2017年10月15日日曜日

混乱

先のエントリで、衆院選は愛知7区有権者の民度、倫理観が問われる選挙ではないか、と記しました。

が、ナンダコレ...愛知7区の候補者を見て唖然としました。
山尾志桜里氏(無所属)、鈴木淳司氏(自民)の二名しか出馬していない...一体何を選択しろって?

正に野合と呼ぶべき露骨な結集であり、そういった選挙戦略を採る野党に不快感を禁じえません。

災い転じてという印象ですが、山尾氏が民進の先行きを見越しての不倫疑惑を口実とした離党であったならば、その先見性というか深謀遠慮に脱帽です。

2017年10月9日月曜日

応報

大人気ない、というか一国の宰相がこれでは残念です。報道は事実なんでしょうか。衆院選へ向けた首相の遊説日程を事前に公表しない状況が続いているとのこと。
「安倍辞めろ」コール 首相「負けません」 演説日程非公表続く
首相の街頭演説に対するヤジや妨害を警戒してとの指摘があります。
━こんな人たちに負けるわけにはいかない━
前の都議選で応援演説の際、「帰れ」、「辞めろ」コールをした反安倍グループに対する発言です。大きな批判を呼び、これが都議選で自民党が大きく議席を減らした理由の一つともされています。

同じ轍を踏まないためということなんでしょうか。

でですね、事前に遊説日程を公表しないで一体誰に話をしたいのか。偶然そこに居合わせた人々へのゲリラ遊説なんでしょうか。或いは、”街頭演説をした”という事実が残ればそれで十分なのか。よく判りません。

自身、これまで国会の場で、とても宰相にそぐわない野次を幾度となく飛ばしておきながら、自らが曝さらされる側に立とうとしない、その身勝手さに落胆します。
これは酷い!安倍首相の過去のヤジ・・・
”友人を大切にしよう”は習っていても、”他人の厭がることはしない”って教えられなかったのか。家庭教師から。
平沢勝栄議員、番組でヤジ謝罪。でも「本当に女性が書いた文書ですか」【保育園落ちた日本死ね】
無理か...

売り言葉に応える買い言葉で失言を避ける目的もあるのかもしれませんが、それはそれで、自身の感情を抑制できないようで為政者の責務が果たせるのか、と率直に感じます。

2017年10月2日月曜日

応答

ここの処、録音音声によるアンケートの電話が度々かかってきます。世論調査のためか選挙や、見込み客を探すためか太陽光発電や新電力に関するもののようです。

付き合う義理など全くないため当然ガチャ切りしていますが、先日留守にしていた時のことです。留守電を入れておいたのですが、帰宅後、電話アンケートが録音されていました。


”ただ今出かけております”から始まる留守電のメッセージ
VS

録音音声による電話アンケート

互いに一歩も譲らず、といったところでしょうか。相手の言い分に全く耳を貸すことなく、一方的に自分の主張を言い放つ...某永田町でも似たようなやり取りを見聞しますが、あれも実は録音音声なのかもしれません。

で、今後音声認識やAI技術に伴って、AI搭載留守電とAI搭載電話アンケートのやり取りへと進んでいくのかも、と思った次第です。AI搭載電話セールスも登場、自宅のAI搭載電話が迎え撃って断りの応答を返すと。オレオレ等詐欺電話にもAI搭載電話が対応...AIは欺かれることなく対応できるのでしょうか?そして遂にはAI詐欺電話が...

ヒトを置き去りにして電話回線を通したAI同士の対決へと移っていくわけです。ここまでくると全く無駄なのは間違いありません。人の意志が全く反映されませんから。技術資源の浪費です。セールス電話拒絶AIや詐欺電話撃退AIの有用性は対ヒトの場合まででしょうか。

ただ、コンピュータ将棋のように、セールス電話AIとセールス電話拒絶AI、詐欺電話AIと詐欺電話撃退AIのやりとりは傍で聞いてみたい処です。勿論不毛なやり取りでしょうが、AI同士の対決は関心を抱かざるを得ない部分です。

