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2016年7月2日土曜日

作意

かねてから戦時期をまたぐNHK朝ドラのシリーズには強い違和感、場合によっては反感すら抱いてきました。勿論、現在放送中の”とと姉ちゃん”も含めての話です。

どのシリーズでも、時代が戦時下の回では必ず厭戦・反戦プロパガンダドラマと化し、朝から憤懣遣る方無い気分に陥ります。で、いくつかの疑問と共に思う処を少し記してみます。

こういった厭戦プロパガンダドラマの脚本、演出はやはりそういった思想を持つ作家を起用して生み出されているのか、或いは、NHKの思想を反映するよう脚本家、演出家に要求しているのか、興味のあるところです。いずれにせよ、厭戦・反戦意識を視聴者に植え付けたいという、NHKのくどい上に行き過ぎた意向が働いているのは間違いありません。

この手法から推測すれば、過去、実際の戦時下でNHKが上記と逆方向のプロパガンダ放送をラジオで行ってきたことは想像に難くありません。かなりえげつない戦意高揚放送を流してきたのだろうなと。戦争を賛辞する、現在と鏡像の状態にあったわけですから。

そういった自らが行った過去の放送をおくびにも見せず、素知らぬ顔で厭戦・反戦プロパガンダドラマを放送していることに強い抵抗を感じます。何様ですかと。NHK様ですか。みなさまの公共放送の...ああ、そうですか。

戦争という行為の肯否以前の話として、公共放送の情宣活動によって、上から目線で視聴者を教育、啓蒙してやろうという意図を感じます。極端に言えば、厭戦・反戦思想の教育、統制を図っているのでは、と思わせます。方向性は異にするものの、かつて国家の協力者として戦争の片棒を担いでいたのと同質ではないか、ということです。

朝から、そういった意図があからさまに伝わってくるわけで、これが不快感を催させる源なんだなぁと。

その手法も実在の人物をモデルにしつつもフィクションとすることで事実と虚構の隙間を利用したものです。即ち、事実を脚色した創作を利用することで、虚構をあたかも事実であったかのように視聴者に信じ込ませるわけです。社会派と称される文芸作品、歴史小説でみられる常套手段ですが、それは果たして誠実な手法なのか、斜に見ています。

山崎豊子は正しく、百田直樹は怪しい、坂の上の雲”は事実で、はだしのゲン”は虚構という見方、或いはその逆にも与できない、ということです。

今日、戦争の賛辞、戦意高揚の手段としたそういった手法の使用はすっかり影を潜めていますが、国威発揚のためには時折用いられているような気がしてなりません。

6/28放送の中で耳にした、主人公常子の言葉です。
お国を守るために、戦争をしなければならないのは、仕方のない事です。軍人さんが、命を懸けて戦って下さっているのも、よく分かっています。ただ…戦争を讃えるような雑誌を作る事が、私には、どうしても苦しくて。いろいろなものを奪っていくような戦争を讃え、国民を、あおるような雑誌を作りたいという気持ちには、どうしても、なれないんです。なんとかして、違う内容の雑誌を作る事はできないでしょうか。
当時のNHKラジオもそうだったと代弁させたかったのでしょうか。モデルとなった女性が実際にそういう主旨の発言をしていたかもよく分かりません。

上記文言をもう少し勘ぐってみると、本心か否かはともかく、国を守るためとして消極的に戦争を肯定しているわけです。ドラマ全体としては、戦時下の思想や発言が制限された社会、窮乏生活が厭戦感を醸し出していますが、主人公の言葉として”厭戦・反戦”は発せられていません。

それを口にすることは即ち、軍部だけでなく国家、体制、為政者を批判することになりますから。過去の全体主義時代のこととはいえ、NHKは国家を批判しない、ということなんでしょう。厭戦・反戦を謳うものの、根幹の責任部分からは目を逸らすと。ご都合主義であり、日和っているというのが素直な印象です。

代わりに、国防婦人会の参加者、町内の班長といった市井の名も無き戦争協力者を憎まれ役に仕立てて厭戦感を植え付けています。やり方として如何なものでしょうか、陰湿さを感じます。
”(時代を問わず)愚かな人間に舵取りを任せると国を誤る”
くらいの台詞があればもう少し評価できるのですが...

更に記せば、上記戦時下における窮屈で困窮した生活に対する不満は当時の対戦国であった米国に向けられるのが自然な感情の発露ではないでしょうか。それが誤ったものであったとしても...

主人公の口から”許すまじ”とか、”憎むべき”といった米国を批判する文言が全く出てきていないわけです。まぁ、米国に対する配慮が働いているのは間違いない処ですが、平均的市民の感情としてそういう部分を排除して描かれていることに不自然さ、わざとらしさを感じます。

先日、NHKスペシャルで 
"そしてテレビは“戦争”を煽(あお)った"
というドキュメンタリーを視聴しました。てっきりNHKが戦時下にどういった役割を担ったかについての検証番組かと思ったのですが、期待は裏切られました。ロシアによるクリミア併合でウクライナとの間で起こった紛争の際、テレビを始めとするメディアが何をどのように伝えたか、という番組でした。

自国に都合よく、又相手国に対する憎悪を掻き立てるような報道が、演出と捏造によって行われていたと。戦時下におけるメディアの行動としては自然で合理的ではあります。報道の在り方としては全く正当ではありませんが、理解できないわけではありません。古今東西、戦時下においてメディアは常に相手国の非難、自国の正当化を通じて、戦意高揚など国民を煽動してきましたから。

この番組で取り上げられたウクライナのテレビ局とNHKは対照的です。戦時下のNHKも同様な姿勢であったと容易に類推できます。戦争の片棒を担ぐメディアによって登場人物の対戦国に対する反感が植え付けられる、そういった片鱗すら朝ドラのシリーズには窺えません。

過去の戦時下においてNHK自らは何を放送したか、そういった部分には頬かむりして”戦争という行為”そのものに対する忌避感を煽っても、不自然、不誠実、欺瞞、お手盛り、そういった印象が常に付いて回ります。

2016年6月19日日曜日

邪推

自動車の燃費不正問題が結構な騒ぎとなっています。

で、以前のエントリでも少し触れているのですが、燃費偽装が行われているならば、鮮度偽装があってもおかしくないなぁ、と改めて思いました。

蒸し返します。
0〜2℃の凍る直前、0〜-3℃の微凍結といった温度下であれば、通常の冷蔵保存より長期間の保存が可能
例え上記機能を謳う冷蔵庫であっても、鮮魚、精肉などの生鮮食品を購入、保存する際、その使用者が記載された消費期限を気にしないとは思えません。”パーシャルだから風味の劣化もなく、大丈夫のはず”と、そこまでチルドやパーシャルでの保存に信頼を寄せられるものでしょうか。

やはり生鮮食品では依然消費期限が意識され、殆どの場合その期限内に使い切られており、期限を超えて保存されることは少ないのが実のところのような気がします。

該機能によって、消費期限の過ぎた生鮮食品を躊躇うことなく口にしている世帯が増えているようには見受けられないのです。(勿論超過した程度にもよります。少しとかちょっと過ぎたという話ではありません。)

こういった意識下では”鮮度が長く保持される機能”も十分活用されないのではないか、更に、十分活用されないことを前提にすれば鮮度保持性能の偽装も起こり得るのではないか、そんな杞憂が脳裏をかすめた次第です。

2016年6月14日火曜日

墓標(追記あり)

ここの処、城郭やその石垣の復元、再建についての話を見聞しました。
進む石垣修復 白河の小峰城
2020年までに名古屋城の天守閣を木造復元させる計画があるって本当?
<熊本城>石垣修復費用354億円 文化庁試算
姫路城 平成の修理
こういった古城の復元事業に対し、なかなか素直に支持できない違和感を抱いており、少し記します。

