2016年10月6日木曜日

退治

ルキウスさんのブログに、
「ソース多め人間」撃退さる
といったエントリがあります。無料が当たり前と思い込んでいるあんかけスパ屋「ソース多め」注文に纏わる話です。

似たような事例を最近耳にしました。

名古屋郊外で、地域振興の一策としてでしょうが、地元商工会主催でスタンプラリーを行っている市があります。該市内で参加事業者の店を廻って台紙にスタンプを集めるという催しです。所定数のスタンプを集めた台紙は、期間終了後に開催される空クジなしの抽選会に抽選権として引換られる仕組みになっています。

この台紙は、新聞の折り込み分(各世帯一枚)に加え、銀行、スーパーといった参加事業所で入手できます。例年ですと、"ご自由にお持ちください"と銀行、スーパー、コンビニに置いてあるこの台紙は瞬時になくなっていました。

一人あたり制限枚数一杯まで台紙を確保しさえすれば、スタンプの押印は無料ですから後は銀行、スーパー、ドラッグストアを廻れば、抽選権を獲得できたわけです。現在一人当たりの制限枚数は7枚のようですが、以前は制限もなかったんじゃないかと。まぁ、何度も並び直せば制限を超えて抽選に参加できるでしょうから制限自体無意味なんでしょうが。

台紙の束を持って抽選会に現れる常連が、総抽選数の中でそれなりに割合を占めてしまっている、といった話も聞いていました。振興に繋がっているとはとても言い難い状況だったんじゃないかと。

ところが、今年度はあちこちで台紙が余りまくっているようです。なぜか?

以前は、無料で、しかも手持ちの台紙全てに同時に押印できたスタンプが、
300円以上のお買い上げ、もしくはご利用をされたレシートにスタンプラリー印を押印してもらい台紙に添付してください
と規程が変更されたことによるものと推測しました。銀行でも台紙は配布するがスタンプの用意はなくなったと。

本来の意図であろう、購買による消費の活性化、振興への参画を促した途端、台紙の余剰が顕著に...

無料でスタンプを獲得できるなら目一杯台紙を集めるが、買い物がスタンプの条件となると一気にトーンダウン...スタンプのために買い物などする気はないということですか。ああそうですか。

冒頭の「ソース多め」に通底するなぁと、そのさもしさに頭が下がる思いです。

2 件のコメント:

  1. 通りすがり2016年10月8日 11:08

    人の考え方というものは様々ですね。

    「ソース多め人間」撃退さる

    私は、彼と異なった思いを持ちました。
    「ソース増量に、なんで100円取るのか。けち臭い店だなあ」と
    要は、ソース増量の対価として100円は適当かどうかということです。
    明らかに高いですよね。これは、お店のソース増量に対する拒否の姿勢です。
    「自分を通して人を見る」
    「ソース多め人間」の発想が、彼そのものに重なるのでしょう。
    「損して得とれ」という言葉がありますが。「おいどの穴のチョマイ店」です。

    石原慎太郎、嫉妬するような存在でしたかね。
    偉そうにしていたことは確かですが、彼は彼。
    別に自分の生き様の邪魔になる存在でもないし。笑って眺めている存在にしか過ぎなかったですね。「歳取りゃ、誰でも同じ」
    嫉妬するほうが、「おいどの穴のチョマイ奴」と違いますか?
    その上、「老いさらばえてみすぼらしくなった老人に対して、哀れな姿に溜飲を下げている年寄りも多かろうと思う。二十ばかり下の俺ですらそう思っているのだから・・・・」
    「溺れた犬は棒で叩け」
    どこぞの国の発想と同種なのでしょう。

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  2. こんにちは。コメントありがとうございます。

    まず、石原慎太郎氏についてですが、私自身は嫉妬心はありません。が、迷惑な存在という評価です。騒動の種を撒くだけで後は知らぬ存ぜぬ、というのは如何なものかと。典型は尖閣の募金です。誰がどう収拾するのか...是非以前に浅慮な施策、物言いが多いなぁ、というのが素直な印象です。そういった人物を担いだ民意、及び担ぐべく仕向けた力というものには関心を持っています。

    ”ソース多め”については機会をみて新たなエントリを立てるつもりでいます。

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