2014年10月6日月曜日

公共(3)

(g)市場原理だけでは律することのできない公共性


視聴者が望む番組ばかりを放送しないということでしょうか。公益に資するならば、視聴率によって放送内容を変えることはない、と理解しました。換言すれば、公益に資するという根拠を構築できれば視聴率は低くても構わないとも受け止めれてしまいます。

とすれば、重視すべきは、公共性の程度、資する公益の大きさをどう見積って番組を制作するかであり、放送によって番組が寄与した公益の評価でしょう。これらが適切公正に行われているのか、否か、よくわかりません。

公共性の拠り所、依拠する行動原理がそもそも不明ですし、その判断、監査、責任の主体部分が不透明です。

市場原理や公共性といった抽象的な語に留めず、具体例を挙げた丁寧な説明を願いたいところです。

例えば、公共放送は必要だがNHKは不要といった話にも成り得るかもしれません。

かつて民放のニュース番組で放送された、故筑紫哲也氏によるライブドアの堀江元社長へのインタビュを思い出させます。NHKではありませんが...

確か、ライブドアによるフジテレビの買収云々と騒がれた、ライブドアが絶頂期の頃でした。内容自体は総じて噛み合ってないな、とか、テレビに一番組ですから、ジャーナリズムの語を利用したテレビ寄りの内容だな、といった印象でした。

それはさておき、その中で筑紫氏から
――例え視聴者に興味がなくとも、意味のあるコンテンツを流さなくてはいけないのがジャーナリズムだが――
といった意味の発言があり、強い違和感を禁じ得なかった覚えがあります。

”一体何様?”というジャーナリストと称される人々の驕りというか傲慢さを感じたわけです。上記”市場原理だけでは律することのできない公共性”も同じ姿勢ではないでしょうか。


(h)特定の利益や視聴率に左右されず...


特定の利益にはNHKはともかく、子会社、関連会社の利益は含まれていないのでしょうか。”NHK 子会社 利益”で検索すれば色々な話が出てきます。

まぁ、違法ではないのでしょう。そのために放送法を改正したとの記事もありますし...

さて、上記”特定の利益や視聴率に左右されず...”の後、
――...教育番組や福祉番組、古典芸能番組など、市場性や視聴率だけでは計ることの出来ない、重要な役割を担うものが多くあります。...――
と続いていきます。

こういった文言は、大阪市の文楽協会への補助金凍結騒動で、作家の瀬戸内寂聴氏による発言を思い起こさせるわけです。
――世界の見るべき人が見て素晴らしいと言うのだから、それで十分でしょう――
――橋下さんは一度だけ文楽を見てつまらないと言ったそうですが、何度も見たらいい。それでも分からない時は、口をつぐんでいるもの。自分にセンスがないと知られるのは恥ずかしいことですから――
橋本大阪市長を支持する意図は毛頭ないことは明確にしておきます。

で、強い選民思想、優越意識が伝わって来るわけです。見るべき人が見て価値を感じればいい、それ以外の人は理解出来なくても構わない、分からなければ黙ってろ、ということですか。口をつぐんで補助金(公金)をつけ、見るべき人のためだけに保護しろと...

この”見るべき人”と”市場性や視聴率だけでは計ることの出来ない”には共通の根幹があるわけです。価値、重要性の責任ある判断、その依拠する所、主体が曖昧です。私にセンスがないということかもしれません。恥ずかしくて恥ずかしくて堪りませんので匿名を続けます。

分からないことを分からないと意思表示すること、これを恥ずかしいこととして封じ込めようとする発言の中に、品性を疑わせる作家だなぁと思わせる姿勢を感じた次第です。

文芸でも、映画、舞台、絵画、書、音楽、料理、酒でも、更には科学の分野でも、その評価を感性に頼らざるを得ない分野、或いは、いわゆる評論家が跋扈する分野において、しばしばその秀逸さが理解できない方に問題がある、わからない奴は黙ってろといった雰囲気を感じることがあります。

”大したことない”、”つまらない”といった批判的、無理解な発言に対し、反論するわけでもなく”わかる人だけわかればいい”といった、口を噤ませるようなやり口のことです。

確かに、上記各々の分野の極めて専門性が高く、高次というか深遠なレベルでそういった部分が生じるであろうことは否定しません。

しかしながら、新聞や雑誌に掲載される、文芸、映画、料理等の作品紹介や評論を装った宣伝広告、テレビ番組から垂れ流される演出された映像と美辞麗句、食べログに代表されるネット上の飲食店や料理のやらせと思しき評価、、以前のエントリで記した日展の事案その後の経緯等からは、真っ先に胡散臭さを感じるのが率直な印象です。

感性が鈍いのか、視力の衰えを常に色眼鏡で補っているせいかもしれません。

ヨイショ営業とでも呼べばいいのでしょうか。名の売れた、弁の立つというか声の大きな演者と業界が共謀して虚構の価値体系を構築しておきます。

で、
――良さがわかる繊細な感性をお持ちのそんなあなたに...――
――分からない時は、口をつぐんでいるもの。自分にセンスがないと知られるのは恥ずかしいことですから――
と批判や異論を封じ込め、優越感を煽る宣伝広告で碌でもないものの営業に利用する、そういった事例は通販番組は言うに及ばず、文芸、飲食、映画等でも散見されます。

姑息な手法だなぁ、と思うわけです。

この辺りはいずれ別エントリで記すつもりです。

上記”市場性や視聴率だけでは計ることの出来ない...”からは、
”では、一体何を評価尺度とするのか?”
といった疑問を抱くと共に
”わかる人だけわかればいい、分からなければ黙ってろ。でも受信料は払ってね。
というのも横暴だなぁと感じる次第です。


(続)

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