該事業は公共事業であり、直接間接を問わず事業の原資が公金であるのは間違いない処です。で、その事業目的は観光資源の確保文化遺産の保護とされています。

ただ、城本来の存在意義を鑑みた時、果たして古城の復元は公共事業として適切性はあるのだろうか、疑問を持ちました。日本において城は元々、戦、合戦の基地、砦として、支配者の権勢を示威するオブジェとして、或いは日本全体の統治者(徳川家)が各藩、特に外様大名家財政を疲弊させるための方便として利用されてきた、と理解しています。

観光資源、文化遺産としての意義など当初はなく、城を復元、再建してまで観光資源とする必然性はないんじゃないかと。勿論、現在の日本で城を使った戦、内戦など想像すらできません。国家が地方自治体の財政を疲弊させることも動機がありません。地方自治体の首長が権勢を示威する...これはその当時ほどあからさま、直接的ではないにしてもモニュメント、墓標としての意味合いを含めれば完全な否定はできないかもしれませんが。

即ち、城本来の目的はほぼ失われているわけです。言い換えれば再建してまで城を観光資源とする必然性はない、ということです。観光資源が必要で、そこに公金を投入するならば、城に拘ることなくもう少し知恵を出して他の選択肢も考えるべきです。必要ならですが...

公共事業の無駄、公務員制度の改革がやたらと新聞紙上を賑わせた際耳にした、ハコモノ行政と何ら変わりありません。むしろ典型例ではないでしょうか。ハコ、巨大な建造物建設に莫大な公金を投じて、何をどれだけ生産しようという目論見なのか、理解できないでいます。

例えば、白河小峰城の石垣修復で50億円、名古屋城天守閣の木造復元では最大504億円、熊本城では石垣修復で354億円の事業費が見込まれています。まず事業ありきの印象は否めず、適切な費用便益分析ができているとは思えないのですが。こういった巨額の公共事業について、これまでの費用便益分析の検証結果を糧としているのでしょうか。公共事業についてより高精度の生産性評価が為されるべきです。性懲りもなく、同じ轍を踏む図が思い浮かびます。

尤も、損失が累積し負債が問題になる頃には、決定権者を含めた関係者が非当事者になっているのは確実です。維持管理費も含め、負担が継続的に後世に受け継がれていくわけですが、”責任を後世に先送りする”という意味では民主主義社会が具現化されている、と言えるのかもしれません。

抗えない民主主義の負の側面ではありますが、だからといって目を背け続けていても愚が繰り返されるばかりです。

城を再建するのであれば、本来の機能を鑑みて近代戦に対応した基地、砦、シェルターでもいいじゃないかと。観光資源としてして捉えるならば、タワー、塔、巨大観音像、実物大ガンダムでも、もう少し他に何かないのかと思ってしまいます。公金に頼りさえしなければサグラダ・ファミリアでも構いませんけど...
――400年の歴史を積み重ねた石垣です。再び数百年の風雪に耐えられるよう、以前と同じ状態に修復します。――
何かの記事で目にしました。いや、城本来の存在意義が失われた現在、400年の歴史があるからといって再建の根拠には乏しいわけです。崩落も又一つの歴史です。安全対策を施した上で、
――よく保ったなぁ400年も。ここらでお役御免にしとこうか。今後は城址として残しておこう。――
といった向き合い方でいいんじゃないかと。

”国破れて山河あり。城は在っても民はなし。”数百年の歴史に耐えられるよう再建しても、少子高齢化の果て人口減で人がいなくなってしまっては...天空の城じゃあるまいに、城を再建するならその資源を保育園建設に振り向けろ、ということです。

少子化、人口減、それに伴う社会保障費の増大への対策を蔑ろにする一方で、声高に文化だ、伝統だと叫んで、城郭やその石垣の復元、再建に注力しても現世代の自己満足に過ぎない、といった感が否めないわけです。まだ世に出ぬ後世に思いを馳せれば、他に目を向けるべき部分はそこじゃないだろうと。
――金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。――
城の復元が人を残す事業でないのは確かです。
2019年10月の消費増税も延期すれば、財政再建計画は崩壊する
といったブログエントリがあったとしても、城の復元云々をやっている間は消費増税を延期し続けて大丈夫なのかもしれませんが。


ところで、各地の城郭、石垣の復元は首長の理解、承認、支援なしには遂行不可能な事業です。換言すれば、なぜ首長は城を含めた建造物を建設、再建したがるのでしょうか。かつて為政者の役割を担っていた、各地の大名、武将、有力者が権威を誇示して己の存在を標しておきたい、ということと同根のものを感じてしまいます。モニュメント、記念碑、墓標の意味合いを含んでいるような...

昨今、引継者、管理者が不在という理由で、お墓を解体・撤去する廃墓、いわゆる墓じまいの件数が増加しているようです。首長の墓標ともみなし得てしまうような公共の建造物についても墓じまいを検討することが必要ではないかと考えます。

2016年5月20日金曜日

圧力

本日(5/20)の定例会見でも辞職を否定、都民のために都知事でいたいとのこと。
舛添知事釈明会見(1)謝罪連発、深く頭下げ「非常に信頼を失っている」でも…辞任は否定
で、こういったブログエントリがあります。
舛添さんの8回のファーストクラスの渡航で溜まったマイルはどれくらい??
その中で、
都民として舛ハゲの豪華家族サービスやファーストクラスに使われるなら、1円なりとも都民税を払う気に全くなれない。法人税は仕方ないとしても個人の住民税はふるさと納税で東京には納めないことにした。
との文言があるわけです。ツイッターやフェイスブックといったSNSを利用した
”都に納税したくないからふるさと納税した”
との意思表示は、ある意味民意の具現化です。”保育園落ちた...”ブログ並みに騒ぎになれば結構な圧力になるのではないでしょうか。

尤も税収減は次年度となりますが。

ただ、税が公益のために公正、合理的に資されているという前提の下、このふるさと納税の制度を鑑みれば、問題ある制度であり否定的に捉えているのが率直な処ではあります。

寄付の見返りとしての”お礼の品”に着目すれば、節税どころか換金性の高いお礼の品を利用すれば、合法的課税逃れと言えなくもありません。

更に、以前記した道の駅についてのエントリに通底した、(実質的に)公的機関による通販事業運営で生じる問題が潜んでいると考えます。

これまで、為政者、閣僚、代議士、選良と称される公人による公私混同、政治資金という公金の不正流用問題が数多報道されてきました。舛添都知事の疑惑が現在進行中で最新です。

加えて、官庁においても過去、公金の私的流用、裏金問題、横領、贈賄といった不祥事は枚挙に暇がありません。外務省、大使館、社保庁、岐阜県庁、北海道警等が直ぐに思い当たるところです。

そういった報道を見聞する都度、少なくとも自分の納税分についてその使途に自身の意向を反映させられないものか、と思ってしまいます。”納税しない”という意味ではありません。

適正な予算配分が一市民には到底不可能であることはよく承知しています。しかしながら、納税者向けに、少なくとも自らの納税分について、振り向けたくない費目、重点配分したい費目といった程度に意思表明できる選択肢が用意されるべきではないか、ということです。

この意志の集合こそが正しく民意で、それ以外の何物でもありません。税金の使途についての選択権、これは極論すれば特定の予算についての拒否権です。この納税者が税金の使途について選択できるという自由が、上述のような不祥事発生の抑止力に、或いは、予算の合理的な運用や公務の効率化に寄与し得ると考えます。

