2016年6月14日火曜日

墓標(追記あり)

ここの処、城郭やその石垣の復元、再建についての話を見聞しました。
進む石垣修復 白河の小峰城
2020年までに名古屋城の天守閣を木造復元させる計画があるって本当?
<熊本城>石垣修復費用354億円 文化庁試算
姫路城 平成の修理
こういった古城の復元事業に対し、なかなか素直に支持できない違和感を抱いており、少し記します。

該事業は公共事業であり、直接間接を問わず事業の原資が公金であるのは間違いない処です。で、その事業目的は観光資源の確保文化遺産の保護とされています。

ただ、城本来の存在意義を鑑みた時、果たして古城の復元は公共事業として適切性はあるのだろうか、疑問を持ちました。日本において城は元々、戦、合戦の基地、砦として、支配者の権勢を示威するオブジェとして、或いは日本全体の統治者(徳川家)が各藩、特に外様大名家財政を疲弊させるための方便として利用されてきた、と理解しています。

観光資源、文化遺産としての意義など当初はなく、城を復元、再建してまで観光資源とする必然性はないんじゃないかと。勿論、現在の日本で城を使った戦、内戦など想像すらできません。国家が地方自治体の財政を疲弊させることも動機がありません。地方自治体の首長が権勢を示威する...これはその当時ほどあからさま、直接的ではないにしてもモニュメント、墓標としての意味合いを含めれば完全な否定はできないかもしれませんが。

即ち、城本来の目的はほぼ失われているわけです。言い換えれば再建してまで城を観光資源とする必然性はない、ということです。観光資源が必要で、そこに公金を投入するならば、城に拘ることなくもう少し知恵を出して他の選択肢も考えるべきです。必要ならですが...

公共事業の無駄、公務員制度の改革がやたらと新聞紙上を賑わせた際耳にした、ハコモノ行政と何ら変わりありません。むしろ典型例ではないでしょうか。ハコ、巨大な建造物建設に莫大な公金を投じて、何をどれだけ生産しようという目論見なのか、理解できないでいます。

例えば、白河小峰城の石垣修復で50億円、名古屋城天守閣の木造復元では最大504億円、熊本城では石垣修復で354億円の事業費が見込まれています。まず事業ありきの印象は否めず、適切な費用便益分析ができているとは思えないのですが。こういった巨額の公共事業について、これまでの費用便益分析の検証結果を糧としているのでしょうか。公共事業についてより高精度の生産性評価が為されるべきです。性懲りもなく、同じ轍を踏む図が思い浮かびます。

尤も、損失が累積し負債が問題になる頃には、決定権者を含めた関係者が非当事者になっているのは確実です。維持管理費も含め、負担が継続的に後世に受け継がれていくわけですが、”責任を後世に先送りする”という意味では民主主義社会が具現化されている、と言えるのかもしれません。

抗えない民主主義の負の側面ではありますが、だからといって目を背け続けていても愚が繰り返されるばかりです。

城を再建するのであれば、本来の機能を鑑みて近代戦に対応した基地、砦、シェルターでもいいじゃないかと。観光資源としてして捉えるならば、タワー、塔、巨大観音像、実物大ガンダムでも、もう少し他に何かないのかと思ってしまいます。公金に頼りさえしなければサグラダ・ファミリアでも構いませんけど...
――400年の歴史を積み重ねた石垣です。再び数百年の風雪に耐えられるよう、以前と同じ状態に修復します。――
何かの記事で目にしました。いや、城本来の存在意義が失われた現在、400年の歴史があるからといって再建の根拠には乏しいわけです。崩落も又一つの歴史です。安全対策を施した上で、
――よく保ったなぁ400年も。ここらでお役御免にしとこうか。今後は城址として残しておこう。――
といった向き合い方でいいんじゃないかと。

”国破れて山河あり。城は在っても民はなし。”数百年の歴史に耐えられるよう再建しても、少子高齢化の果て人口減で人がいなくなってしまっては...天空の城じゃあるまいに、城を再建するならその資源を保育園建設に振り向けろ、ということです。

少子化、人口減、それに伴う社会保障費の増大への対策を蔑ろにする一方で、声高に文化だ、伝統だと叫んで、城郭やその石垣の復元、再建に注力しても現世代の自己満足に過ぎない、といった感が否めないわけです。まだ世に出ぬ後世に思いを馳せれば、他に目を向けるべき部分はそこじゃないだろうと。
――金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。――
城の復元が人を残す事業でないのは確かです。
2019年10月の消費増税も延期すれば、財政再建計画は崩壊する
といったブログエントリがあったとしても、城の復元云々をやっている間は消費増税を延期し続けて大丈夫なのかもしれませんが。


ところで、各地の城郭、石垣の復元は首長の理解、承認、支援なしには遂行不可能な事業です。換言すれば、なぜ首長は城を含めた建造物を建設、再建したがるのでしょうか。かつて為政者の役割を担っていた、各地の大名、武将、有力者が権威を誇示して己の存在を標しておきたい、ということと同根のものを感じてしまいます。モニュメント、記念碑、墓標の意味合いを含んでいるような...

昨今、引継者、管理者が不在という理由で、お墓を解体・撤去する廃墓、いわゆる墓じまいの件数が増加しているようです。首長の墓標ともみなし得てしまうような公共の建造物についても墓じまいを検討することが必要ではないかと考えます。

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