2015年6月23日火曜日

希釈

社会は少しづつでも賢くなっているのでしょうか。大仰な話です、はい。

朝、NHKで炒飯をパラッと作る方法について放送しているのを見かけました。大筋はここ十年で幾度となく見聞してきた話です。

若干の追加情報を加えながら定期的と言っていいほど様々なメディアで取り上げられてきました。社会に”パラっとした炒飯の作り方”を定着させるには、今後、どれだけ繰り返し作り方を伝え続ける必要があるのでしょうか。

一つのノウハウというかコツが社会全体に共有されるには時間がかかるなぁと思った次第です。例えば、乳幼児を帯同して列車に乗車、航空機に搭乗する際、親子、或いは周囲の乗客はどう振舞うのが望ましいか、といった公共でのマナーの社会への浸透にも似た話かもしれません。

時には物議を醸しながらも定期的に注目されることで、社会全体としてゆっくりとだが一つの価値観を共有していくと...

まぁ、炒飯の作り方は調べろよ、とは思いますが。調べもせず、工夫もしないまま、”できない”とぼやいていても何ら進展はないわけです。実は、ベタッとした炒飯がそれ程嫌ではないのでは、とすら受け止めてしまいます。

で、こういった情報バラエティ番組では、小ネタや小技を伝えるにあたって三択のクイズ形式を使うことが常套的な手法です。そうでもしないと間が持たない、ということはわかりますが、それは制作側の理屈です。視聴者目線なんでしょうか。

不正解である二つの情報も伝えられ、正解とか、不正解だとか、必要な情報に不要な情報を加えて、冗長的に扱うのも上手いやり方とは思えません。情報が希釈されてしまいます。

類似の番組を制作し繰り返し放送する、といった目論見には適っていますが。

民放化著しい感のあるNHKを例に取れば、テレビについては地上波とBSで4チャンネルの放送波を有しているわけですが、しばしば情報密度の低さを実感します。

再放送、総集編、スピンオフ、予告、番宣、同一題材の複数番組での使い回し...既視感が付いて回ります。

もう少しですね、情報の、量だけでなく、質も含めた密度を上げる一方で、余分な贅肉をそぎ落とせないものかと...

1チャンネルくらい減らせるんじゃないでしょうか。

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