2017年9月30日土曜日

偽装

衆院愛知七区(瀬戸、大府、尾張旭、豊明、日進、長久手、愛知郡)を通ると、未だ”民進党 山尾志桜里”のポスターが随所で目に入ります。偽装離党だったのでしょうか。

で、動静に関心を寄せていたら、
山尾氏の復党視野? 前原代表、愛知7区は擁立せず

山尾氏への対抗馬見送り=共産愛知【17衆院選】
とのこと。
連合愛知、山尾氏推薦見送り 週刊誌報道で距離置く考え
連合は推薦見送りのようですが、それでは愛知七区の民進系地方議員、運動員は何もせず傍観するのかを考えると、やはろ山尾支援に回るであろうことは容易に想像できます。非公式なものかもしれませんが。自民党対立候補への投票や棄権は、まぁ、あり得ないだろうと。
偽装離党じゃねーか!
この選挙で当選を果たし、禊を済ましてキレイな体で実家に戻ろうという腹づもりだったのでしょう。ところが実家が白旗上げて離散しようとしているわけです。じゃ、民進の身売り先への合流はどうかというと、野望の党の専制君主は、
リベラル派は排除する
安全保障、憲法観といった根幹部分で一致していることが、政党構成員としての必要最低限
と高らかに宣わっていてそれも適わず...

この梯子の外され方にもある意味感慨深いものがあります。残された選択肢は、変節か、或いは、リベラル系無所属、共産党所属、(結成されれば)リベラル系新党参加、辺りでしょうか。

1.変節すれば非難の嵐に曝されます。

2.組織を持たないリベラル系無所属議員というのも存じません。あり得るのでしょうか。

3.元検察官の共産党系議員というのも奇異な印象です。かつて共産党員だったナベツネみたいな?

4.小池専制君主から排除された旧民進議員による新党に参加し社民の轍を辿るのか。

ただ少なくとも、山尾支持=民進共産支持であることは留意すべきと考えます。

先日、山尾氏地元支援者に対する説明の報道を目にしました。
「本人がやってないっていったらね、やってないのよ」(女性)
「世間を見りゃね、そんな男と女、たっくさんいるよ」(男性)

信者とサクラの集会なのか?
来る衆院選は、愛知7区有権者の民意が示されるというより、民度、倫理観が問われる選挙ではないでしょうか。関心を持って見ていきたい処です。

2017年9月26日火曜日

専権

前のエントリに続けます。確かに衆院の解散権は首相の専権事項かもしれませんが、解散の判断やネーミングに熟慮を促せる人物は周囲にいなかったのか。裸の王様感が漂ってきます。
「国難突破解散だ」 安倍首相が解散を表明。会見で何を語った?【全文】
自己都合解散じゃないかと。自らに責任が帰さない災いではありませんから”国難”という語の使用は適当ではありませんし、軽々に使う語ではないと考えます。現在が国難に直面しているとするならば、国難は日常茶飯事です。”突破”てっ...三本の矢の最も要諦である成長戦略とか物価の2%引き上げはどうなった?

で、来る衆院選の勝敗ラインは勝敗ラインは自公過半数とのこと。
「自民、公明両党で過半数(233議席)をしっかり超えるのがまずは勝敗ラインだ」
情けないほどのハードルの低さ...現有323議席から90議席失うまでは勝ちって...国難突破という大言に全く相応しない目標です。唖然としています。

2017年9月24日日曜日

泥縄

緊迫する北朝鮮情勢に対応するため、衆院を解散、総選挙して憲法改正って...全く理に適っていないわけです。

ならず者を見て法を整備するという今更感も否めませんが、それより、他国の状況に合わせて自国の憲法を変える、という姿勢には異を唱えます。自国の憲法を変えるために他国の状況を外圧として利用している、という見方もできますが。

いずれにせよ、法治国家、国の枠組みの根幹となる憲法が、他国によって変えられる、弄られようとしていることには強く反発します。

独立国家じゃないのか、日本は。好戦的であろうが、平和的であろうが改変は自らの意志で行われるべきです。好戦的な他国に右往左往していて、誇りを持てる改正憲法への道筋を辿ることができるとは思えません。そういった認識が我国宰相にあるのか。

往々にして、
拙速、短慮な意思決定は後に禍根を残します。ドサクサに紛れて決められた物事はロクな結果を生み出しません。

ヒトラーは民主主義の手続きに則ってドイツ国民に選ばれたわけです。念頭に置いておくべき事実と考えます。

2017年9月23日土曜日

不義

前項を引き継いで、少し政治倫理について記してみます。大した話ではありません。

週刊誌の不倫記事掲載がきっかけとなった山尾離党問題について巷間種々雑多な意見が飛び交っています。興味を引いたの記事の一つは民進議員のご多分に漏れない、天に唾する姿勢というか、強力なブーメランの突き刺さり具合にあります。

