2019年8月24日土曜日

風土(3)

公的な資源が投じられた催事で、少女像と称される慰安婦像を展示することの適否

前のエントリと重複しますが、公益に資するか否かという視点から、例え私的な場であっても該慰安婦像を衆目に晒すことは好ましくない、という立場です。日本国憲法は公益に寄与するために制定されているとの前提で、場合によっては公害を生む、野放図な表現の自由が認められているわけではない、という認識です。その公開を阻止する法的権利を第三者が有しているかどうかは別の話としてです。

では、公的な資源が投じられた場ではどうでしょうか。公的なヒト、カネ、モノといった資源の原資は税金に他なりません。これを鑑みれば、納税者の利益(=公益)に資することが、私的公開の場合以上に求められて当然です。そんなこと予め行政の内部で判断できないものか、というのが率直な思いです。

この騒動が勃発した際、週刊文春が慰安婦像展示の賛否についてアンケートを実施しています。
74%が反対「慰安婦少女像」の芸術祭展示問題アンケート結果発表
あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止騒動
それによれば810人の回答者の中、74%が展示に反対という答えでした。”展示に反対”は即ち、慰安婦像を見たくない、見せたくないということです。74%の納税者が、という表現は正確ではありませんが、この結果から、見たくない”、”見せたくない”との意志を持つ納税者が過半数以上存在しているであろうことは妥当な推測です。

納税者の過半が拒否している該像の展示を、行政がその権限を行使して中止しないのであれば、展示が納税者の利益に資することを説明する義務が行政に課せられます。

見たくないと思っているものを”アナタのためです。だからアナタのお金で。”と、見せつける合理的な説明を愛知県が持ち合わせているとはとても思えません。


シャルリー・エブド襲撃事件が脳裏を過ります。フランスの風刺新聞がムハンマドを描写した風刺画を掲載したことが発端になった、新聞関係者、警察官の殺害事件です。事件後、フランスでは表現の自由を訴えるデモが起こったわけですが、ムハンマドの描写がイスラム教徒にとっての禁忌であることは周知だったはずです。当時、表現の自由は、して欲しくない、してはいけないと考える特定の人々の価値観をも優越するのか、と違和感を抱きました。

前述に加え、納税者の意向に沿ったものか疑義があるといった理由で、愛知県が公的資源を投入して該像を展示することは不適切であると考えます。この状況で該像の展示が肯定されるのであれば、愛知県の過剰な権限の行使であり横暴です。


次のエントリに続けます。

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