2015年3月1日日曜日

戯言

引き続き
r(資本収益率)>g(経済成長率)
について思いを巡らせているわけですが、r(資本収益率)によってg(経済成長率)の上昇余地は限られてしまいます。rが低い限りgも低率に留まります。

で、rの引き上げ、即ち金融政策によるgの増加は期待できません。金融緩和は継続され、gが増加しなければ追加緩和すら求められますから。

やはり、上昇余地は限られてしまうかもしれませんが、経済成長率の増加を図って資本収益率に近づけていくべきかと。この増加が結果として資本収益率を押し上げ、再び経済成長を促していく、そういった正のサイクルを目指す以外に成長の絵図は描けないのではないでしょうか。



上図は、『21 世紀の資本』(著者: トマ・ピケティ 翻訳:山形浩生,守岡桜,森本正史 出版: みすず書房)の、訳者の方のサイトからの引用です。
 
世界全体といった括りで、r>gが成立しています。ただ、r,gを微視的にみれば、各々に変動、ばらつき、ゆらぎが存在し、相応の分布が認められるのでは、と想像しています。これが、時代による格差、或いは、地域間格差ということかもしれません。

今、政治と経済のシステム、教育と技術水準を含めた地域と、時代の関数としてr(pn,tn)、g(pn,tn)、更に両者の比r(pn,tn)/g(pn,tn)を考えてみます。

上図でも明らかなように、常に
r(pw,tn)/g(pw,tn)>1
ですが、一定ではありません。pw世界全体とします。r(pw,tn)がr(pn,tn) の総和か平均かは存じません。

当然ですが、r(pw,tn)/g(pw,tn)が時間に対して変動しているように、同一時点t1であっても国家、地域によってr(pn,t1)/g(pn,t1)
が異なるであろうことは明らかです。

更に、ある二つのr(pn,tn)/g(pn,tn)が、
r(pa,tn)/g(pa,tn)=r(pb,tn)/g(pb,tn)
であっても資本収益率r(pn,tn)と経済成長率g(pn,tn)は、
r(pn,tn)/g(pn,tn)>1
を満たす範囲で様々です。

ある地域phighの経済成長率g(phigh,t1)が高ければ、相応して高い資本収益率r(phigh,t1)であり、日本のように低経済成長率g(pjp,t1)ならば低い資本収益率r(pjp,t1)に留まり易いわけです。

そこで、
r(pjp,t1)/g(phigh,t1)
という状況を作ることでr(pjp,t1)増加させ、この増加が再びg(phigh,t1)を引き上げるといった、上述の正のサイクルが期待できるのではないかと憶測します。

問題は日本の低い経済成長率g(pjp,t1)を如何にg(phigh,t1)に置き換えるかです。実際にはg(pjp,t1)に地域phighの高い経済成長率g(phigh,t1)を反映させるといったところでしょうか。

まぁ、g(phigh,t1)のg(pjp,t1)への働きかけ、連携、寄与に期待するということです。その目的で資本収益率r(pjp,t1)の低い日本から、成長余地のある地域phighへの経済成長を促す投資も一策です。で、g(phigh,t1)によってg(pjp,t1)を牽引させると...

地域経済間の相関性が弱かったかつてであれば、相互に及ぼす影響は現在ほどではなかったはずです。しかしながら今日までの情報、物流技術の進歩により、距離と時間による地域間の隔たりは劇的に縮められています。

場合によっては、関税という障壁は勿論、 国境、政治体制、経済システムの違いを乗り越え、恰も一つの経済体であるかの如く振舞うことすらあります。

グローバル化って言うんでしょうか。この傾向が加速する過程で、低い資本収益率r(pjp,t1)で成長が抑えられている日本でもg(phigh,t1)の寄与による成長が見込めるかもしれません。

特に少子高齢化が進む日本において、国内のみに留まる需要喚起、新たな需要創出に頼る成長戦略では、経済成長は望めないとみています。公共事業は成長戦略となり得ず、社会から強く求められる新たな需要というものも又、想定し難いわけです。

現在描かれている成長戦略どういった設計思想に基づくものなのか、気になる処です。

時間についても同様に
r(pjp,t1)/g(pjp,t2)
という状況を生み出すことで成長率g(pjp,tn)の上昇を誘導できないだろうかと思っています。t2はt1以降の未来を示します。

g(pn,tn)は連続的に変化する指標であり、t1からt2への時間経過と共にg(pjp,t1)からg(pjp,t2)へと漸次変化していきます。

ここで技術革新により、未来のg(pjp,t2)であるかの如く非連続的g(pn,tn)を上昇させます。

資本収益率r(pn,tn)と経済成長率g(pn,tn)は相互にリンクしながら時間と共に変化していくと考えています。生産性、新材料、新規需要でも、これまで想定し得なかった技術革新によりg(pn,tn)を離散的に上昇せしめてr(pn,tn)の引き上げを目論むわけです。

技術革新によりr(pn,tn)とg(pn,tn)の時間に対する追従性にズレを引き起こし、一時的にg(pn,tn)がr(pn,tn)に近づく、或いは上回らせることでr(pn,tn)を押し上げられないか、ということです。

そういった技術革新の可能性の有無はともかくとしてです。

同一地域内での技術革新によるg(pn,tn)の劇的な引き上げは困難かもしれませが、格差のある異なった地域への適用なら実現可能かもしれません。

教育、生産性、技術レベルに格差のある二地域を考えます。低レベルの地域plが単独で高レベルの地域phに追いつくには時間が必要です。そこでphからpl教育、生産性、技術の移転を急激に進め、レベル向上に必要な時間を短縮させます。

そうすることで、当該地域において
r(pl,t1)/g(pl,t2)
の状態を生み出せないでしょうか。で、r(pl,t1)の押し上げや日本の成長率g(pjp,t1)への働きかけを期待するというわけです。

上述の戯言は世界に多様性というか、格差があっての話です。各地域で成長率g(pjp,tn)が広い範囲でばらついていること、技術や教育水準に格差があることを前提としています。

そういった不均一性の均質化、ばらつきの収束がグローバル化なわけで、グローバル化が進みすぎて世界が均質化してしまうのも問題があるなぁ、と思った次第です。
r(pw,tn)/g(pw,tn)>1
が固定化してしまって、身動き取れなくなってしまいますから。


懸念を二つほど。

引用したグラフ中、1950-2012でr(pw,t1950-2012)/g(pw,t1950-2012)が最も1に近づいています。これがグローバル化の寄与ということでしょうか。これが均質化の結果であるならば既に身動き取れなくなっているのかもしれません。

上記戯言はある意味トリクルダウンに期待するものです。高成長の地域が低成長の地域を引き上げると。ただ、トリクルダウンの実現性を疑問視しているのです。個人的にですが...

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