2019年3月5日火曜日

威光(追記)

こんなことを記して罰が当たったのか、総務省統計局 基幹統計 家計調査を依頼されました。面倒なことこの上なく、テキトーになるのは間違いありません。この時点で既に統計に嘘が含まれていくのか?

それはさておき、以前、ネット上に氾濫する料理写真について考えてみたことがあります。食べログに代表される飲食店で提供された料理、自宅で自身や家族が調理した料理、食材会社の販促用調理例、とにかくネット上は料理写真で溢れています。で、これらの写真は、果たして見る側に料理の実態(風味や量、食べ易さ等)を忠実に伝えているだろうか、疑問でした。

飲食店の宣伝用、食材会社の販促用写真が実体以上により良く撮影された写真であることは容易に理解できます。特に大手外食チェーン、コンビニ、大手スーパの商品宣伝用写真と、実物との間の圧倒的乖離は何故問題にならないのか不思議でなりません。

ただ、これらの写真は宣伝や販促を目的としたもので、料理の価値が嵩上げされている、下駄が履かされているであろうことは容易に理解できます。是非はともかくとして。

では、食べログ等のレビューサイトで、飲食店の来店客が投稿した料理写真、ブログ等のSNSで公開している料理写真についてはどうでしょうか。いずれも料理を提供した飲食店との利害関係のない投稿者、ブロガーを前提としています。彼ら彼女らが公開のために、無為に撮影した料理写真は嵩上げされることなく料理そのもの忠実に表しているだろうか、ということです。

おそらく、”百聞は一見に如かず”の如く、文章より写真の方が客観的に判りやすく料理を伝えられるだろう、というのが撮影者の動機ではないかと推量しています。この時、撮影者は、自分が目にした料理をそのまま写真という手段で伝えようとしているだけで、粉飾して撮影する意図はないのかもしれません。

しかしながら、撮影時、意図せずとも綺麗に、そして美味しく見えるように撮影しようとする潜在的な意識が働いていると思料しています。”料理を撮影する”という行為自体が、ピント、背景、照明、構図等を調整して料理を美味しそうに伝える動機になっている、ということです。該行為から、料理を実体以上に嵩上げして伝えてしまう可能性を排除することは困難と考えています。

歴史や統計だけでなく、写真もウソがないわけではない、と穿った見方をしています。

この行為そのものが結果を変歪させてしまう恐れは、統計処理においても免れ得ません。適正の範囲内であっても、期待した方向に結果を引っ張るような統計操作十分ありえる話です。

この統計不正問題において、野党側は政権与党に対し、アベノミクスの成果を粉飾する目的で確信的に統計操作を行った、と疑惑の目を向けています。ただ、せいぜい潜在意識下で期待される結果となるような統計操作を行った、というのが実の処ではないでしょうか。

この統計への(無意識であったとしても)思惑の混入が排除された、検証可能な統計処理というのはなかなか難しい話かもしれません。

統計処理の中立性、客観性は、学識経験者の知見と矜持に依る処が大きいわけですが、更なるブラッシュアップの必要性を強く感じます。

一連の国会答弁の中で、”過去にさかのぼって数値が大幅に変わる理由や、実態を適切に表すための改善の可能性など”の問題意識が官邸秘書官から厚労省担当者に伝えられたと報じられました。

この実態こそが統計の示すものであって、意図した実態を表すように統計を操作することは本末転倒です。その実態は統計以外の何から得られるのか、期待する結果が得られるようにプロセスを弄る、といった話に他なりません。肌感覚、恣意、忖度、粉飾、捏造等が統計に入り込む余地の存在を意味認める、そういった発言こそ未だ現行の統計処理の客観性が不十分であることの証左です。

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