2025年4月22日火曜日

クーポン

今更、石破商品券問題について云々するつもりは毛頭ありません。批判も支持もしません。いずれ辞任は必至で、当面は混迷状態が続くものと思われます。

それについては論評する気も起きなかったのですが、ただ、この問題の周辺で関心を引いたり考えさせる言動がありました。斜めの視点から少し記します。

この商品券問題が発覚した際、
”お金にクリーンなイメージだったのに...”

といった声を聞きました。おそらく、テレビのニュースワイドショーに出ていたジャーナリストからです。幾人かが口を揃えてコメントしていました。

で、当の本人は、

長年やっていて、人付き合いが悪いの、ケチだのと散々言われてきたので、そのことについて気にする部分が相当にあったんだろうと思っている

と弁明しました。おそらく言い逃れなんでしょうが、自身の人物評を答弁に引用したわけです。この定評は外れてはいないのでしょうが、弁明の言質に取られたのは間違いありません。この人物評を定着させたメディアは一体どういった意図だったのか、揶揄とかネガティブな印象付け以外になかなか思い当たりません。

これが例えば、商品券問題の発覚前に、倹約家とか合理主義者といった別角度の語で人物を評価しておけば、上記弁明はできなかったのではないかと。ものは言いようであって、石破総理をケチとも生産的とも評することができ、両者は全く同義ではないにしても異なった印象付が可能なわけです。

商品券問題発覚以前には、ケチとか人付き合いが悪いなどと揶揄しておいて、発覚後になって”お金にクリーンなイメージだったのに...”と失望感を示すのは、すり替えです。いったいどれだけのメディア、ジャーナリストが問題発覚前に”お金に関し清廉”と捉えていたのか。失望感や裏切られた感を表明できるのは、一時でもその立場を採った者だけです。

さて、話変わって本論に。時折、論争というか人格攻撃合戦が巻き起こるテーマの一つに”デートの際のクーポン払い”というものがあります。

"デート"、” クーポン”で検索してみると相談?のような事例が掃いて捨てるほど現れます。それはもう、ネットワーク資源の無駄と言っても過言ではない程です。

で、デートの際に男がクーポンを利用することの是非を問う形をとりながらも、”ケチ”、”せこい”、”人間が小さい”、”ダサい”、”恥ずかしい”等々の理由で、誹謗しつつ蔑むべきとか避けるべき行為ではないか、というのが概略です。この問題に対しては賛否があって、アンケート結果を公開しているサイトによれば、クーポン利用に肯定的という意見が過半のようです。とは言っても圧倒的というほどではなくあくまで多数意見に留まっています。

この、デートの際のクーポン利用を見下す、蔑視する女性の意識の根底は何か、と考えてみますと、
自身の価値が割引される

こととの同一視ではないかと思うわけです。即ち、

[デートでの出費がクーポンにより減額]

=[自分に対する出費がクーポンで減額]

=[クーポンで減額された価値が自分の価値]

への反発が上記見下しに結びついている、ということです。

逆に、

[デートでの散財、浪費]

=[自分に対する散財、浪費]

=[水増しされた自分の価値]

であれば、高評価に繋がるのでしょう。賢明か否かはこの際どうでもいいことです。
──橋下さん、維新っておとこ気ありますね。20万円のワインを2本あけてくれましたよ──

丁度、石破商品券問題が騒がれていた頃、目にした文言です(日刊スポーツ[2025年3月23日9時29分])。伝聞の伝聞で真偽は存じませんが、この話は上記デートでクーポン利用の裏返しです。

石破総理の商品券配布もワインをあけた維新の某と行動原理は同じです。商品券ではなくクーポンを、それもチラシや雑誌から切り抜いたようなクーポンを配っていれば窮地に立たされることはなかったかもしれません。ケチくささに拍車がかかったというか、稀なるケチといった人物評になるのか、庶民的とか堅実となって好感度が上がるのか、好奇の心を寄せるべき処です。