2017年7月2日日曜日

無謬

”無謬”について思った処を少し。発端は、先日目にした次の記事です。
田中真紀子氏が加計問題に参戦
加計問題については触れません。

記事中、社会保障の会議の席で交わされた田中真紀子氏と安倍晋三氏のやりとりが、田中氏の日記として記されているとのこと。事の真偽は勿論知りません。
田中氏「日本が敗戦して」
安倍氏「真紀子さん、今なんて言った?」
田中氏「敗戦よ」
安倍氏「あれ終戦なんだけど」
田中氏「中国や東南アジアへの侵略戦争でしょ」
安倍氏「違う違う。アジアを解放するために行ったんだ」
敗戦と終戦は意味が異なります。両者は対義の関係にはありません。敗戦して終戦になったり、終戦の結果が敗戦だったりするわけです。敗戦と戦勝、開戦と終戦を混同して敗戦を終戦と言い換えること自体、非論理的です。

日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏をしたというのは私の記憶違いでしょうか。初等教育課程でそう教えられたはずですが。敗戦以外の何ものでもないのは、いちいち記すまでもないことです。

何故、敗戦が終戦へと掏替えられるのか。敗戦を受容していない、過去の事実から目を逸らしている姿勢は明らかです。負けてないと。じゃ勝ったのか? 

このように事実をそれとして直視しないことこそ愚が繰り返される原因です。事実を認め、その原因を検証して初めて同じ愚を回避することができます。将来の成功の糧として失敗の原因を究明することは必須であって、ことさら言うまでもありません。

しかしながら、これまでも、そして今でも失敗の原因究明がなされないため同じ轍を踏む事例が散見されます。未だ敗戦の終戦への掏り替えを見聞しますし、かつてその掏り替えを行った当人は国家の最高責任者だったりするわけです。

もう少し突っ込んでみると、実は、”敗戦”の使用を避け、そこを曖昧にしたまま終戦”という語で象徴させることで立場上都合がいい方々がいるのでは、という考えに至っています。

信念や思想信条として敗戦という事実から目を逸らしている部分があるであろうことは否定しません。しかしながら、自身の立場を保ち、窮地に立たされる、或いは、矛盾を追求されるのを嫌ってのことが主ではなかろうか、ということです。

例年、終戦記念日が近づくと総理を含む内閣閣僚が靖国神社を参拝するの、しないの社会が喧しくなります。参拝の理由は、
日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、み霊安らかなれと手を合わせた。二度と再び、戦争の惨禍によって人々の苦しむことの無い時代を創るとの決意を込めて不戦の誓いをした
が典型でしょうか。では終戦を敗戦に置き換えるとどうなるか。上述のように敗戦という失敗を繰り返さないという趣旨で靖国神社を訪れるならば、その思いは
次は負けない
となります。そのためには敗戦の原因究明は勿論、敗ける戦争に踏み切った判断の謬りの検証も欠かせません。当時の指導者、軍部に対しても敗戦責任が問われるのも当然で、糾弾されるのも致し方ないところです。戦争を仕掛けたでのはなく、敗ける戦争を仕掛け(或いは仕向けられ)そして敗戦という結果を残したという見方をすれば、その重大な責任を帰すべき処も有耶無耶にはできません。

浅慮な為政者が差配して国を誤らせた責任は問われて然るべき、ということです。それを、当時はやむを得なかった、仕方がなかったなどと理解することは、判断の誤りの否定を意味します。正に無謬性の現れそのものです。

つまり、前の戦争を敗戦と捉えると、その轍を踏まないために、碌々結果を想定することなく米国との開戦(敗戦)に踏み切った為政者に対し、

何故そんな判断を下したのか
と、その愚かさを非難しつつも敗戦の原因を究明し、

そのせいで後世代の日本人は非常に苦労させられている
と、その影響が国際的な立ち位置や国家債務、人口動態未だ尾を引いていることを詰りつつ
次は負けない
との誓いをすることが整合性ある姿勢です。しかしながら、そんなことができる理性と度量が、現体制の人物に備わっているかを考えれば、まぁ、無理な話です。

例えば、現総理が戦犯指定を受けた自身の御祖父である故岸信介元総理を含む、当時の政府や軍部等、精神論や空気に支配された情緒的な覇権主義賛同者を指弾することになりますから。

終戦という語に掏り替えておけば、戦前、戦中の旧政府、軍部によって判断され実行に移された、自身の親族を含む先人の謬りを認め、それらを否定せずとも済むわけです。


無謬2

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