2021年10月16日土曜日

物語

東京五輪の番組視聴率が好調とのこと。どう算出しているかは知りませんが、NHKの地上波、BSの4チャンネル中、3チャンネルで、加えて民放2〜3チャンネルで同時に五輪の番組を放送していれば、そりゃ、五輪の番組視聴率は高くなって当たり前です。五輪を放送しているチャンネルの視聴率の総和が東京五輪の番組視聴率と言っても間違いではありませんから。

で、仕方なく少し前に録画しておいたNHKの「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」を観ていたわけです。トヨタ自動車の最初の乗用車開発への挑戦についての番組でした。トヨタのフラッグシップカーとなるクラウンが誰によってどう開発に至ったか、開発物語、苦労話というか、まぁ、そんな内容でした。

その中に、出てくるわけです。根性とか度胸といった語が...

当時の技術開発には体育会系的な精神論が重視されていたのか、或いは、番組制作で脚色された”技術屋の根性が完成をもたらした壮絶な物語”なのかは存じません。ただ、開発の過程で、根性と度胸で頑張ります、頑張ろうといった声が聞こえるような場からはそっと距離を取って離れていきたい処です。

尤も、開発が恙無く完了し目標達成の後には、後日談として”根性と度胸で頑張りました”はよくある話です。ただ、それは自らによる意図的な脚色で、広報、宣伝といった販促活動、或いは企業のイメージ戦略の一環とも思われます。

公正中立を自負するみなさまのNHKが手がける、いわゆるドキュメンタリとは似て非なるものです。端からドキュメンタリ風開発ドラマと捉えられれば違和感のようなものを抱くことはないのでしょうが、当時の関係者の声や実際のエピソードを番組に巧み織り交ぜて真実性が醸し出されています。

うっかりというか素直に観れば、全て事実から構成されたドキュメンタリと見紛いかねません。これは当に、社会小説におえる山崎豊子、歴史小説における司馬遼太郎的手法を映像分野に適用した手法相違ありません

”画期的な技術開発に成功”という揺るぎない事実をゴールに定め、そこに至るプロセスを演出、折々にエピソードを挟み込んで全体として事実感に満ちた物語が展開されていきます。おそらく細部の演出によって紆余曲折、七転八倒、波乱万丈、獅子奮迅、山あり谷あり、喜怒哀楽が凝縮されたドラマの完成に至るわけです。

今思い返すと、番組中でも”・・・のドラマである。”とのナレーションが入っていたような気もしないではありません。

迫真に迫る良作であればあるほど難しいわけですが、虚実を見極めないままの盲目的な物語への思い入れには危うさを感じます。本来であれば、懐疑の念など持たず素直に開発の軌跡を辿りたいと思っていて、虚構や脚色を織り込んだ嵩上げした感動ドラマは御免被りたい、というのが正直な処です。

少し検索してみると、上記放送ではありませんが、過剰演出や脚色を指摘されたり、事実と異なるとして抗議を受けている事例もあるようです。トヨタ自動車のクラウンに関して、そういった話が出ているわけではありませんが、だからといって粉飾はなかった、一点の曇りもない事実であると断定できる根拠もありません。クラウンという国産乗用車の開発に成功したという事実以外は...

やはり、話半分というか割り引いて、或いは、斜に構えて盲信しない姿勢が必要かもしれません。ウィキペディアの説明では「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」のジャンルはドキュメンタリとなっているとしても...残念です。

さて、こういったドキュメンタリ的ドラマ云々の話はこの程度にして、プロジェクトXの題材となった時代背景の流れを受けた昨今について少し所感を記してみます。

上記プロジェクトXの国産乗用車(クラウン)開発物語の中で、

──国力の少ない日本では、乗用車の開発は無理──
との、当時の日銀総裁 一万田尚登氏の発言が取り上げられていました。ドッジラインによって当時林立していた国内自動車メーカーが苦境に喘いでいた頃でしょうか。確かに、資金も技術もない上、整理解雇や労働争議が頻発していて、国産乗用車の開発が遅々として進まない環境では、そういった声が上がるのも理解できないわけではありません。しかしながら、それを国家の経済活動の舵取りを担う、極めて枢要な立場にある中央銀行の総裁が発言するか、と理解に苦しみます。それは、工業立国、技術立国であることの放棄を意味する発言です。であるならば、自国存立の糧を何に依って得るのか、ビジョンを開陳し産業を提案すべきです。

