2025年7月20日日曜日

虚仮

 東洋大学は何ら会見を開く気はないのでしょうか。田久保眞紀・伊東市長の卒業証書の件です。
報道によれば、市長が大学に出向いて卒業証明書を取ろうとした処、
─私は卒業ではなく除籍ということが判明しました─

とのこと。卒業したと思っていたら除籍されていたと。つまり、東洋大学法学部のカリキュラムは、学生が卒業できたのか除籍になったのか判別できない程度の内容ということです。大学に卒業証明書の発行申請をするまで、自分が卒業したのかしていないのか判らないと。東洋大学法学部はそれを肯定する形になっています。

卒業しているか否かは卒業証明書の発行申請で確認しなければ判らないほどカリキュラムの中身が空疎であると受け止められかねません。東洋大学という高等教育機関の存在意義にも関わる話だと思うのですが... 

信任

 岸田前政権の時も思ったのですが、それほどまでにダメなんですか、石破総理。ダメはダメなんですよ、絶対評価としては。
ただ、外れしか入っていない籤引であれば、最善は損失が最小となる籤を引くことです。

各野党の主張と相対的に評価してみて、損失が最小となる選択を考えると、まぁ、石破自民か...信任はできないが他は輪をかけて信任できないわけです。

各党いずれも物価高対策と称して、金をバラまくとか消費税減税とかポピュリズムの権化になって揉み手で歓心を買うことしかできないのか?それが民主政治の本質と言われればその通りで反論できませんけど。

公報を読んでもつまらないことこの上なく関心を失せさせます。その理由は何処にあるのか、なかなか思い当たりません。ただ、その一つに

知恵がない
ことがあるのは確かです。連日報道される解決困難な問題、例えば、
依然後を絶たない冤罪問題
教員による生徒への猥褻事件
公的機関保有の自動車搭載カーナビのNHK受信料不払い問題
教育政策
科学技術や第一次産業を含む産業政策
為替を含む金融政策
少子高齢化と地方の過疎化
イスラエル、ウクライナ、台湾、トランプ関税を巡る外交政策
等で知を感じさせるというか、賢いと思わせるような主張を見聞したことがありません。

どこかから金を集めて配る、財源の根拠もなく減税する、そういった金絡みの単純な主張ばかりで、そこに頭の悪さを感じさせます。少しでも、生産性、効率、合理性を印象づける文言があれば少しは違ったかもしれませんが。

他にもあるかもしれませんが、少なくともこの”賢くない”が一つの理由であるのは間違いありません。政治というもののの目的は自由、平和、公正、平等、便利、快適な社会の実現です。それを踏まえれば"社会が賢くなる"ことは必須であるにも拘らず、果たしてそういった方向に社会を進める選挙なのか、甚だ疑問です。