2019年11月25日月曜日

典拠

定期的にメディアに取り上げられています。
「ぶぜん」の意味ばらつく 本来の意味理解は3割程度
熟語や慣用句の誤用についての調査結果です。 調べてみると文化庁の、
国語に関する世論調査
に遡ることができます。上記記事は
平成30年度「国語に関する世論調査」の結果について
から抽出された記事です。記事に拠れば”憮然”を本来の意味である、”失望してぼんやりする様子”と答えたのは28.1%、”腹を立てている様子”とした人は56.7%とのこと。該記事では”砂をかむよう”、”御の字”の例が併記されています。他には”姑息”、”檄を飛ばす”といった例を文化庁のwebサイトで見ることができます。
「言葉のQ&A」(まとめ)
本来の意味とは異る誤用の例が列挙してあるわけですが、その理由については、”ああ、成るほど”とまで素直に頷けず、”云われてみれば、そういう理由もあるかも”といった場合が少なくありません。

一例として”姑息”について考えてみます。上記Q&Aには、
「姑息なやり方ばかりで,あいつはひきょうなやつだ。」というような言い方は,本来の意味に沿って考えても,全く不自然ではありません。重要なことについて,正面から取り組もうとせずに,「一時の間に合わせ」で済ませることに終始すれば,「ひきょう」と見られるのが当然だからです。
とあるのですが、当然なのでしょうか?一時の間に合わせであっても応急処置を姑息な処置とは言い換えません。福島の原発事故でメルトダウンが起こった時、炉を冷却するために海水注入が行われましたが、これが姑息な処置に符合するとは思えません。

単なる”一時の間に合わせ”ではなく、何かもう一つ説明が足りない気がします。前半部、”姑息なやり方”も、”(その場を取り繕う/その場しのぎの/言い逃れのような)やり方”に言い換えても、ひきょうなやつには自然に結びつかないのですが...”ひきょう”にはズルい/正当ではない/真っ当ではない/対等ではない/公正ではない、といった語感があります。この語感と姑息の語感は異なります。

前後を入れ換えて、”ひきょうなやり方ばかりであいつは姑息なやつだ”でも、同じく”ひきょうなやり方”と”姑息”は直ちに結びつきません。ここを結びつけてしまうと誤用になります。

もうひとつの事例です。政治家や官僚の贈収賄といった汚職疑惑がこれまで頻繁に起こっています。そういった時、贈賄側、収賄側の担当大臣、官僚、民間企業の経営幹部辺りが国会の証人喚問の場に召喚されます。そういった場の質疑で正鵠を射る質問が出された場合、往々にして
”記憶にございません”
”存じません。秘書の職務です。”
”破棄しました”
といった回答を耳にします。どうでしょうか、姑息な答弁という形容が相応しい気がします。

では、上記原発事故における炉への海水注入と、証人喚問における”記憶にございません”とは一体何が相異するのか?共に一時の対応であるのは確かです。

両者を比較しながら考えてみると、各々その場しのぎの対応ではありますが、実はもう一つの形容と合わせての”一時の対応”であることに気づきました。海水注入は、緊急/応急の一時の対応であり、”記憶にございません”は、愚劣/低劣/卑劣/不当/無責任/不誠実な一時の対応、ということです。つまり、一時の対応と併存する形容部分が、姑息という語の適否を決めているのではないかと考えています。
(愚劣/低劣/卑劣/不当/無責任/不誠実)+(その場しのぎ)
=姑息な対応
で、この時、(愚劣/低劣/卑劣/不当/無責任/不誠実)性と(その場しのぎ)性の程度の比率は一律ではなく、状況によって、更には時間に対し変動しているはずです。

この(愚劣/低劣/卑劣/不当/無責任/不誠実)部分の割合が余りに大きい時、その場しのぎの部分が希薄化、埋没してしまうのではないかと。各々の主観による処が大きい話ですが、その辺りに、”姑息の意味を直ちに卑怯と捉えてしまう”誤用の理由を求めることができるのでは、という見方です。

あまり低劣で不毛な対応は、一時しのぎを飛び越えて低劣で不当という語感しか残さない、ということです。

そしておそらく、この姑息の誤用が増加しているのは、上記の一時しのぎの語感が端折られた文言例を多く見聞してきたためではないでしょうか。今の処、中、初等教育で採用されるような文芸作品、幅広く読まれている名著には残念ながらその情景の記憶はありません。

しかしながら、国会答弁、政治家の記者会見、報道バラエティにおけるコメンテータの論評には、一時しのぎを通り過ぎた醜悪な応答例が少なからずあります。上述の
”記憶にございません”
”存じません。秘書の職務です。”

”破棄しました”
などはその典型です。現時点では他に典拠が見当たりません。従って、
”姑息”を誤用させる原因は政治家にある
取り敢えずこのように結論づけておきます。

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