日銀総裁だから日銀券をじゃぶじゃぶ印刷するからそれで輸入車を買えばいい、ということでもないと思いますが...少なくとも、国産乗用車の事業化を中央銀行の総裁の立場から支援するのが本来の責務と考えます。”国際分業の中では日本が自動車工業を育成するのは無意味である”という意見が根本にあったとしても、であれば何を担うのかを明確にする義務があります。

この流れが、後の乗用車輸入自由化に向けた、通産省主導による自動車業界再編の動きに繋がっていったのではないかと。上記発言で作家 清水一行による企業小説です。もはや題名すら定かではありませんがマツダをモデルにしたフィクションで、おそらく「世襲企業」だったかと。ロータリーエンジンの開発によって、そういった官主導による業界再編の圧力を跳ね返す、そんな話でした。

一万田氏は製鉄の分野でも、川崎製鉄が本格的高炉を備えた製鉄所を千葉に設する計画を耳にして、

──建設を強行するなら今にペンペン草をはやしてやる──

と言ったとか言わなかったとか...

繰り返しますが、それならそれで日本が依って立つ基盤産業を明示すべきです。

親方日の丸の意に添うことなく、自動車メーカ自らの意志と力で技術開発を推し進めたからこそ、自動車産業は日本の基幹産業として今尚隆盛を誇っている、という見方にも相当の合理性があると考えます。日本の製鉄メーカが開発を進めた、高性能の自動車向け鋼板も自動車産業の発展に寄与しているのは勿論です。まぁ、

官が製造業に口を挟むと碌な結果にならない

の裏返しといった処かもしれません。

上記「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」[国産乗用車(クラウン)開発物語]の再放送後でしょうか、今度は「翼はよみがえった 前編 YS-11開発」を観る機会がありました。戦後初の国産旅客機YS-11の開発に纏わる話でした。

こちらは、1956年に通産省主導で国産民間機計画が打ち出され、(財)輸送機設計研究協会が設立された処から具体化が始まりました。

──国内線の航空輸送を外国機に頼らず、さらに海外に輸出して、日本の国際収支(外貨獲得)に貢献する──

を目的として設計・開発には国費が投入され、製造も官民共同の特殊法人である日本航空機製造が製造を担いました。紛うことのない国家プロジェクトだったわけです。

上述のように、自動車の場合には、”国力の少ない日本では、乗用車の開発は無理”と否定、自動車業界再編を主導し、一方では、国が音頭を取って国産の旅客機を開発製造すると...

何故、”国力の少ない日本では、旅客機の開発は無理”という声が上がらなかったのか不思議です。”国際分業の中では日本が航空機製造業を育成するのは無意味である”とか。

国産乗用車の開発・製造は無理だが国産旅客機なら可能とする理屈が理解できません。素人目には自動車より航空機の方が開発の難易度は高いように思えるのですが...

国が関与することなくメーカー自らの意志と力で技術開発を進めた自動車と、国主導の護送船団方式で技術開発を推し進めた航空機、その違いが一つの理由かもしれません。

自らが足を突っ込んだら、無理とか無意味とか口にすることはできなくなりますから。護送船団の舵取りや業界団体のお仕事も新たに創出できますし。

時は流れて、その結果が今日です。自動車産業は日本の基幹産業の揺るぎない一角を占めています。勿論、日本の国際収支に多大な寄与をしていることは記すまでもありません。

一方、国産航空機製造事業はどうなったか。プロジェクトXで取り上げられたYS-11はその後、飛びました、量産しました、安売りで採算割れ、生産終了の道を辿るわけです。

この開発、量産もウィキペディアによれば、ジュラルミン(部材)、エンジン、プロペラ、タイヤはもとよりレーダーや無線機も外国製品を採用とのこと。部材や部品を国産で賄った国産乗用車との彼我の差を感じます。航空機と乗用車では開発難易度に大差があるのはさておいての話ですが。

その彼我の差がその後の明暗を分けた理由という見方も強ち外れてはいないような...

そして、雌伏の時を経て再びMRJ...日本の一部界隈が沸き立ちました。

しかしながら結局、幾度となく納期が延期され、MRJからMSJへと名称を変更、最終的には、開発凍結で頓挫して今に至っています。

穿った見方でしょうが、コロナ禍による航空機需要の低迷という開発凍結の理由は渡りに舟だったようにも思えます。戦前戦後を通じ撤退できないのは日本の伝統的体質です。撤退するということは、介錯は誰がするのかとか、事業化判断の是非といった責任者や戦犯探し、時には敗残兵狩りが始まります。組織の三菱としては誰も悪くない、悪いのはコロナ、そんな凍結理由にして社内の合意形成をスムーズに進めたのではないかと...憶測です。


長くなりました。次のエントリへ続けます。

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