未だ収束する目処が見えないコロナ禍の中で、
――ゼロリスク(感染者、若しくは死亡者ゼロ)を求めるべきではない――
――社会は一定程度の被害は許容すべきだ――
――許容できる被害は受け入れて経済活動を続ける
べきだ――
或いは
――経済活動を止めないためにある程度の被害はやむを得ない――
といった論調が目につくようになってきました。損益とか費用対効果、生産性の視点からは、この考え方には合理性、妥当性があるのはその通りです。
それはおそらく、この合理的な考え方の中にいくつかの整合性のない部分、詳細を詰めていくと論理性を欠いている部分が窺え、そこにもやっとした違和感を覚えるのだろうと思料しています。
そういった部分に論理的で明解な説明が与えられることを願っているわけですが、未だ得心できる論考に遭遇できていません。自分自身の立ち位置は、上記考え方を否定する意図は毛頭なく、むしろ不明瞭な部分、首肯するに当たり引っかかる部分が解明、解消され、素直に該考え方を支持したい立場であることを明確に記しておきます。
こういった話題の場合、しばしば、
――そんなことを言っていたら何もできない――
――それなら対案を出すべき――
的な意見を見聞しますが、これこそ非論理的な応答の最たるものです。論点を逸らすことで異論や疑問を封じ込め、自らの主張を不可侵にしようとする姿勢にはとても与することはできません。
例えば、太平洋戦争において、対米開戦を上奏した旧海軍、旧陸軍にも、米国との国力差を鑑みて”戦勝の見込みはない”という認識が少なからずありました(海軍軍令部条約派や陸軍主計課)。であるにも、対米開戦の口火となる真珠湾攻撃を仕掛け、その後は周知の通り敗戦に向かうわけです。
”短期の攻撃で早期講和に持ち込む。そこで有利な講話条件を引き出すために日本の戦力を誇示する。”
といった考えもあったようですが、結果は記すまでもありません。その目論見は勿論外れたわけですが、仮に真珠湾攻撃以降、局地戦での連勝があったとしても、
”あれっ!案外いけるんじゃないか?日本軍最強!”
といった勘違いが生まれ、敗戦の結果は相違しないであろうことは容易に想像ができます。本質的に軍隊という組織は拡大志向ですし。(既にそういった雰囲気は醸成されていたかもしれません。)
この開戦の意思決定の場にも、上述の
――そんなことを言っていたら何もできない――
という空気が主戦派から醸しだされていたのだろうと推察します。
1)”ゼロリスク”なる語はいつから使われだしたか
感染症でもゼロリスクを求めると、エイズや肝炎患者等の完全な差別につながる。かってのハンセン病患者の隔離もこれに無縁ではない。明治の伝染病研究所反対運動、昭和初期の荏原病院移転反対運動など、日本人が如何に感染症のゼロリスクを求めてきたか、と云う歴史のあることは 銘記してよい。
ワクチンの副作用という目の前の小さなリスクに目を奪われ、病気というより大きなリスクを招き寄せるのでは何もなりません。不確定性原理のようなもので、リスクというものは全くのゼロにすることはできず、人が何かをする限り必ず何らかの形でリスクはつきまといます。エコナの件でもそうですが、実際にはありえないゼロリスクを目指してしまう過剰な傾向が、我々の暮らしに様々なデメリットを呼んでしまっている気がしてなりません。
リスクとのつきあい方
•リスクは災害そのものではなく、その可能性の予測にすぎない
•したがって正しい予測をするためには、関連する状況を見通す想像力を必要とする
•またすべてのリスクは相互依存的である。一つのリスクが他のリスクによって相殺されることもあれば、 逆に相乗的に働くこともある。それに便益やコストとの関係も相互的である
•このようなリスクと付き合うためには、全体をシステムとして把握する広い視野を必要とする
付き合い方:つづき
•リスクには自分で回避ないし低減できるものと、そうでないものがある。
•自分で低減できるものは、自助努力するのがまず第一。例えば岩登り・ボクシングや飲酒・喫煙などは、 危険だと思えば自分で避ければよいし、またそれが可能である
•それには、まず事前に注意を払う、自己の能力をわきまえる、リスクを分散する、無理をしないなど、昔から伝わる手法は沢山ある
付き合い方:つづき2
•自分で低減できないリスク、例えば地震・食品添加物、原発などのリスクは、他者の力に依存するほかない