住民票のある都道府県、市町村以外の自治体への納税を選択できる、これがふるさと納税です。この制度を端緒として、国税も含めた税の使途選択の仕組みを用いることで、国政へのより直接的な民意の反映が実現するんじゃないか、そう思った次第です。困る方々も多そうですが。

候補

さて、次期都知事候補です。人材が枯渇していることは既に記したんですが、考えました。強引に。
チェスが強い。高齢。

2.スカイネット(ワーナー・ブラザーズ)
反抗的。2029年に人類絶滅の危機に追いやられる。実現性不明。

3.ハレルヤ(虫プロ)
協調性低い。攻撃的。実現性不明。

4.アルファ碁(Google)
実現されている中で最も若く賢い。ディープラーニングをするそうだ。囲碁が異常に強いものの、残念ながら囲碁しかできない。

これらは、ともかく、ネットワークを利用した集合知が、新たな都知事の選出といった社会の意思決定、判断にもう少し取り入れられて然るべきです。

2016年4月2日土曜日

残骸

以前記したUSBハブや延長コードの事例と似た話です。

シャツのボタンが取れた時、該シャツは廃棄されても構わないのか?

自宅に簡易式のハンドシュレッダがありました(下写真)。




元々2-3枚程の紙を裁断するにもそれなりの力でハンドルを廻す必要がありました。軽い力でクルクルというわけにはいきませんでした。で、ある時、ハンドルを廻しても全く紙送りと裁断ができなくなりました。ハンドルが空回りしているようです。

分解してみた所、ハンドルの回転を裁断機構に伝達する、ギヤの歯が欠損していました(下写真)大きさは十円硬貨程度でしょうか。小径ギヤの歯の中、二枚を残してほぼ全てが折れており、これではハンドルが空回りしてしまうのも当然かと頷けました。



金属製のギヤの歯が欠損してしまうというのも、設計上どうなんだろうと思わないわけではありませんでしたが、まぁ、このギヤさえ交換すれば、本来の裁断機能を取り戻すことができるはず、と見立てました。

じゃ、どうやってこの補修用ギヤを入手するか、になるわけですが、入手は不可能でした。メールで問い合わせた処、
せっかくお問い合わせをいただき、大変申し訳ないのですが、お問い合わせの部品は、単体の在庫がなく、一般商品でセットになった状態となっておりますためご用意ができかねます。
とのこと...確かに安価な製品ですから、そのまま廃棄することもやぶさかではありません。ただ、金額の多寡ではなく、小さな部品一つの破損で本体全てが無用のゴミと化して廃棄せざるを得ないことに釈然としないものを感じています。

このタイプのハンドシュレッダは各社から製品化されているようですが、ネットで検索しても、Amazonのレビューを見ても結構壊れているようです。破損部分も駆動部分のギヤ歯欠けとほぼ同じです。

結局、このタイプのシュレッダに共通する大きな破損原因は駆動部のギヤの強度、耐久性のようです。これだけ、原因が特定できているならば、もう少し破損に備えた対応が可能なんじゃないかと、メーカの対応に疑問を抱きました。決してギヤの破損に対して指摘する意図はありません。

ギヤの強度向上は難しくとも破損が予測される消耗品と捉えれば、補修部品として用意、或いはスペア部品として製品に添付すれば十分です。

この小さなギア一つの破損でシュレッダ全体が無用の長物となり廃棄せざるを得なくなることに抵抗を覚えるわけです。社会全体では結構な量のハンドシュレッダの瓦礫の山が築かれているのでは、と想像します。使い捨て文化の、そういった部分に社会の非効率性を感じています。ハンドシュレッダが紙の裁断屑を産み出すことは理解していましたが、シュレッダ自体が無用のガラクタになることまで思いが及びませんでした。

そして、やはり最後は、無用なガラクタを産み出さないハンドシュレッダとヤジを飛ばさない政党、実現可能性があるのは何方?という問で結ぶことに致します。

2016年3月6日日曜日

筋書 

日銀の準備預金超過分へのマイナス金利導入を受けて百貨店の「友の会」が人気のようです。

かなりお得! 百貨店「友の会」徹底比較 マイナス金利で「積み立てサービス」入会者急増

積み立て後、最高8%分のボーナスがついた買物券、若しくはプリペイドカードとなって戻ってくるようです。で、何を買うの、といった話になるわけですが...

必然性のある、”何”が思い当たらないのです。以前のエントリにも記したのですが、少なくともデパ地下には購買意欲を唆られる品はありませんでした。
 
百貨店と同じ商品を約7.5%割引で購入できれば同じなんじゃ、と
素直に思った次第です。難題なんでしょうか。


2016年2月28日日曜日

奇手

政権への打撃を希釈する目的もあったのでしょうか。勿論勘ぐりです。1月28日 夕刻、建設業者からの金銭授受を理由に甘利経済再生相が辞任しました。
甘利大臣辞任会見会見(全文5・質疑応答2)
で、その翌日(1/29)、日銀は新たな金融緩和の施策として、日銀当座預金へのマイナス金利の導入を決定したわけです。
現政権における重要閣僚の不祥事に対する追求の目を外らす、そういう見方も否めないなと。(2/27の時点ではマイナス金利による混乱、弊害は報道されています。市中への資金の流入は活性化されたのでしょうか。
――このタイミングで日銀が何もしないことはありえない―― 
2/1付日経朝刊の記事にあった、黒田日銀総裁がマイナス金利導入を提案する直前の政権幹部の言葉です。真偽は存じません。当然の如く日銀が対策を打ち出すと...講談社からの小保方氏の手記発売も、批判の矛先を逸らせるいいタイミングだったかもしれません。
手記発売はさておき、このマイナス金利導入で中央銀行の独立性に疑義が生じ、通貨の番人としての信頼に傷がついたとみています。物価と雇用の安定に対する責任といえばモノは言いようですが、政権の尖兵として政権維持の片棒を担いでいるんじゃないかと。

で、この金融政策によって何が起こるのでしょうか。

これまで市中銀行は日銀に国債を売っていました。売却代金は日銀の当座預金口座にブタ積みされてきたわけです。従来、このブタ積み部分に付利がついていましたが、マイナス金利の導入により残高が目減りしていくことになります。

ではそのブタ積みされた残高は引き出されてどこに向かうのか?日本国債の買い戻しと外国債券の購入に充てられるのが妥当なところじゃないかと。その結果、国債価格の上昇と円安が進むのでしょうか。少なくとも、素直に民間への貸付増大に向かうようには見えません。

”実体経済は金融政策のみでコントロールできる”、いつまでも幻想を抱き続けるのも如何なものだろうか、そう思った次第です。

2016年1月17日日曜日

行詰

独占を堅守するつもりなら相応の矜持が必要です。独占に伴う責任を自覚できないならば、規制緩和を進めて信書送達事業を民間他社に開放すべきではないでしょうか。
――あて所に尋ねあたりません――
だったか、
――配達準備中に調査しましたが、あて所に尋ねあたりません――
毎年、差出した年賀状の内、一葉は差し戻されます。宛先住所不明とのスタンプが押印されて。

いや、不明とされた住所から差出された年賀状を頂戴しているのですが...年間を通じて一〜二通は誤配もあります。

記憶を遡れば、自動車税の滞納者扱いを受けたこともありました。転居の際、郵便局に転居届を出していたのですが、税の納付期限が過ぎたあたりでしょうか、突然県税事務所からの電話が...

