現行の年金受給者、いわゆる引退世代が現役世代、更に言えばその子世代、孫世代に較べどれほど恵まれているか...思いが及ばないのか、或いは、意図的に目を逸らしているのかもしれません。
まぁ、これまで年金制度についての情報提供、教育が不十分だったことにもよるのでしょうが、それにしても身勝手さを実感した次第です。
で、若年層への情報提供も未だ不十分のままです。それが行政の狙いかは存じません。ただ、世代間の格差は縮まるどころか、着実に拡がり続けていくのは間違いない処です。
問題の先送りと未来への債務の押し付け、紛うことなく民主主義が実現されています。
さて、時流に遅れまいとトマ・ピケティ教授を持ち出して騙ってみます。勿論、『21 世紀の資本』といった難解な著作は読んでいません。聞きかじった上っ面による知ったかぶりの話です。
トマ・ピケティ氏、「民主主義は闘争。誰もが関わらなければならない」と日本の若者にメッセージ
「1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。特にこれは米国に顕著だった。米国では、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に戻ってしまった――それどころか、少し上回るほどになっている」
「私の理論における格差拡大の主要な力は、市場の不完全性とは何ら関係ない…その正反対だ。資本市場が完全になればなるほど、資本収益率 r が経済成長率 g を上回る可能性も高まる」
理想的な資本主義下では、
r(資本収益率)>g(経済成長率)が成立し、投資による収益の上昇率は経済成長率を常に上回るとのことです。従って、投資家は、労働賃金の上昇以上に増大した利益を得るわけですから、所得格差は拡大する一方ということになります。
で、上記インタビューによれば、行き過ぎた格差は民主主義にとって好ましいものではなく、又、該格差、不平等を是正する戦いこそが民主主義であると。
確かに是正を志向する姿勢は民主主義に由来するものかもしれません。ただ一方で、民主主義を絶対視して、是正のために民主主義の手法が無条件に適用されてしまうことには抵抗を覚えます。
民主主義の本質の一つでる、”みんな”の同調圧力と個々人の責任意識の希薄化を懸念しています。更に、”みんな”の中には将来世代は含まれていませんから、”みんな”が決めてしまえば、問題の先送り、未来への負担の押し付けを押し止める力が働きません。
確かに是正を志向する姿勢は民主主義に由来するものかもしれません。ただ一方で、民主主義を絶対視して、是正のために民主主義の手法が無条件に適用されてしまうことには抵抗を覚えます。
民主主義の本質の一つでる、”みんな”の同調圧力と個々人の責任意識の希薄化を懸念しています。更に、”みんな”の中には将来世代は含まれていませんから、”みんな”が決めてしまえば、問題の先送り、未来への負担の押し付けを押し止める力が働きません。
例え民主主義に基づいた決定であったとしても、上記格差や不平等を是正する原資を将来世代に求めることは不当ではないか、と考えます。既に、消費税や国債、賦課方式の年金といった形で、将来世代に現役世代のツケを回しているわけですが...
”一億総中流”これはバブル経済以前までにはよく耳にしていた言葉です。国民の7割以上が自分の生活水準を中流と意識していた、意識できた頃の話です。現在もこの意識が高い割合で保たれ続けているのか、否かは存じません。
実は、この言葉が使われだした当時から、格差や不平等は相当程度あったのではないかと思っています。相当程度とは行き過ぎた、看過できない、民主主義社会にとって好ましくない、といった程度です。容認できる一定の格差というのもまた難しい話ですが...
ただ、当時既にあった格差や不平等は、将来世代に負担を押し付ける民主主義的手法によって、見かけ上埋め合わせられてきたのではないか、と憶測しています。
潜在的には格差、不平等は大きかった。この格差を、税制、国債の起債、社会保障の保険や賦課方式といった未来からの借入で補填して存在を霞ませてきたのでは、ということです。
拠出分以上の利益を現役世代が享受していれば、債務は累積されていき将来世代に重くのしかかるのは当然です。利息や配当といった時間の効果では解消不可能なほど債務が積み上がっているわけです。
民主主義の名の下、こういった手法で実質の格差を覆い隠し、持たざる者の反発を抑えこんできたのが実の処ではないかと勘ぐっています。
この手法による累積債務が巨額となり、制度疲労が進み、システムの破綻が露呈しつつあることが、格差、不平等を顕在化させているのではないでしょうか。
過度の格差や不平等の是正は民主主義の目指すところの一つであり、又、民主主義社会の実現と安定のために必要であることに異論はありません。
しかしながら、
その場のみんなで合意して、そこに居合わせぬ誰かに負担を押し付けるのも民主主義の一面です。次世代への責任の転嫁と負担の
強要、これが是正のための民主主義的手法として正当化され
独り歩きしてしまう、そういった民主主義の独善性に危うさ、儚さ、愚かさを感じてしまいます。
再掲
――実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた、他のあらゆる政治形態を除けば、だが。 (ウィンストン・チャーチル)――
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