2012年12月24日月曜日

斟酌

この乳児とその保護者の旅客機への搭乗で生ずる周囲の乗客との摩擦の例は、電車、バスといった公共交通機関への乳児の搭乗、更には、公共の場を利用する各々のモラルやマナーの問題へと拡張して考えることができます。

新幹線や高速バスのような運行が長距離となる交通機関への乳児の帯同、混雑する通勤列車内へのベビーカー持ち込み、飲食店への乳幼児の同伴、酔客、宴会客や女性グループ客との飲食店での遭遇、喫煙が特に制限されていない飲食店での喫煙等、具体例は枚挙に暇がありません。

いずれの例でも偶々その場に乗り合わせたり居合わせたりした、面識のない何者かから迷惑を被る、若しくは逆に不快感を与えてしまう恐れがあるという点は共通しています。

こういった互いに見知らぬ不特定多数の人々が会する公の、或いは、公に準ずる場でのマナーについて、ネット上では喧々諤々の論争が繰り広げられています。しかしながら、論者各々の価値観が異なるだけでなく、想定している事例、議論の前提条件が揃えられていないこともあり、明解な結論に辿り着くことなく収拾がつかないままの場合が多いようです。

上述の、旅客機内で乳児が泣き叫び続けた例では、周囲の乗客は我慢すべき、否、する必要はなく、保護者には乳児を泣き止ませる義務があり、そもそも乳児を連れ込むべきではない等、さかもと氏を批判したり、支持したりと二分しています。

二分とはいえ大勢は批判的な意見ですが、明確には割れていないようです。いずれかの立場を頑として譲れないという主張は実は少数で、大方は条件次第で翻意し得るのではないかとみています。

いわば条件付容認でしょうか。私はここに含まれます。泣き叫んで周囲の乗客に不快感を与える恐れが予見される、乳児の機内への同伴は避けるべきが本来であると考えます。

泣き止ませる術なく乳児はむずがることがある、少なくとも私はそう思っています。加えて、搭乗中、乳児の体調に異変があった場合の対処のし易さも考慮すれば、乳児同伴の移動手段としての空路の利用は優先度の高い選択肢にはなり得ません。

従って、長距離の移動は上記問題を考慮して手段を選ぶ必要があり、空路以外に選択の余地がないならば、場合によっては移動そのものの断念も選択肢の一つです。

ただ、現実的には、乳児と同行して空路を利用せざるを得ない特段の移動目的があることも理解しています。特定の冠婚葬祭や海外からの帰国等が目的であれば乳児を帯同しての搭乗もやむを得ないのでは、と考えます。勿論、判断は個人の価値観によるのでしょうが、私は乳児帯同の搭乗を一律に差し控えるべきといった主張には与しません。

乳児を同伴した公の場での行動について保護者が上述の認識を持っている、即ち、乳児を帯同しての旅客機への搭乗は本来避けるべきであると自覚しているかが容認の前提です。この前提の下、それでも空路を利用せざるを得ない必然性があるならば、乳児帯同の搭乗は妨げられないと考えます。勿論、ことさらに乳児を同伴した乗客が搭乗前に移動の事由を申告したり、他の乗客に周知したりする必要はありません。

このような乗客がよんどころのない事情により、旅客機に同伴した乳児が泣き続けた場合、保護者は内心穏やかではないはずです。たとえ保護者のそういった心苦しさが周囲に伝わらずとも、或いは、泣き止まぬ乳児を宥めようとする姿勢が窺えなくとも、上記前提が成り立っているならば斟酌して容認すべきと考えます。

尤も、この謙譲の前提条件を潜在的に共有できているならば、保護者の切迫感や途方に暮れた心情、呵責の念は十分酌み取れるのではないでしょうか。

こういった前提が曖昧なまま、泣き続ける乳児とその保護者を許容するか否かについて論じることには意義を見出せません。

その場に居合わせたわけでなく、状況の把握が不十分なまま、己の見識を嵩に一方的に是非を断じようとする姿勢には違和感を禁じ得ません。当事者意識を伴った丁寧で詳細な議論が望まれます。

(続)

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