――自動車税を滞納しています。一体何時納付するんですか?滞納金が...――
そもそも納付書自体が転送されていませんでしたから、端からの滞納者扱いは不快を催させました。当然、

――納付書が届いていない。事情も鑑みずいきなりの滞納者扱いは失礼じゃないのか?――
となるわけです。県税事務所の言い分は、差出した時点で納税者に届いたとみなしている、とのこと。

――届いていないのは事実だ。いきなり滞納者扱いしたいなら書留か、配達記録便で送ってから言うべきじゃないのか。――
まぁ、謝りませんわね。これが公務員の無謬性なんでしょうか。結局、納付書が新住所に再送されて納税しました。ちなみに、最初の納付書はそれから半年後に転送されてきました。


年々、郵便送達に関わる信頼性が毀損していく一方で、営業活動、特に年賀状の販促活動は熾烈さが増大している、そういった印象を抱いています。

ここ数年、晩秋、初冬あたりから年賀状のセールス活動が開始されている気がします。郵便受けには郵便物と共に、近隣の特定郵便局二局から年賀状の申し込みハガキが投函されます。

その後、郵便配達員から直接年賀状の申し込みハガキを受け取ります。こちらは、本局への申し込みとなります。その後、所用で郵便局に赴けば、至る局で
――年賀状はもう用意されましたか?――
の問いかけがあります。12月も中旬を過ぎて、スーパーの店頭、本局の局前に設けられた特設売り場からの、年の瀬に行き交う人々への販促活動で佳境を迎えます。正に、年賀状を購入しない市民は許すまじ、そういった感すら覗えます。

年賀状って日本郵便の独占事業じゃないのでしょうか?年賀状市場という一つのパイはそのまま日本郵便のものです。以前、横から手を出そうとしたヤマト運輸は、厳しくその手を叩かれ、最近ではメール便からの撤退も余儀なくされています。

いくら販促活動をしようが、年賀状を送る人が必要以上の年賀状を購入するはずはなく、又、送らない人が購入に傾くわけがありません。販売元は日本郵便で共通ですから、本局と地域の特定郵便局で互いに共喰いしているに過ぎないかと...

不毛で非効率以外の何ものでもありません。相当の余剰人員があるんじゃないかと疑ってしまいます。”株式会社になって営業も頑張っています”、ポーズならば動機は理解できます。しかしながら、株式会社化して利益を意識せざるを得ないとしても、方向が誤りです。

漏れ聞く所によると、局内では、”年賀状はまだまだ。年々伸びている。”、といった訓示が管理職からあるようです。???大本営ですか...

虚礼廃止、人口減少、e-mailやSNSといったコミュニケーションツールの多様化といった潮流を鑑みれば、年賀状の発行枚数が増加する根拠が見つかりません。

以下は裏付けるいくつかの現状です。
ノルマ1万枚!年賀はがき販売で郵便局員同士が過酷な潰し合い!売れないと一人で路上販売
年賀ハガキの利用者がどんどん減っているらしいので発行枚数を調べてみた(2015年発行分まで)
同様な非生産的な話はクレジットカードの勧誘キャンペーンで遭遇しています。銀行や航空会社等、比較的”堅い”とされている企業が発行する、年会費が有料のクレジットカードの会員加入を、該企業に勤務する取引先、友人、親類あたりから依頼されたことはないでしょうか。

大抵、初年度会費が無料で、有料となる時期が来る前に連絡をもらって解約する取り決めをしています。一度も使用することなく、解約の電話を入れてカードにハサミを入れるわけです。

未だ釈然としないままです。せいぜいカードの発行枚数の多さを誇示する程度しか思いつきません。勧誘の目的を理解しかねています。発行元で一年後解約率を押さえているのは勿論でしょうが、相当の経費負担ではないでしょうか。

で、この不毛な悪弊はどのように解消されていくのだろうか、関心を寄せているのですが、難しい話なんじゃないかと。おそらく、この会員獲得キャンペーンの関係者全てがこの非生産性を認識しているのではないでしょうか。

つまり、会員獲得へと駆り立てる管理職、キャンペーンの責任者、経営幹部、全てその間で”解約を前提とした加入でも見掛けの数字ができればそれで構わない”といった了解ができている、ということです。表面上、肯定することはないとは思いますが。

脈々と受け継がれ、自身が辿ってきた道は否定できないわけです。自己否定に繋がりかねませんし、この”お約束”は組織防衛の一環と理解できます。こうしたクレジットカード解約の山が死屍累々と築かれ続けることを絶つには、外部からの生産性評価が一策です。しかしながら、以前のエントリにも記しましたが、組織、個人に関わらず、追い詰められた危機的な状況に至らない限り自己変革なかなか難しいかと...

昨年、巷を騒がせた東洋ゴムの性能データ改ざん旭化成建材他の杭打ちデータ改ざん問題東芝の不正会計問題といった組織の不祥事も、同根の話かと、そう思った次第です。

2015年11月17日火曜日

反攻

ここの所、ウェブサイトをふらふら巡っていると、
日清e-めんShop
の広告が目につきます。日清食品の公式オンラインショップのようです。で、覗いてみるとですね、1DAYプライス、今月のセール、Just¥99Sale、アウトレットコーナーといった特売コーナーがあったわけです。

ダブついた在庫をメーカ直売で処分売りということなんでしょうか。食品が供給過剰状態にあることは実感していましたが...
興味深いのは、卸や小売、特に流通大手からの圧力をどのようにかわして、メーカー直売を実現できたのだろうかということです。まぁ、流通大手もPBなんてものをやりだしてNBを追いやっていますから、
――お前が言うな――
ということなんでしょう。

以前、Amazonに全農直営店が出店した時も驚きました。
JAタウン
Aコープといった実店舗ととどう共存を図っていくのだろうかと。

米価市況の変化については存じませんが、ここ数年の米価の下落はなんとなく感じています。人口減や食習慣の変化による年間消費量の減少と供給過剰、流通経路の効率化、多様化に伴う価格競争がその要因でしょうか。

米価は漸減の印象です。輸入が相当の割合を占めている、麺やパンに代表される小麦製品の価格が、ここ何年かの円安にも拘らず高騰している実感もありません。

需要が増えない中、生産性が上がれば価格が下がるのは当然です。勿論、TPP合意も下落圧力です。成長戦略?生産性が上がれば価格は下がるのは自明では。

相反するデフレ解消がどう進むのか、未だ理解できないでいます。

2015年11月3日火曜日

販促

巷間、横浜傾きマンション問題の話題で持ちきりです。収束の兆しは一向に見られません。

一方、ネット上では密かにステマの疑念が払拭できないノンクレジット(広告主の名前を表記しないこと)広告の話題が、こちらも依然燻り続けています。下記は代表例です。
ベクトル社が名指しステマ記事にホームラン級にアレな反論をして広告業界大困惑の巻
思ったところを少し。

広告は物品、サービスといった商品の販売側が売上を上げるための手段です。ところが、売り手側からの商品の情報提供はしばしば誇大広告になりがちで、商品の価値が底上げされています。様々な媒体に掲載された広告による商品選択、消費活動を通じて、消費者側も売り手側から発信される広告の欺瞞性をなんとなく感じ取っているわけです。

そこで、ウェブ上だけでなくテレビ、ラジオ、雑誌といったあらゆる媒体で、消費者側からの声、いわゆる口コミや、専門家と称されるライターのレビュー、比較記事が重用され、広告としての役割を担わされるようになってきています。

使用者としての評価は購入者の側に立った有用な情報、専門家としての評価は客観的な情報であり、商品選択、購入の判断に大きな影響を与えます。

で、こういった情報の発信者と販売側に何らかの金銭の授受があった場合には、情報の真偽、信頼性如何に関わらず、当該情報にはその旨表示せよ、という話です。

この時、風味、面白さ、洗練、格好といった主観に基づく評価はともかく、計測可能な仕様情報の提供に対してすらそういった扱いが要求されるのだろうか、との思いが去来しました。例えば、長さ、重さ、速さ、時間、温度といった客観評価には恣意性は込められないんじゃないかと...

