2020年5月5日火曜日

角度

どうも整合性を欠いているように思えます。

前のエントリにも記しましたが、コロナウィルス感染による致死率は、インフルエンザほどではないとの声があります。
アビガンを飲まなくてもほとんどの新型コロナ患者は良くなる
そもそも新型コロナウイルス感染症はほとんどの方は治癒する感染症です。2020年4月24日時点で日本における新型コロナウイルス感染症の致死率は2%未満です。つまりほとんどの方が治癒する感染症であり、アビガンを飲んでも飲まなくても良くなるということです。(アビガン 科学的根拠に基づいた議論を
との見方を医師の方が記しています。つまり、1)患者の殆どは治癒する、2)一部基礎疾患のある人、特に高齢者は重症化して死に至ることもある、3)但し、感染者全体における致死率はインフルエンザのそれよりかなり低い、と。

これまで幾度となく見聞した話です。

一方、大阪府では吉村知事がパチンコ店に対し休業要請をしていて、要請に応じず営業を継続しているパチンコ店の店名を公表する事態に至っています。このことは、営業中のパチンコ店を大阪府が告知しているとも云え、該パチンコ店に客が集中する結果を招いています。この上、日本の居住者に一律10万円を給付する「特別定額給付金(仮称)」が実施されると...
府が公表するパチンコ店の営業状況を元に、国から給付された軍資金を持ってパチンコに行く
ことができてしまいます。

1)〜3)を予断を持たず、素直に踏まえると、これらがパチンコ客の抑制力になっているか、甚だ疑問です。ヒトは見たいものしか見ませんから、1)と3)には抑制効果は期待できません。むしろ、パチンコ店に足を運ばせる安心材料になり兼ねません。

勿論、店に集まっているパチンコ客が果たして1)〜3)を知ってか知らずかは存じません。存じません。

ここから少し話を脱線させます。

真偽はともかくネット上のニュースから、休業要請に応じることなく営業を継続しているパチンコ店に集う客からの声を拾ってみると、
――全然コロナにかかってもいいやと思ってる――
――スーパーマーケットも人いっぱいいるじゃない?同じだよ、そう考えれば――
――家にいても退屈だし。感染のリスク管理は個人の問題。本当にかかりたくない人は来ないだろう――
――自分の体やから、俺はべつにどうでもええ――
――感染しないよう気をつければ大丈夫だと思う――
――ストレスをためる方が体によくない――
――新型コロナに感染しても自分のせい。一人暮らしだし気にしない。スーパーやコンビニに行くのと同じだ――
依存症的な要因もあるとは思いますが、ここでは考えません。この要因を含めると逆にそれで話が終わってしまいますから。

で、上記文言には”殆どが治癒する感染症だから”という理由はありません。少なくとも表面的には。読み取ることができるのは正常性バイアスであり、当に”他人の痛みは分からない”典型例です。

身内、知人、友人といった周囲に発症者がなく、新聞を読まず、ニュースも視なければ、まぁ妥当な行動だろうなと頷いけます。新型コロナウィルスによる著名人の死亡も別の世界の出来事ですし。

パチンコ客にとって大事なのはそれより出玉なわけですが、ただ、それではこれは特異なケースでしょうか。分かりやすく明らかな正常性バイアスの具現化例であるのは間違いありません。しかしながら、単に、同調圧力の強まる社会そのものがストレスのはけ口を求めた結果、”パチンコにストレスのはけ口を求めた”パチンコ客に焦点が当たったに過ぎない、ようにも思えます。

この正常性バイアスは危機管理におけるフェイルセイフの姿勢と逆方向に働きます。正常性バイアスが働いてパチンコ客が店に集まることと、新型コロナウィルスの国内流入の水際対策において、フェイルセイフの視点を欠いた結果として国の対策が後手に回ったことは、本質的な部分に大きな違いはありません。