• そこから出てくるのが、信頼できる他者の存在である
•信頼できる相手が安全を保証した場合、私たちはそれを信用してリスク低減を相手にゆだねる
•ところがこれまで、リスク低減の主体となる行政や企業はあまり信頼されてこなかった
付き合い方:つづき3
•その最大の理由は、行政や企業が十分情報を開示せず、「知らしむべからず依らしむべし」「寝た子を 起こすな」といった政策をとっていたからである
•一方国民の方も十分な知識を持たないまま、素朴な感情論を展開していた
•これでは実りのある議論が展開されるはずがない。そこで必要なのが、関係者が問題を共考する技術である
原子力発電所の危険性とその安全対策を合理的かつ定量的に評価するため、原子力安全 委員会ではリスクの考え方を取り入れ、確率論的安全評価に基づいた安全目標の考え方を 打ち出している。(安全で安心な世界と社会の構築に向けて-安全と安心をつなぐ- 日本学術会議 2005年 P.36)
では”ゼロリスク”という語は用いられていないものの、”確率的安全評価”という語で原発のリスクはゼロにならない、ゼロリスクが不可能であることが認識されています。
原子力は、きちんと扱えば安全でも危険だと思っている人がいる(食い違いあり)。原子力は確率的に安全であるのに、不安だと思われている。合意形成に結びつける技術としてリスコミが必要だといえる。(談話会レポート「リスクとリスク認知」2009年6月18日)
「1基当たりの炉心損傷頻度は年当たり1万分の1程度以下、1 基当たりの格納容器機能喪失頻度は年当たり 10 万分の1程度以下とし、両方が同時 に満足されること」(リスクに対応できる社会を目指して 日本学術会議 2010年 P.7)
ゼロリスクはあり得ない
• 科学技術の急速な進歩によって、私たちは非常な便益を得た、自動車しかり、インターネットしかり、医 療技術しかりである
• しかしその盾の反面として、それらの技術には、必ずリスクが含まれている。例外はない
• 自動車もあの便利さの背後に、年間1万人近い人を殺す「走る凶器」の側面を持っている
ゼロリスク:つづき
• あらゆる科学技術にゼロリスクがあり得ないのは自明の理なのに、これまで関係者はそれを主張してきた
• 例えば促進側の行政や企業は、 無 謬 むびょう 主義の立場から「事故は絶対に起こらない」と主張することが 多かった
• 逆に反対派は、強硬に「ゼロリスク」を主張することが多かった
(略)
付き合い方:つづき2
• 自分で低減できないリスク、例えば地震・食品添加物、原発などのリスクは、他者の力に依存するほか ない
• そこから出てくるのが、信頼できる他者の存在である
• 信頼できる相手が安全を保証した場合、私たちはそれを信用してリスク低減を相手にゆだねる
• ところがこれまで、リスク低減の主体となる行政や企業はあまり信頼されてこなかった
付き合い方:つづき3
• その最大の理由は、行政や企業が十分情報を開示せず、「知らしむべからず依らしむべし」「寝た子を 起こすな」といった政策をとっていたからである
• 一方国民の方も十分な知識を持たないまま、素朴な感情論を展開していた
• これでは実りのある議論が展開されるはずがない。そこで必要なのが、関係者が問題を共考する技術 である
共考と合意形成の手法
• リスクに関係する人びと(stakeholder という)が実りある議論を交わし、リスクに対応するにはそれなりの 技術を必要とする
• その技術は相手を説得することではなく、フェアな情報を共有し、相互に意見を交換し、共考する技術で ある
• 具体的にはリスクコミュニケーション、コンセンサス会議、stakeholder dialogue、public participation など いろいろの手法がある 安全と安心のキーワード
• 複雑で多様な構造を持つ現代社会において、すべてのリスク対象に対して正確な知識をもって対応せ よといわれても、現実問題として困難である
• 最低限の自助努力はもちろん必要だが、残る部分をカバーするのは相手への信頼である
• 安全と安心の社会を作るためには、何よりも「信頼社会」を作ることが先決である
(次のエントリに続けます)
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