2016年10月11日火曜日

因習

因習なんでしょう。
「死んでしまいたい」過労自殺した電通の新入社員 悲痛な叫び
それが広告代理店という業態によるものか、電通という一企業に伝承され続けてきたものかは存じませんが。

同日(10/07)の電通報と電通ウェブサイトのCSR。
キング・カズらが新テレビCMに!「キリンファイア」、焦がし焼き製法でフルリニューアル
知らぬ存ぜぬの方々。

人権の尊重
電通グループは、広告をはじめ事業活動に関わるすべてのコミュニケーション活動を、人権の観点からも豊かなものにしたいと考えています。そのため、社員一人一人が人権について正しい知識を身につけて理解を深め、その知見を業務活動に生かしていくことを目指しており、電通グループ全体で各種の社員研修を定期的に実施しています。また社員の能力発揮のためにも、ハラスメントの防止を徹底し、社員の人権を守ることも、重要なテーマであると考えています。
労働環境の整備
サステナブルな社会を実現するには、多様な社員の能力を最大限に引き出して活用することが欠かせません。「人が財産」の電通では、社員が高いモラルとモチベーションを持ち、能動的に仕事に取り組める環境を整えることが、極めて重要な課題であると考えています。そのため、能力開発、ワーク・ライフ・バランス、そして健康・安全管理体制の整備の観点などから、きめ細かい対応を施してます。
(太字は本エントリで修飾)
”人権について正しい知識を身につけて理解を深め、その知見を業務活動に生かしていくことを目指して”いく過程での避け得ない事故だったということでしょうか。ああそうですか。

この悲報を目にした時、スタンフォード監獄実験を想起しました。

電通という舞台装置の上で、人々は電通マンという役を担っていたわけです。各々、管理職、部長、上司、マネージャ、ディレクタ、更には新入社員と...率先して、或いは強いられて、舞台を下りない限り配役を演じ続けることになります。

特定個人ではなく、脈々と継承されてきた電通イズムを根幹に、電通の管理職としては至極当然言動が今回のような痛ましい結果を引き起こしたとみています。おそらく、自分達もそうだったとか、育、育成の一環といった名の下に...

上記スタンフォード監獄実験では、看守でも受刑者でもない普通の人々が被験者とされ、看守役、受刑者役を演じさせられました。これは、”受刑者や被疑者・被告人などを拘禁する”という監獄本来の目的を果たすものではありません。つまり、看守役、受刑者役各々の言動に意味はないわけです。当然ですが実験であってフリですから、虚構の場です

そういった場では、被験者自らがそれまでに見聞した情報を元に役を演じるであろうことは容易に想像できます。その情報はおそらく映画、小説といったフィクションが殆どではないでしょうか。ノンフィクションの情報が皆無というわけではないでしょうが、フィクションから得た看守と受刑者についての先入観が被験者の演じる各々の言動を発現させているとみるのが妥当な処かと。

つまり、該実験では、イメージが脹らんだ、おそらく過激にエスカレートした看守像、受刑者像が演じられていた、ということです。

翻って、広告業界の雄である電通は、と考えれば、まぁ、広告代理店という業務がそもそも虚業なんじゃないかと思料する次第です。

広告代理店の業態と言えば、媒体の広告枠を顧客に販売する手数料ビジネスに端を発しますが、今日では広告の制作、マーケティング・リサーチ、イベントやキャンペーンの企画運営等も一事業となっています。まぁ、煽動、プロパガンダに関わる一切を請け負う仕事といったところでしょうか。自社の広告、或いは、イベントやキャンペーンの企画といった無形物がいかに創造的で効果的であるかの如く矯飾し、付加価値を高めるというか元々の価値に下駄を履かせ口銭を稼ぐ、といった処が率直な印象です。(個人の感想です。認知には個人差があります。)

で、広告やイベント、キャンペーンといった成果物の創出において、果たして設計、生産といった概念が含まれているのか、甚だ疑問です。顧客の要求、─これが往々にしてデスマーチの原因であるのは確かです─これを満たすことを目的に達成し得る手段を考案し、成果物として創出していく、その際、投入資源(ヒト、モノ、カネ)の最小化を図るのは事業会社として極当たり前の行動と考えます。