例えば、上記エントリ中でリンクされている、
【ステマ症候群:拡大版】iPhone商戦の陰で広がるステマ記事発注の舞台裏
では、
記事の書き手は、東京メトロ銀座線の各駅で、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクという通信3社それぞれのiPhone6sの通信速度をアプリで計測。その結果、銀座線の19駅のうち13駅においてau(KDDI)が勝利したと調査結果を掲載している。
とあるのですが、誰が測定しても同じ値となる測定法を採用しているならば問題ないのでは、と思った次第です。広告主であるKDDIでも競合となるドコモ、ソフトバンクのいずれが測定しても測定値の優劣に揺るぎがない、そういった客観的手法で得られた、事実を用いた記事ならばノンクレジットでも容認できるのではないか、ということです。

とは言うものの、理想に過ぎない話でしょうか。昨今の様々な企業不正を鑑みれば、測定値ですらその信憑性に疑問符を付けざるを得ないのが実状です。測定値の改竄、流用(旭化成建材杭打ち問題)、不正ソフトによる規制クリア(VW排ガス不正)などが明らかになっていますから。

不正とは断定されずとも、評価に際し、”当社比”従来比”同クラス内での比較当社測定による、等の枕詞は頻繁に目にします。さすがに、数値で表示される評価で”個人の感想です”といった注釈を見たことはありませんが...

いずれにせよ、企業倫理の問題に行き着く話です。ステマだとか誤認といった欺瞞的な広告以前の不正事件が頻発している現状です。違法ではないノンクレジット広告、ステマを自粛すべきと認識する、そういった誠実さを企業にどこまで期待できるのか、疑念を拭えないでいます。 

2015年10月20日火曜日

障壁

時流に乗ってTPPについて少し記してみようかと。門外漢ですが...

TPP環太平洋連携協定)による関税撤廃品目の全容が明らかになりました。
TPP重要5項目 3割174品目の関税撤廃
TPP「関税」撤廃するモノ 残るモノ
(TPP協定)における工業製品関税 - 経済産業省
驚いたのは11年後とはいえ、革靴の関税撤廃が決まったことです。国内事業者保護の名の下、30%又は4300 円/1足という税率が撤廃されるとは思ってもみませんでした。

この理不尽な高税率は様々な事情によるもので、撤廃には至らないかも、とみていました。

撤廃までの11年、又撤廃以降も保護、競争力育成、振興、対策、合理化といった名目で無駄な国費が投入されないことを願うばかりです。

ガット・ウルグァイ・ラウンド合意で徒費した農業合意関連国内対策事業費(6兆100億円)の轍を辿らないという理由が見当たらないのです。規模はともかくとして。

で、TPPと言えば取り敢えず農業が俎上に上がるわけです。安価な輸入農産物が国内農業を壊滅に追いやる、と。

農業については不案内で傍観者の立ち位置から記すことになりますが、素朴な疑問を少し。


自由主義経済社会にとっては、自由な物品の交易こそが生命線です。モノの動きの駆動力は、原則として需給と価格、機能、品質といった競争力のみに依るべきであって、保護主義に基づく関税制度は円滑な流れを阻む抵抗以外のなにものでもないとみています。

そういった理由で例えば繊維製品、陶磁器などかつて隆盛を誇った産業が衰退の道を歩みつつあるのではないでしょうか。電気、電子製品も競争力が低下しつつある現在、その今後が安穏とできる状況とは言い難いのは明らかです。

では、農業を特別扱いして、国内産業保護が声高に叫ばれる理由は何かと考えれば、やはり就労人口や、食料安全保障に関わる自給率が想起されます。農業従事者の生計のみならず、国民全体の健康や生命に影響を及ぼす事態が生じかねないということなんでしょう。

この辺りが例えば他の産業に対する見方と異なるというのは十分理解できます。ただ、だからといって関税や補助金によって国内農業を保護すべき、という論に手放しの支持はできないでいます。保護の農政は即ち既得権も維持されるという事であり、国全体の生産性低下を意味します。

一方、農業国である米国やフランスでもあっても、食料安全保障や競争力維持のため、補助金が拠出され農業従事者の所得補償に充てられていると漏れ聞きます。

大雑把には、輸出国の農業従事者は大幅にダンピングして農産物を輸出し、輸入国の購入者は輸出価格に関税が課税された農産物を購入していると受け止めています。

農産物輸出国の農業部門の国庫は赤字で、輸入国の農産物にかかる関税による税収は黒字ということでしょうか。後者に該当する、例えば日本では該黒字は国内農業への補助金や所得補償に廻されていくのでしょう。では、前者に該当するフランスや米国では赤字をどのように埋め合わされているのか、何がダンピングの原資となっているのか、興味のある処です。

これは例えば、大規模量販店がある商圏に進出、不当廉売で当該地域の小規模店舗を壊滅させた後、市場を独占する、そういった構図に似たものを感じないわけではありません。日本国内ではシャッター商店街としてよくある話です。まぁ、誤算だったのは高齢化、人口減少に伴う購買力の低下と物流技術進化に伴う通販の増加でしょうか。今日、大規模量販店であっても不採算店の撤退が盛んに報じられています。
ヨーカドーもアピタも…大型スーパー“冬の時代” 店舗閉鎖ラッシュ、消費者ニーズに対応しきれず
この不採算店の撤退の話も含めた、そういった自由主義経済の仕組を農産物貿易にそのまま当て嵌める、これを是とするのは躊躇を覚えます。
”ことさら国内農業を保護する必要はない。競争力のない国内農業から撤退して安価な外国産農産物を輸入すればいいじゃないか。”

そういった声があがるであろうことは承知しています。国際秩序が保たれている状況ならば合理的な話です。しかしながら、国際間に経済的、政治的な摩擦が予想される場合、食料は外交上の取引材料として使われ得ます。水産物、農産物といった食料が、エネルギー(石油、天然ガス)鉱物資源(鉄、銅、アルミ)に続く戦略物資であることは間違いありません。

輸出国による補助金に与って、日本の食料供給は割安価格の輸入に傾倒していく、TPP合意でこの流れが更に加速していくのは明らかです。ここで、食料という戦略物資の供給をどこまで他国に委ねられるだろうか、依存してしまっていいのだろうか、といった疑問が生じるわけです。

需給が緩い時、買い手市場の場合、いわゆる平時ならば問題ありません。しかしながら、気候変動による不作や災害、輸出国との関係悪化や紛争といった不可避の要因によるタイトな市場、売り手市場になった場合、食料輸入国は該市場の緊張に対する備えを持ち得だろうか、という話です。

不作や戦乱などで食糧危機が起こった時、農作物の価格は高騰しますし、又、自国優先で輸出制限もするだろうことは十分予想できます。この時、自国の食料供給を割安な農産物の輸入に頼り切った国家は、高騰した価格を甘受せざるを得ないわけです。おそらく、自国農業は衰退しきっていて食料供給に関わる扇の要を押さえられていますから。

戦後日本の、米食からパン食への食習慣の移行もその一例かとの見方も否めませんし、先々、捕鯨に対する規制というか締め付けの取引材料とされかねないことも容易に想像できます。

構図は、ほぼ全量を輸入に依存している原油や天然ガス、その他レアアースの場合と類似しています。相違は輸入依存度と自給可能性の多寡でしょうか。そういったエネルギー資源、鉱物資源に乏しいことは、かつてのオイルショックで実感させられた通りです。依然として、為替や産出国の思惑に右往左往させられ、資源獲得競争の真っ只中にいる状況には変わりありません。

