2017年11月27日月曜日

投影

選挙が民主主義を具現化するツールであることに異論の余地はありません。選挙の結果は有権者の意志が正確に反映されたものでなければならないのも当然のことですし、それを最優先に実現すべく選挙制度は設計されるべきと考えます。

選挙制度によって有権者の意志が歪曲されてはならない、ということです。選挙は民意の写し鏡であって、決して魔鏡や凹面鏡であってはなりません。

以前のエントリで、選挙への不信任、不支持投票の導入について触れたことがあります。先日の衆院選において愛知七区で実施された選挙は、従前より複雑さが低く、不信任、不支持投票の効果を考える恰好な実例でした。

信任、白票、棄権といった、選挙におけるこれまでの選択肢に不信任という選択が加わった時、それが反映された選挙結果はどう変化するであろうかを推察してみます。

件の選挙区では、候補者は不倫疑惑で民進党を離党した前職山尾志桜里氏と自民前職鈴木淳司氏のみでした。山尾氏の離党は民進を含めた野党候補の出馬を押し留め、かつオール野党からの支援を受けた形になりました。瓢箪から駒とでも言うべきでしょうか。

で、前のエントリでも記したのですが、有権者はどうしろと...そんな状況でした。結果は僅差で山尾氏が当選、鈴木氏は比例で復活当選というものでした。これが愛知七区の選択、というか民度だったわけです。

ところが、その後該選挙区の11,000票という無効票の多さが報道されました。
1.1万票が無効に! 愛知7区無効票問題
いかに選択肢がなかったか、票を投じるべき候補がいなかったかを示す証左であるのは明白です。

では、この選挙で信任票と共に不信任票を投じる制度が導入されていたならば結果に何が現れてきただろうか、少し詳細に考えてみます。

まず、前の衆院選愛知七区についての数字情報を示します。
当日有権者数:448,044人 最終投票率:59.55%
                              得票数            得票率
山尾志桜里(当選) 128,163票        50.2%
鈴木淳司                127,329票        49.8%
白票          11,291票
ここで山尾、鈴木各氏と白票の、当日有権者数、及び、全投票数に占める割合を求めると、各々、28.6、28.4、2.5%であり、48.0、47.7、4.2%となります。

今更の話ですが、当日有権者数の30%以下の得票で当選となっています。10人中支持者は3人未満...それで選挙区の民意が正確に反映されているとみなせるのだろうか、甚だ疑問です。全投票数に占める割合でも半分以下の得票です。ある集団において、指示が半分にも満たないにも拘わらず代表が選出され、該代表が集団全体の意志を決定するというのも腑に落ちないものがあります。

尤もこれは件の選挙のみならず、ほぼ全ての選挙、与野党の決定、首班指名にも関わる話です。やはり集団の意志を忠実に選挙結果に反映させるには、選挙制度はどうあらねばならないか、真摯な議論があって然るべきと考えます。

この選挙に、不信任票を有効とする制度が導入されたとします。単純には山尾信任は鈴木不信任、鈴木信任は山尾信任、白票は両氏を不信任となるでしょうか。計算してみると(1)、

                   信任数           不信任数
山尾志桜里    128,163票    138,620票
鈴木淳司     127,329票    139,454票
共に信任数<不信任数で差分をとれば両者共に不信任です。信任率を、
信任率=信任数/(信任数+不信任数)
としてみると、山尾、鈴木両氏各々、0.48、0.479で両氏共に同程度に信任されていないという見方ができます。但し、上記は棄権票を信任率の算出から全く除外しています。棄権票(181,361票)を山尾、鈴木両氏支持とするならば、
                   信任数           不信任数
山尾志桜里    309,529票    138,620票
鈴木淳司     308,690票    139,454票
となります(2)。信任率は0.691、0.689であり、棄権票を全て信任票とみなせば、まぁ、70%弱の信任率になります。集団の70%が信任ということであれば、集団の意志が反映されているとするのも妥当な処でしょうか。感覚的にですが。しかしながら、相当数の棄権票を信任票としているわけですから、思い切り下駄を履いた、胡散臭いというか疑わしい数字です。喧伝には効果的かもしれません。こんな数字を使えば選良としての矜持が問われる気もします。

当選者は恰も(2)の信任率(信任数>不信任数)を獲得したかの如く扱われているように見受けられますが、(1)の信任率(信任数<不信任数)というのが実の処というか肌感覚ではないでしょうか。

棄権=白紙委任ですから、当選者は棄権票も自らの信任票として算入することができてしまいます。現行の選挙制度に基づけば、当選者は本来の信任投票数以上の過大な信任を獲得できることになっています。

有権者側から見て、”全てがハズレのくじ引きからより損失の小さいくじを選んだ”選挙結果が、いつの間にか”有権者にとって最も有益なくじを選んだ”結果に誤変換されてしまうわけです。棄権票=白紙委任という扱いがこの感覚の乖離をもたらしています。この扱いを除外して(1)の見方をすれば”、より損失の小さいくじ”を実感できます。

さて、今回の選挙で不信任票を投じることができたとすれば投票動向はどう変化したでしょうか。推測の域を出ませんが、意思表示の選択肢が増えるという点で投票率は上昇するはずです。これまで白票は両者不信任票として更に増加します。棄権票→両者不信任票と共に、やむを得ず”より損失の小さいくじを選んだ層→両者不信任票への転向も加わります。つまり、選挙区の意志がコアな山尾支持、コアな鈴木支持、両者不支持に明確に分断されるであろうことは予測に難くありません。焦点は、両者不支持の層がその意志を無視し得ない程大きくなるかです。

現行の選挙制度では、両者不信任の割合が相当程度増加したとしても選挙結果を覆し、再選挙等に至ることはないと思料しています。多分。組織、信者、盲目的支持者からの固定票もありますし。

しかしながら、棄権でも無効でもなく不信任が明示されることは、極めて意義あるという民意の表明であると考えます。この不信任の意志が強いほど、その選挙が”より損失の少ないハズレ引くくじ”を具現化したものであることを意味しますから。

このような多様な民意の明確化を原動力として、直ちには無理であったとしても、民意が正確、忠実に反映される民主主義社会へと向うことを願ってやみません。

(追記)
偶々、11月27日に実施された市川市長選で、”当選者なし”、50日以内に再選挙という結果が出たようです。
当選者なしでまさかの「再選挙」となった市川市長選挙
1位の得票者でも有効投票数の25%である法定得票数約30000票を獲得できなかったとのこと。有権者が明確に不信任の意思表示をできれば、”選ぼうとしているのは有用な当りなのか、或いは、損失の少ないハズレなのか”といった該選挙に対する有権者の姿勢を露わにすることができます。この有権者の姿勢は換言すれば選挙に対する期待感であり、これを明示することが蔓延する政治不信の解消へと繋がっていくのではないでしょうか。

該選挙の投票率は30.76%とのこと。全ての投票が有効票として、有効投票数の割合は全有権者の7.69%...集団の約8%の支持で集団全体の意志を左右する権限を持つ代表が決定されるという状況も、果たして健全な民主主義社会なのか疑問が拭えません。

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