戻ります。

さて、冒頭に記したように、コロナウィルスの脅威はインフルエンザに及ばない、という見方があるわけです。外出自粛、移動制限、休業、営業時間短縮と過度に恐れる余り社会が萎縮し、図りしれない経済的損失が生じている、この損失は失業者や自殺者の増加といった社会不安を引き起こしかねない、脅威はそれほどではなく収束しつつあるから非常事態宣言を解除して経済活動を再開すべき、といった意見を散見するようになりました。

”脅威はそれほどではなく”は、感染しても80%は重症化しない、感染が拡大しても致死率は小さい、ということが論拠となってます。
多くの人は感染しても全然症状がないままに終わってしまうし、症状が出ても喉が痛いとか、咳が出るとか、微熱が出るとかの軽いもので始まって、1週間ぐらいそんな症状が続き、8割の方はそのまま治ってしまいます。 (岩田健太郎「世界中がコロナ甘く見ていた理由」
該意見は、新型コロナウィルスが及ぼす健康被害の受け止め方、即ち、[感染者の80%もそのまま治癒する、20%しか重症化しない]と見方に基づくものです。しかしながら、その一方で[感染者の80%しかそのまま治癒しない、20%も重症化する]とみることも勿論可能です。積極派と慎重派に分かれるわけです。

ここで、先述の正常性バイアスが生じているグループはいずれに該当するかを考えると、勿論積極派に含まれます。

この時、矛盾というか違和感を感じるのは、コロナウィルスの脅威がインフルエンザに及ばないことを理由に経済活動の早急な再開を声高に叫ぶ一方で、パチンコ店の営業については口を閉ざしているような論調が見受けられることです。

今般のコロナウィルス禍で損失を被っているのは、旅客輸送、宿泊、飲食は勿論、パチンコやカラオケスナック、ナイトクラブ、キャバレーといった接客を伴う飲食店等の風俗業、スポーツジム、興業、冠婚葬祭、旅行商品販売も含めたサービス産業です。製造業や農林水産業に影響がないというつもりは毛頭ありませんが。

経済活動の再開を要求するに当たり、業種を限定して休業や営業時間短縮の要請解除を要求するのは整合性が欠けているように感じます。

脅威がインフルエンザ程ではないならば、パチンコ店に対する休業要請継続には疑問を禁じえません。インフルエンザ流行でパチンコ店に休業要請が出されたことなどかつて聞いたことがありませんから。

特段、パチンコを擁護する意図はありませんが、浪費、無駄遣い、泡銭、暴利はある意味、経済を廻す効率的な原動力です。観光や飲食以上に生産性の低いパチンコは、他の風俗業と並んで経済活性化には最適な気がします。

更に言えば、この”新型コロナウィルスの脅威はインフルエンザ程ではない”という見立てにはどうにも首肯できないものを感じます。感染者の致死率は確かにインフルエンザ程ではないのかもしれませんが。

何がそう思わせるのか。確かに有効な治療薬やワクチンがないことが、重篤状態に対する恐怖や感染に対する不安を煽っていることは否めません。しかしながらそれ以上に、医療体制の逼迫の程度がインフルエンザの比ではないという点こそが、インフルエンザ以上の脅威を思わせる主因ではないかと考えます。
1)インフルエンザの流行時、今日の新型コロナほどの院内感染はあったのか。
2)インフルエンザ感染の疑いがあった場合と同程度容易に新型コロナ感染の検査を受けることができたか。
3)軽症のインフルエンザ感染者が重症化した場合と同程度の円滑さで重症化した新型コロナ感染者が治療を受けることができたか。
新型コロナとインフルエンザ、各々の感染対策や治療に投入される医療を含む社会的資源量は同じではないはずです。この投入資源量の差を考慮しないまま、各々の感染者の致死率の大小から脅威を比較するのも妥当性に欠けていると考えます。現在、海外から日本への入国は制限されていますが、インフルエンザ流行時と同様に入国を許可していたら新型コロナ感染による致死率はより悪化していたのでは、と推量します。

感染対策や治療に投入された社会的資源の定量化は容易ではないかもしれませんが、”インフルエンザより致死率が低く脅威ではない”との見方には安直な、若しくはポジショントーク的な印象が拭えません。

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