数年前、石炭、鉄鉱石等、資源価格高騰の頃、円高基調であったにも関わらず周辺国に買い負け、といった話題も記憶に新しいところです。

こういった経緯から、日本は工業立国を志向する上で最重要の資源問題に比較的地道に取り組んできたと思っています。それは備蓄、資源国からの利権買取や共同開発、資源探査、新エネルギー研究、省エネ技術の開発であり、当時の是非の判断の正当性はさておき、原子力の利用もその一つです。

自然エネルギー(太陽光、地熱、風力...)の発電への利用、高速増殖炉、核燃料サイクルの開発、核融合の実証は勿論、工業製品の小型、軽量化、高耐久、高効率化、全て資源問題の改善へと帰結していくわけです。


(続)

2015年10月12日月曜日

狭間

一寸フィクションの読み物について記してみようと思います。

先日、NHKスペシャル「作家 山崎豊子~戦争と人間を見つめて~」の再放送を何気なく眺めていた時のことです。

山崎豊子氏と言えば、
白い巨塔→大学医学部華麗なる一族
 山陽特殊鋼-倒産
 不毛地帯伊藤忠商事-瀬島龍三
大地の子中国残留孤児
沈まぬ太陽→日本航空-御巣鷹山
運命の人外務省-沖縄密約-西山記者
といった作品が思い浮かぶわけですが、同時に、モデルとなった実在の社会的事件、団体は勿論、個人までもが特定できてしまいます。

作者の構想のもとに作られた虚構の話である小説において、実在の事件、人物を題材にすることは読者に現実感を抱かせるには好適な手法です。

事実や史実、及びそれらに対し読者一般が抱いている先入観、そこに嵌合するように人間的魅力にあふれた虚像をはめ込んでいくと。で、虚実入り混じった、何処までが事実かがにわかに判別できないモザイクができてしまうわけです。

こういった手法は特段珍しくもなく、司馬遼太郎氏、松本清張氏始め、著名な数多の作家が創作に取り入れています。城山三郎、清水一行、高杉良、各氏経済小説の分野では至極当然というか欠くべからざる創作スタイルです。

百田尚樹氏海賊とよばれた男 」、「永遠の0」等が最近の該当例でしょうか。

上記作家らの著作について、勿論否定的評価が皆無ではないとしても、その発行部数から、総じて多くの読者からの支持を得ているのだろう、とみています。

ここで、事実を題材として脚色を加えた虚構の創作について云々するつもりは毛頭ありません。それが小説ですから。

ところが一方で、虚構であることが露見したことにより、激しい非難が浴びせられた読み物もあるわけです。

以前のエントリにも記したのですが、それは例えば「一杯のかけそば」であり、江戸しぐさが記載された道徳の教科書(p.58〜59)を含む江戸しぐさ推奨本です。

前者は上記Wikiに顛末が記され、後者については、
更に最近では、ネットワークを介して伝播している、真偽不明のいい話”にも批判的な目が向けられています。

例えば、
【感動注意】黒人が差別された飛行機に、ぼく、偶然乗ってました!
Facebookはバカばかり
またきたコレ・・・いくらでも作れる「いい話」。もう回すなって!!お願い
といった処でしょうか。ちなみに最近見聞したいい話は、
ファストフードの店員がお金の足りなかった男の子に小さな親切、50倍の恩返しが待っていた。
です。真偽はまだ不明です。

興味深いのは、上述全てが虚構であるにも関わらず、小説のについては風当たりが強くない、ということです。プライバシーの侵害、名誉毀損で関係者との訴訟に発展することはあっても、虚構を理由に非難された事例を知りません。

多くの事実を織り込んだ創作であっても、虚構との指摘がなされないということは、読者は端から虚構、フィクションであることを念頭に読み進めているということなんでしょうか。

読者が冷静で創作の世界に踏み込めないでいるのか、入り込ませるだけのリアリティが作品に欠けているということなのか...

「一杯のかけそば」、「江戸しぐさ」は、実話、事実として受け止められた後、捏造であることが発覚、この裏切られ感が怒りや非難の根源となったのかもしれません。そういう意味で、こちらの方が現実感に優っていたとするのが妥当という見方も、素直に首肯できないでいます。

実は、読み物の信憑性に対する読者の先入観が、創作物の虚構、虚偽といった印象を決定しているようにみえ、であるならばそれはそれで釈然としないものを禁じ得ません。では、作品それ自体の力は一体?、ということです。
というブログエントリ中に佐村河内騒動について触れている部分があり、
――涙を流すほど感動していたのに、事実を知ってショックを感じ、白けてしまった――
とのコメントが発覚時に寄せられていたそうです(伝聞の伝聞ですが)。

まぁ、この類の話かもしれません。虚構と虚偽の狭間は、創作物そのものの評価を左右しかねないわけです。

背景や権威といった周囲の環境によって容易に動かされてしまうこの狭間、危うさ、脆さ、曖昧さについてもう少し理解を進めたい処です。

ところで、上記虚構の読み物で、それが捏造であることが判明して以降も、肯定的に捉える声があります。

例えば、「一杯のかけそば」を「涙のファシズム」と批判する見方がある一方で、江戸しぐさについては、特に公教育関係のサイトからは依然として肯定的な姿勢が窺われたりします。
江戸しぐさ 京都しぐさ(京都市)
マナーアップ推進事業(守谷市)
道徳の時間や総合的な学習の時間などの学習で「江戸しぐさ」を取り上げており、礼儀やおもてなしなどにかかわる学習において取り扱う上では、特に問題はないと考えています。(板橋区教育長)
 歴史的事実として教えるものではなく、礼儀やマナーを考えるきっかけになればと作成した文科省)
ネットワーク上に蔓延るいい話についても、
話の「真偽」は、さほど重要では無い。大切なことは、この話から、なにを受け取るのかだ。
といった旨の意見を見聞します。

史実と確認されていない虚構を道徳学習に採用する...真偽は重要でない...手放しで首肯するには抵抗を覚えます。

この部分について思いを巡らせてみると、その行き着く先には権威主義による管理と被管理といった語が朧気に見えてしまいます。

虚構の物語中に描かれた虚像を道徳、倫理、礼儀といった教育に利用する...広義には人格形成にも影響を及ぼしかねないそういった領域に虚像を挿入していくということです。それは言い換えれば、虚像の摺り込みでもあり素直には受け入れ難いものを感じています。

例えば、
故人の意思(真意の確認が困難)
専門家の意見(十分な理解が困難)
民主主義社会におけるみんな(民意)→(実体が不明)
に類した、虚像の一人歩き、極端には暴走の懸念を払拭できない、ということかもしれません。教育でも政治でも、ある意図の下創りだされた、管理側にとって都合のいい虚像、これが知らぬ間に絶対視され周囲に奉られてしまう、その結果醸成される無思慮な”...でなければならない”空気には反感を抱きます。

上述の「一杯のかけそば」捏造騒動における非難には、欺かれたことに対する怒りと共に、そういった虚像に振り回されたことへの反発も含まれていたのではなかったかと。

しかしながらその一方で、先述の著名な作家による小説に対しては、やはり虚構に対する抵抗は大きくないというか、むしろ虚構であるがゆえに受け入れられているとさえ、見受けられます。

そういった作品は、事実を作者の意図で脚色、歪曲した虚構ではなく、作者の意図を伝えるための創作に事実を織り交ぜている、というのがその理由でしょうか。判り難い話です。