山尾志桜里議員が致命的なのは不倫より「ダブスタ」
その一方で、勿論ダブルスタンダードは問題だが、不倫は人として倫理的に許されない、政治家なら尚更、といった見方もあります。
山尾志桜里女史の不倫話、マスコミ的には中立的な総括が難しいらしい
下リンクには対立する賛否両論の理由が挙げられていますがどちらかといえば”賛成はしないが擁護する”といった姿勢を感じます。
政治倫理と政治家の出処進退について思うこと
この辺りを基に政治家の不倫行為について、その是非というか非であることの論立てを試みます。

ただ、政治家の不倫行為の否定を、社会通念上のモラルに反するからとの理由に直ちに結びつけるつもりはありません。不倫行為自体の道徳的善悪については言及しないということです。曲りなりにも法治国家である日本社会において不倫行為は犯罪とはされていません。当事者、関係者間が円満だろうが軋轢を生じようが、解決しようが、泥沼化しようがどうでもいい事案であるのは確かです。

しかしながら、それはあくまで公人私人における私人の場合の話です。公益に影響しない、私人の不倫行為など当事者、関係者でない限り、どうぞご勝手にというか、そもそも知る由がありません。しばしば芸能人、著名人の不倫報道が巷間を賑わせます。社会的影響はないとまで言えませんが、そもそも公益に資する責務を持たない方々の行為は、あくまで影響に留まり公益を損なったと断じることはできません。

翻って、時には選良と称される代議士等、公人はどうでしょうか。

前の騒動でも示されるように、真偽が定かでなくとも明らかに公益に損失を与えているとみています。公人の不倫行為が容認できない主な理由は、国益を含む公益の毀損に繋がるその非生産性にある、と考えます。

不倫行為は何を生み出すか、延長には何があるかを考慮してみると、それはやはり不毛だったり面倒の語に尽きるのではないかと。そこに労力、金、時間といった資源が投入、浪費されるわけです。私人であるならばどうでもいい話ですが、公人の場合、金は公金でないとしても労力、時間の公私は確実に混同してしまいます。切り分け、線引きなど不可能でしょう。本来ならば公務に費消されるべき労力、時間が不倫行為に関わる面倒に投入されれば公務の生産性が低下するのは当然です。

こういった生産性の低下を承知で不倫行為を選択するということは、公務他の部分においても非合理的な選択を行う恐れを排除できないことを意味します。そういった姿勢を垣間見てしまうと公務での判断の適切性に疑義が生じてしまいます。

例えば公務には、苦渋の決断を迫られ、中立性を欠いたかに受け止められる裁定を下さざるを得ない事案もあるわけです。この時、当事者がその決断をやむを得ない、致し方ないとして理解、納得するには、判断の合理性を拠所とする他ありません。その部分に疑義が生じると決断の説得性、信頼性が揺らいでしまいます。率直な物言いをすれば、
”不倫する政治家の発言など信用できるか”
であり、
”非合理的な選択する人物に社会の差配は委ねられない”
ということです。

こういった時、しばしば、
どんなスキャンダルがあっても、政治家としてきちんと成果を出していればそれで良い
ちゃんと仕事をしてくれれば、たとえ下半身がだらしなくても構わない
といった声が上がります。この”☓☓をしても政治家として成果を出せば構わない”的な意見は首肯できません。(☓☓は人、或いは政治家として社会通念上負の印象を与える行動を示します。)違和感を禁じ得ないわけです。ポジショントークなんでしょうか。

”不倫をしても...”とする姿勢は、法令抵触しない範囲内において、”差別、偏向をしても...”、”私腹を肥しても、私欲に囚われても...”、”お手盛り、不正、情実であっても...”、”パンツを盗んでも...”との間に大きな差異が見出せません。

これまで与野党は問わないものの、特に政権与党において数多の政府閣僚、議員が失言で辞任、辞職に追い込まれてきました。”不倫をしても政治家として成果を出せば構わない”なら、”失言しても政治家として成果を出せば構わない”が容認できてしまいます。

前者は肯定され、後者は否定されるというのも整合性が感じられずダブルスタンダードです。道義的責任、任命責任、政治倫理といった実体が不明瞭な語が不毛な国会答弁に頻繁に持ち込まれます。ここに失言は含まれても不倫は対象外なんでしょうか。

