公開情報としては、

”津田大介と東浩紀による「あいちトリエンナーレ2019が始まってもないのに話題沸騰してるけどその裏側を語る...”
あたりでしょうか。現在は公開終了になっていますが、
東「天皇が燃えたりしてるんですか?」(略)津田「2代前だし歴史上の人物かな、みたいな」 津田大介氏と東浩紀氏のあいちトリエンナーレ対談動画で国会参考人招致を求める声も
から断片的に内容を窺い知ることができます。これはおそらく観測気球で、「表現の不自由展・その後」の内容を小出しにして巷間の反応を見てみたわけです。この時にはそれほどの支持も抗議もなく、”大丈夫なんじゃないか”と気にすることなく展示に踏み切った結果、御存知の騒動と相成ったわけです。

まさかここまでの騒動になるとは想定外だった、たかをくくっていた、ということだったのでしょう。それは7月上旬のインタビュー、
やりたいことをかなり自由にやらせてもらっています。ほかの芸術祭と違って、あいちは事務局50~60人が全て県職員。普通はイベント制作会社や広告会社に投げることが多いはず。県職員の毎回3分の2が入れ替わる分、芸術監督に与えられている権限は大きい
や、 掲載写真の説明文
大きなイベントを手がけるのは初の経験。「自分にはイベントをプロデュースする適性はあるなと思った」と話す津田大介・芸術監督<金曜カフェ>ジャーナリスト・津田大介さん あいち芸術祭 監督としてより)
といった自信たっぷりの発言からも明かです。ある程度の物議、騒動は予想してというか、むしろ期待して開催してみたわけです。自分たちが「表現の不自由展・その後」の意図を説明すれば騒動は想定の範囲内に制御可能だろうと。ところが、いざふたを開けてみると名古屋市長まで参加して展示中止一択の爆念状態になったしまいました。この状態までは想定してなかったはずです。瞬く間に中止に追い込まれ謝罪と弁明するはめに陥って今日に至っています。

これを見通しが甘すぎた、その任に能わずと断じてしまえば、事はそれで終りの話ではあります。しかしながら、上記のあいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告内にある、
《平和の少女像》の具体的内容や背景
の記述内容を読んでみて、ここにはむしろ、炎上するべくして炎上した理由、或いは、意図的に炎上させる仕掛けが在るのではないか、と思料しました。ちょっと考えてみます。

記述内容には
《平和の少女像》は正式名称を「平和の碑」と言い、「慰安婦像」ではない、と作者が説明しています。
とあって慰安婦像であることを否定しています。ただ、慰安婦像を想起させ、慰安婦問題の象徴として日韓で受け止められていることは周知の事実です。全てではないにせよ、そう認識している多くの人々にとっては、”慰安婦像ではない”との説明があっても見方は容易には変わりません。むしろ、その実状から目を逸らし、あえて伏せている印象を抱きます。意図的だったとか、偶然、結果としてとかはともかく、実状に触れない説明では炎上するのも道理です。

上記説明が、東京 練馬で催された最初の展示会の説明としてならまだ理解できます。しかしながら、「表現の不自由展・その後」における《平和の少女像》の説明としては全く的外れです。撤去や拒否によって展示が中止となった理由や経緯の説明、つまり、”最初の「表現の不自由展」という場における《平和の少女像》の位置づけ”こそが「表現の不自由展・その後」における《平和の少女像》の説明となります。”慰安婦像を想起させ、慰安婦問題の象徴として利用されている”実態に触れないまま、最初の、元々の説明を繰り返しても無意味です。

上記説明で、《平和の少女像》展示に反感を持っている人々の理解を得るつもりだったとしたら、あまりにも思慮が足りないというか、間抜けです。そういう意味で、実は意図的にというか、いけしゃあしゃあと実状を伏せて”慰安婦像ではない”と説明すれば、確信的に炎上させたとの批判を浴びるのも当然です。

まぁ、元々”そんな説明などそもそも読まれない”から直情的な反発が抗議や恫喝という形で具現化したのでしょうけど。

上記の説明が、その説明で理解を得ることができるとした本意によるものか、或いは炎上の確信犯として用意した口上であるかは知る由がありません。過失か、故意か、いずれにせよ、このような場面では常套句である
そんなつもりはなかった
を取り入れた弁明が行われます。頻繁に耳にする文言です。イジメやハラスメントの加害者、失言をした大臣からなど、巷は”そんなつもりはなかった”で溢れています。新たな使用例が加わったわけです。

やはりこの時、
――もし、誤解を与えているとしたならば、私の不徳致す処です。お詫び申し上げます――
と定形の枕詞をつけて形ばかりの謝罪を行っても良かったのかもしれません。そうすることで炎上から批判、謝罪へと続く一連の演舞?形?を披露することができました。

ともあれ、当事者が”自由”についての確固たる姿勢、そして周囲を理解させる合理的説明を欠いたまま
――議論のきっかけになればいい――

で立ち止まっていれば騒動は避け得ず、まぁ別の誰かによっていずれ再発するんだろうなと、思った次第です。


次のエントリでは「表現の不自由展・その後」実行委員会の言動について記してみます。

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