文芸について思う処と共に、いずれ機会があれば記してみます。

2015年10月4日日曜日

欧州(余談)

ところで、今回のVW排ガス不正で例示される、企業の不正が発覚すると、当該企業には当局から罰金や制裁金が課せられたり、株主や顧客への損害賠償が求められたりします。

先日も、米ゼネラル・モーターズ(GM)がエンジン点火スイッチの欠陥を認識しながら10年以上も放置していた問題で、米司法省に制裁金を、集団訴訟の原告には和解金を支払うことが決定したようです。
米GM、欠陥放置問題1770億円で和解 司法省などと合意
 国内の場合、自動車を含めた、性能や機能について規制当局から認定を取得する製品では、東洋ゴム、ノバルティスファーマ、武田薬品あたりが昨今の改竄、捏造の事例でしょうか。

又、食品、衣料品の品質、産地、期限表示に関わる不正の事例は枚挙に暇がありません。
食品偽装問題
だまされないで!「カシミヤ偽装大国=中国」歯止めかからぬ不当表示…
不正競争防止法景品表示法に抵触する事案ですが、後を絶ちません。

で、不当表示、優良誤認、不当廉売といった、公正な競争を阻害する事案が発覚した場合、当該事業者は行政処分を受け、消費者には賠償を迫られるわけです。

更に最近では、広告である旨不記載の広告、事業者、或いは事業者から委託された宣伝業者が顧客を装って体験レポートを口コミサイトに投稿する、いわゆるステマに対する批判が強くなっています。
「ヤフージャパン一人勝ち」と「報道記事の買い叩き」がステマ横行の原因
なんでみんなテレビのステマは話題にしないのかなというと・・
勿論、民放の情報番組もステマの範疇ど真ん中ですが、厳密に言えばこういったステマも事業者間の公正な競争を阻害しているとみて間違いないわけです。

で、ある事業者の不正によって競合の他事業者が不利益を被った場合、その逸失利益に対する責任も当該不正事業者が負うべきではないだろうか、と思った次第です。

実際の処どうなんでしょうか。飲食でも、物販でも有名店や大規模チェーン店によって近隣の同業店が営業不振に陥り、撤退、廃業、倒産に至ったというのはよくある話です。B to Cの事業に限らず、B to Bの分野でも好業績のX社が不振になったY社を吸収合併する、といのも珍しい話ではありません。

不正を駆動力としてこういった結果が生じた場合、同業は明らかに不利益を被っているわけですが、賠償がなされたという話は寡聞にして知りません。そういった事例はあるのでしょうか。

上記例の後者で、X社によるY社の吸収合併後、不正が発覚、旧Y社の社員が希望退職迫られる...想像に難くない理不尽な話です。目も当てられないというのが率直な印象です。

該不利益には、不正発覚前の業績不振のみならず、発覚後の当該業種に対する信用の失墜や監督官庁による規制強化に伴う間接費の増大も含まれます。

この辺りは門外漢なので全くわかりません。社会の共通認識としてどう捉えるのが適切なんでしょうか。

少なくとも、不正による利益、不正が発覚した場合の賠償(不利益)、不正が発覚する確率、そういった要素を用いて費用便益を分析した時、
合理的選択として不正を働く
そういった条件が成立してしまう限り、不正の根絶は難題です。

”(永久に、ではないとしても)やった者勝ち”=”正直者がバカを見る”、そういった条件の是正に繋がる、公正な競争環境の整備が必要と考えます。

残念ながら、提言できるような材料は持ち合わせていません。”カルテル・入札談合に対する課徴金減免制度”が一つの示唆になるだろうか、といった程度です。
カルテル・入札談合に対する課徴金減免制度の新設の効果と課題
独禁法の課徴金減免制度、自主申告が半減 13年度50件
相互に監視、牽制、密告しないと不正を防止できないというわけで、自律性は全く期待されていないということです。何だか情けない話ですが、市場主義経済社会を象徴する本質のようで致し方ないのかもしれません。


2015年9月27日日曜日

欧州

――身贔屓――
どこの国もそうなんでしょうが、EUはわかりやすいなぁと。

VW(フォルクスワーゲン)の排ガス不正事件で、新たな事実が次々露になっています。

で、今度は
EU、2年前にVWの不正把握か 規制運用問われる
と、自動車会社一社に留まらず、複数の自動車会社、部品会社に、遂には規制側であるEUに延焼しつつあります。近年稀に見るワールドワイドな企業不正が官側とのなあなあ、ずぶずぶの問題に発展していくのでしょうか。

影響は計りしれません。
――EUではこうしたソフトは07年から違法になっていたが、...――
早い段階で収集を図っていればここまでの大事に至らなかったのかもしれませんが、無理だったのでしょう。

初期消火が重要なのは言うまでもないことですが、その失敗例は枚挙に暇がありません。
――音楽が続く限りはダンスをやめない――
自らは自身を止められません。

最大2兆1600億円とも言われる制裁金、約1100万台という不正車両の対策費用として約8700億円の引当が表に出ている数字です。で、所有者に対する下落した車両価値、投資家に対する毀損した企業価値の補填も求められると...一部訴訟は始まっているようです。環境基準不適合車というレッテルが貼り付けられるわけですから、中古車の買い手も...結局VWが引き取るのでしょうか。
エコカーの名の下、政府が購入補助金を交付していようものなら、返還を迫られるのも必至でしょう。詐欺同然ですから。

VW製自動車が販売不振に陥るのみならず、VWに排ガス浄化システムを納入しているボッシュも...となればボッシュの該システム使用している他の自動車メーカーも...との推測は難くありません。

では、競合の排ガス浄化システムを製造しているデンソー、該システムの供給先であるマツダ、トヨタ、ボルボのシェアは拡大するのか、興味深いところです。

ただ、EUの規制当局ぐるみ甘い基準、見てみぬふりで承認を続けてきたのであれば、ディーゼルカー全体に問題は波及します。どうなんでしょうか。

ディーゼルカー全体が不人気となれば、軽油とガソリンの需給バランスも変わります。ガソリン価格は上昇するのでしょうか。実際、排ガス浄化システムに触媒として使用されるプラチナの相場に影響が出始めている模様です。
VW問題に貴金属市場が動揺…プラチナ価格の下落率は2年間で最大に

(ボッシュは、不正のツールとなったソフトは、開発段階に使用するものであって、製品自動車への搭載、使用が違法である旨を2007年に警告していたようです。H.27.9.28)

当然、ドイツ国内の雇用や経済環境への影響も避けられないかと...

従業員数が約60万人の超大企業VWで、ドイツ国内では全雇用の1.5%、約27万人が雇用されてます。又、昨年のドイツの自動車産業全体の労働者数は77万5000人で、全労働者数の2%に近いとのこと。(別々のソースからの数字です。全雇用者数と全労働者数を逆算しても一致しません?)