設計の根幹は恣意や感性ではなく論理性、合理性であるべきであって、又、効率性を考慮しない生産などあり得ません。

しかしながら、現実には、
打ち合わせは、素晴らしいアイディアのためには必要なもの。全員出席を求め悶絶8時間マラソン!
「てっぺん」(深夜0時)を超えてからの会議がカッコイイ
ワシも若い頃は残業が多かった、だからお前もできるはずだ
あるクライアントさんの担当者が異動することになり、送別会をするとなれば、もう毎晩夜中12時から部内で企画会議です。
といった話がある、(あった)ようです。理不尽この上ないぁと。

この体質は是正できるのか、についてですが少なくとも自力更生は困難です。組織内のルールとして、法令順守の名の下、労働時間の規制は徹底できたとしても、”理不尽な過重労働、パワハラの否定”といった意識改革は不可能でしょう。それが因習というものです。

今後、過重労働によるいたましい自死の再発防止策が図られたとしても、あくまで本件を受けての”仕方なく”の措置であって自発的なものではありません。ルールによる強制力で抑制するに過ぎず、本質的な過重労働の否定に至るものでは決してないのは明らかです。

児童虐待が負の連鎖として受け継がれる傾向にあるように、企業の悪しき体質も容易には排除できないのかもしれません。私企業において組織防衛は本能であって、これまでの理不尽な環境を当然と受け入れ、継承してきた集団では自己変革は不可能です。華々しい過去との決別や自己否定を意味しますから。

電通の意向を忖度しない外部委員会による調査と監査は勿論必須ですが、そうであっても根本的な変革には世代交代は欠くべからざる要件であり、相当に時間を要するのは間違いありません。
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ところで、本事件では月100時間を超える残業、即ち
長時間労働が自死のきっかけとされています。実際には、対外的な、記録にある残業が100時間であって、実質はその程度でではなかったであろうことは彼女のツイートから容易に類推できます。勿論、この残業が彼女を精神的に追い込んだのは間違いありませんが、時間という定量的な部分以上にという定性的な部分こそ大きな原因があったのでは、と推量しています。

100時間を超える残業は確かに長期間労働です。(それ以上の部分については状況証拠のみですから言及しません。)しかしながら、たとえ僅かであっても結果に寄与している、目標達成に貢献している、そういった実感が得られていればもう少し違ったんじゃないかと。それさえ押し潰す圧倒的な残業があったと言われればそれまでですが、これは今後調査が進められるべき話です。

上述の監獄実験は、女の生前のツイートから、長時間の”穴を掘って埋める仕事”を連想させたことによります。本件に対し、”100時間程度の残業など過重労働ではない”といった趣旨の意見が非難を呼び、炎上を引き起こしています。一例です。
長谷川秀夫教授「残業100時間超で自殺は情けない」 投稿が炎上、のち謝罪
しかしながら、実は過重労働の時間ではなく、質、即ち精神的な過重労働こそが問題だったのではないかと考えています。
「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」
「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる」
といった管理職の言葉からは全く生産的な印象を受けません。
 「休日返上で作った資料をボロくそに言われた もう体も心もズタズタだ」
勿論、入社一年目の新人が作成した資料など危なっかしくて使えないのは当然です。期待する側がおかしいわけで、そういった部下を使えるように仕立てあげるのが管理職の職務じゃないでしょうか。芽を摘み取ってどうする

これらは結局、労働生産性に繋がる話で、

電通「過労自殺」事件にみる労働生産性の低さ
では、広告代理店という業態を切り捨てています。そういった方向に進むのは避け得ないのでしょうが、旧来からの非効率な業務の放置は動きを加速させます。この動きを押しとどめるには生産性の向上が急務なのは言うまでもないことです。

ただ、それが可能かとなると...現状ですら適正な生産性評価がされていない虚業の業界と思われます。長時間労働の対価云々以前に、労働の質に対する適切な評価、或いは評価可能な業務の指示、この部分を蔑ろにして不毛な業務を強いられれば自虐的閉塞感が生じてしまいます

自ら(の業務)に価値を見出ださせず追い詰める、そういった環境こそが指弾されるべきと考えます。

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