更に、上記”きちんと成果を出していれば”、”ちゃんと仕事をしてくれれば”に関して言及すれば、”きちんと”とか”ちゃんと”って何だ、という話になります。政治家と称される方々の成果をどう定量的に評価するか...まぁ、無理です。その方の活動が国益をどれだけ積み増したか、公益への寄与が如何ほどであったかなど量れません。

正に”政治家の仕事は歴史が評価する”との文言にある通り後世がどうみるかということなんでしょうが、だからと言ってその評価が適正であるか否かは別の話です。

戦犯被疑者として逮捕されても、逮捕を免れるために指揮権発動されても、刑事訴追を受けても高く評価されている政治家の事例もあります。「天才」といった題名の人物評が出版されて再評価されたりもしています。

その一方で、仕事が低く評価された、失敗の烙印が押された事例が見当たりません。何しろ前の敗戦の検証すらできていないわけですから。”政治家として無能だった”、”施策は失敗だった”という指摘は記憶にありません。つつがなく政治家生命を全うすれば、過大に称賛されること間違い無し、というのが実の処ではないでしょうか。

いずれにせよ後世による政治家の功績の評価は、印象評価の総和であって、概して時間の経過と共に高評価になっていく、という認識です。まぁ、定量評価が不可能、”死者は鞭打たない”という日本の伝統的体質に、我田引水というかお手盛りが加わって過大評価になりがちになっていると推測しています。

そんな特性を有する政治家の仕事に、”きちんと”とか”ちゃんと”といった語を当て嵌めてもなんら説得力はないだろう、というのが率直な思いです。言葉が踊っているに過ぎないのではないかと。

そういった部分に行政の生産性や成果を加え、これらを定量的に評価する手法に関する研究の必要性を強く実感しています。

これが例えば科学者や技術者の成果ならば、十分ではないにしてももう少し透明性のある評価がなされているのでしょうが...
古代人ゲノム研究の先駆者ペーボさんの著書に見る、不倫に対するドイツの寛容。

さて、上記リンクでは、他人に厳しく自分に甘いとか、他人の立証責任は追求するが自らの立証責任は放棄する、そういったダブルスタンダードを理由に山尾氏への批判が展開されています。

この批判はあくまで山尾氏個人の言動、人間性に依るものですが、別の視点から不倫行為の根幹にあるダブルスタンダード、言行不一致、不誠実といった特性について記してみます。不倫行為はこれらの特性が具現化した行動の一つであり、それは政治家として不適切だろうという話です。

下記エントリ
政治家の不倫はなぜいかんか
でも政治家の不倫が否定されていますが、いささか感情論との感を否めません。もう少し理屈を捏ねくり回してみます。と言いながらも単純な話なんですが。

自身の親や子の不倫、不倫される側の当事者、若しくは身内の立場に立った時、それを肯定できるのか、という問いに対する判断を思い描けば自明です。

或いは、政治家であれば少なくとも一般市民よりは教育行政に携わることになるわけです。道徳や倫理教育があるとすれば中初等教育あたりでしょうか。その辺りで不倫の是非がカリキュラムに組み込まれることはないでしょうが、ではそれなら容認できるのか、ということになります。

上記二例において、政治家自身が一般論というか社会通念として不倫を否定する一方で、該政治家当人が不倫行為を選択しているならば、それは言行不一致に他なりません。正にダブルスタンダードそのものです。

政治家の不倫を”プライベートなこと”として容認しようとする姿勢に強い反発を感じる理由はここにあります。尤も、配偶者も含めた自身の家族の不倫行為を肯定し、教育の場においてもそれを容認するならば整合性はあります。

それならそれで少なくともダブルスタンダードは解消されるわけですから、市民の支持を得るために先ず旗幟を鮮明にすべきです。前のエントリの理由から私は支持しませんけど。

不倫行為を虚心にみた時、不誠実との断定には至らないとしても、少なくとも”誠実ではない”との認識が衆目の一致する処ではないでしょうか。自身には正直かもしれませんが、自分以外の公私含めた周囲に対しては誠実とは言えません。

政治家の不倫行為は、”誠実ではない人物が市民の代表として政治に関わる”ことと等価です。忌避の理由を十分満たし得ると考えます。