2019年8月26日月曜日

風土(4)

といった見出しが踊っています。(リンク切れになるかもしれません)

こうした報道を見聞していると、様々な思い、疑問が生まれ、邪推すらしてしまいます。”表現の自由”以外にこの語をスローガン、題目にした作意的な姿勢を感じてしまいます。

上記活動は、美術家、出展作家、おそらく芸術に関わる有識者が中心となったものですが、お手盛り感が否めません。かつて、個人情報保護法改正の際、メディア各社は報道の自由が制限されるとして、反対の姿勢を鮮明にしました。消費税増税の際も新聞への軽減税率適用を、当に真赤になって訴えていた覚えがあります。そういった自らが関与する活動が狭められる、換言すれば既得権が制限されることへの反発という部分で同じ印象を抱きます。

2万6千筆超の署名が集められたとのことですが、愛知県の納税者数に比し圧倒的に少数です。多くの県民が該慰安婦像の展示に反対の活動をしていないからといって、それは展示を支持しているわけではないとみています。デモや集会ではなく、法的に拘束力のある仕組みによって納税者、若しくは有権者の意志が定量化されれば、抗議や展示再開を求める圧力は大きなものではないことが明らかになります。

ところで、気になるのは上記の署名者の属性です。美術関係者が一定の割合を占めているであろうことは容易に想定できますが、その人々の国籍は全て日本なんだろうかと。事実として該慰安婦像の作者は韓国籍です。ソウルの日本大使館前を始め世界各地に設置されていて、未だ収束していない慰安婦問題のシンボルとされていることも周知の事実です。韓国では日本に対し謝罪と賠償を求める運動が続いています。不可逆的解決を目指して、日韓合意に基づき設立された「和解・癒やし財団」は解散せしめられ、収束の兆しすら窺えなくなりました。

そういった状況下、該慰安婦像の展示は上記運動を支援し、韓国を利するものであることは明白です。単に2万6千筆超という数字のみに留まらず、署名者属性の精査、分析の必要性を感じます。慰安婦問題についての日韓の諍いを有利に進めるといった政治的な動機に由来する署名はやはり排除されるべきです。

表現の自由について考える際改めて記すつもりですが、純粋に表現の自由を訴えるためだけに慰安婦像の展示再開が叫ばれているとは思えないのです。反対し難い”表現の自由”を盾に、該慰安婦像を衆目の目に晒して韓国に都合のいい印象を来場者に抱かせる、そんな意図を勘ぐってしまいます。

表現の自由を訴える作品が該慰安婦像でなければならない必然性が理解できないということです。表現の自由を最優先に訴えたいのであれば、慰安婦問題を巡る政治的意図をかんじさせない他の作品を展示すればいいわけです。その選択が採られていない処に、単に”慰安婦像を衆目に晒す自由”を求めているに過ぎないとの印象を抱きます。そしてそれが目的であるならば、上述の如く公益を害するという理由で展示再開を認めないことには十分な合理性があると考えます。

少数であっても声を大にして、政治的意図を窺わせる要求をゴリ押し、表現の自由を盾に、その裏側にはそんな姿が在るように思えてなりません。

”表現の不自由展・その後”を中止に至らしめた脅迫犯は8月7日に逮捕されました。それを受けて展示再開を求める運動も活発になっているようです。ただ、それなら再開を、という話にはならないだろうと。約5500件の脅迫や抗議の中で危険なというか、展示中止の理由にできる一件の脅迫者を取り除いただけですから。展示を再開して安全を確保し続けることができるかは別の話です。

一件の脅迫が”表現の不自由展・その後”展示中止の原因ですが、元々の”表現の不自由展”でも脅迫、抗議、或いは主催者の判断で中止に追い込まれました。それはかなり根深い嫌悪感を抱かせているわけで、軽々に展示再開を要求する姿勢にも疑問を抱きます。これは催事自体の是非とは切り離しての話です。
テロや暴力には屈しない
かつて、ISIL(イスラーム過激派組織)の支配地域ISで日本人二人が拉致されました。身代金として2億ドルが要求されたものの、最終的に殺害された事件です。上記の展示再開を求めるデモや集会関連の報道に接した時、この拉致事件が想起されました。

”表現の不自由展・その後”の展示再開の要求に応えた結果、上記脅迫犯とは別の人物によって観覧者に危害が加えられた場合を考えます。この時、展示再開を求めてデモをし、或いは署名を提出した人々は、果たして事件発生の責任を一片でも感じるものだろうか、その心情を推し量りかねています。元々そんな場合など想定だにせず展示再開を求めていたのかもしれませんし、事件が発生したとしても警備の不備を批判するだけかもしれませんけど。

どこまでの覚悟をもって、観覧者が危険に晒される恐れのある美術展の再開を要求しているのか、気になる処ではあります。

上記ISILによる日本人の拉致、殺害事件では、自らの意志で危険地域に侵入した二人の日本人が、”テロや暴力には屈しない”という根本原理に則った結果殺害に至ったわけです。自己責任といった語は公的には出ませんでしたが、巷間にはやはりその語は漂っていたはずです。

本件では、美術展を再開した場合の、身体、生命が危険に晒される恐れを排除できていないわけです。京アニ放火事件の凄惨さが鮮明な中、”自己責任で来場して下さい、テロや暴力には屈しません”といった姿勢を貫けるのでしょうか。
――電話で抗議すれば中止に追い込めることを知らしめてしまった。――
との声も上がっていますが、該慰安婦像の展示再会を来場者の身体、生命の安全より優先しようとする姿勢には疑問を抱きます。

同じ頃、
ヒグマ駆除に道外中心批判200件 札幌市対応に苦慮
といった報道がありました。似たものを感じます。”ヒトは他人の苦痛には鈍感”という事実を改めて実感した次第です。


次のエントリに続けます。

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