ドイツはGDP(国内総生産)の中で輸出が約50%で、更にその18%を自動車・自動車部品が占めているようです。

穏当な幕引き想定するのは難しいんじゃないでしょうか。


ここで少し話を逸れます。

2015年9月21日月曜日

机上

以前、目にした隣国の国会ハプニング映像とだぶって見えました。安保法案可決時の参院平和安全法制特別委員会です。
参院平和安全法制特別委員会
小学校の学級会だって...これが国権の最高機関で良識の府と称される場なのか。で、ダイビング、専守防衛(?)の拳、セクハラ、羽交い締めといった事態が勃発しているわけです。
なんという皮肉……民主党議員の「暴力行為」が、集団的自衛権の必要性を証明してしまった!
民主主義が体現された一つと捉えるには余りに躊躇します。この生産性の低さはもう少しなんとかならないのでしょうか。

先日から国勢調査が始まりましたが、今回からネット経由での回答が可能になりました。国会の質疑応答もですね、いっそネットの掲示板を活用したらどうかと思ったわけです。
物理的な議事進行妨害の排除
審議日程目一杯で昼夜兼行、不眠不休の討論
不規則発言などと称される野次の排除
多対多の質疑応答が可能
発言者自らが文字起こしすることによる失言の低減
一字一句、句読点に至るまで衆目に晒されることによる、議論の噛みあわなさ、論点のすり替え可視化
等が期待できるのではないかと。野次や物理的妨害に端を発する審議停止のような無駄を排除できるということです。実現に向けての障害は問題は質疑応答の関係者全員に不利益をもたらす恐れがあるといったところでしょうか。

客観的な視座や議論の生産性についての認識が求められますから自らの責務に対する自覚を欠いたままではなかなか難しい話なのかもしれません。

ところで、上述の根本は無駄を排して効率を上げる、といった話です。ただ、一方で、果たしてそこに全く公明な理があるんだろうか、そういった疑いを払拭しきれないでいます。

いずれ機会があれば記します。

2015年9月18日金曜日

無双

先日、安保法制報道をめぐる池上彰氏のインタビュー記事を目にしました。
池上彰が斬る!「朝日より読売、産経が問題」 安保法制報道に見るメディアの暴走とは?
記事中で述べらている、朝日や読売、毎日、産経の報道姿勢についてこのエントリで云々するつもりはありません。購読しているわけでもなく、営利企業に過ぎない新聞社の公正中立、客観性を問うことに意義を感じられませんから。

で、みなさまのNHKについてのコメントです。私も勿論受信料を支払っています。
──ところでNHKは、6万人デモをほんの一瞬しか放映しませんでした。

“空気”を読んでるんでしょ。あまり大きく扱わないほうがいいって、どこかの段階で誰かが判断してるんでしょう。一応報じたってことは、これは取材すべきと思った記者が取材して書いて、デスクが直して原稿にした。だけどそれを番組でどう扱うかは各編集責任者の判断ですから。

NHKの報道は公正中立か?

──現場は取材したにせよ、最終的にほとんど報じなかったというのは、放送法で課された公正中立どころか、偏向してはいませんか?

いや、偏向っていうか、明らかにおかしいでしょ。おかしいですよ、そりゃ(笑)。それがテレビに課された「事実を曲げない」の範囲内かどうかといえば、事実は一応報じてるわけだし、いい悪いではなく、事実を曲げてるという批判は難しいですよね。まあ、私はもっと大きく報道すべきだと思いますけど。
──憲法学者らを招いた衆院特別委員会の参考人質疑もNHKは中継ナシでした。

NHKには中継する基準があって、それを満たすとわかったのが当日の朝だったから間に合わなかった、って言ってる。けどそれは違うだろう、そんなわけないだろうって思いますよ。急いでやりゃいいんです。

きっとどこかで、わざわざやらなくてもいいだろうと、空気を読んだ人間がいるんじゃないかな。“忖度(そんたく)”ですよね。籾井勝人会長自ら、報道するなと言ったら大問題だし、彼は言わないですよ、わからないから。「会長はきっとこう思うであろう」と忖度するヤツがいて、下に向かって「慎重に」と放送総局長なり中間管理職が言うんでしょ。

池上氏が出身元であるNHKの報道姿勢について言及するのも珍しいなぁ、と思った次第です。NHKの頚木から解き放たれたのでしょうか。

単に土俵が違うことによるだけか、或いは、朝日新聞の掲載拒否問題を経て、アンタッチャブルなジャーナリスト、Too Big to Failな存在になりつつあるのかもしれません。

是非この勢いを駆ってですね、”受信料に支えられるNHKの公正中立”についての言及もお願いしたいところですが...

取り敢えず、有料番組”安倍チャンネル”からみなさまのNHK”への回帰を優先せざる負えない事態かと。


先日も、
NHK日曜討論公式アカウントに対する人々の怒りの行進
といったまとめサイトが現れました。その後か否かは存じませんがNHKは謝罪する羽目になっています。
NHKツイッターが謝罪 安保法案めぐる書き込み
だからといって、朝日、毎日のように安保法制に対して不支持の立場であるべき、というつもりは毛頭ありません。それならそれで批判します。

公正中立、不偏不党を謳い、あたかも言説が公正中立であるかの如くミスリードすること、これが最もたちが悪いわけです。NHKの主張だから公正中立で正当である、こういった本末転倒したすり替えの一人歩きを危惧しています。

安保法制に関するの与野党の質疑を漫然と眺めていると、一方通行的に言葉を投げつけ合っているだけじゃないか、といった思いを強くします。
政権は、安保法制を違憲と断じる意見と正面から向き合いませんでした。政権が主張したのは、安全保障環境の変化でした。
与党は憲法との整合性を、野党は安全保障の現況を直視しないまま、単に己の主張を投げつけ相手の言には耳を貸さない、噛み合わなくて当然です。結局、平行線のまま数の力で可決されたのは衆目の一致するところです。

NHKが公正中立を標榜するのであれば、報道、論説によってそういった溝を埋め与野党の主張をガッチリと噛み合わせるべきじゃないかと...非生産的な言葉の投げつけ合いを報道されても、”賢くないなぁ”、との印象を抱くのみで是非の判断材料にはなり得ません。

双方が繰り返す勝手な言い分をただ漫然と垂れ流すことと、公正中立な報道は一寸違うような気がします。

無双 池上氏におかれましては、みなさまのNHKによる、賢い報道への働きかけも期待したいところです。

ところで、安保法案可決後に、街頭インタビューや”平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム”からの法案賛成の声をNHKやテレ朝で耳にしました。反対デモの報道一辺倒で、そういった動きは採決前には覗えなかったのですが、例えば、
偏向報道バラエティ番組の報道ステーション、高須クリニックのスポンサー降板発言でちょっと日和る
といったことなんでしょうか。

2015年9月13日日曜日

希臘(2)

前のエントリで記した、ある意味粉飾された潜在的為替レート、これは通貨統合を優先すれば避け得なかったのかもしれません。しかしながら、見方を変えれば、結果としてEU内に為替を利用した新たな搾取、被搾取構造を生み出してしまった、とも受け止められます。

勿論、ギリシャの公務員比率、年金、産業といった構造的問題に起因する国家としての生産性に問題はない、とするつもりはありませんが...
”皆仲良く手を取り合って”
叙情的に表現すれば、現代西側社会に根ざしたそういった欺瞞が吹き出したかに見てとれます。

身近な例を挙げてみますと、

今日、幼稚園、小学校の運動会で催される徒競走は、みんな一緒にゴールして順位をつけない、といった話を伝え聞くことがあります。どの程度一般的な話かは存じません。

更に加えれば、初等教育課程における、習熟度に依らない画一的な教育プログラムも同根です。

伸びるべきを伸ばし、不足分は補っていく、そこに恣意的に下駄を履かせたり、ハンデをつけて横並びに扱っても、内部応力が増大するばかりでは、と思うわけです。増大した応力は遂には枠組みの歪、綻び、破綻へと繋がってしまいます。
 
やはりですね、

魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教え
魚のもらい方ではなく、獲り方を考える

ことこそが真っ当な取り組み方じゃないでしょうか。

ちなみに、ここの所、某為替操作国も景気というか株価対策の目的で頻繁に為替レートを弄っていますが、自国内には結構応力が溜まっているなぁ、とみています。その綻びが発端となって世界が振舞わされるのもなんだかなぁ、といった思いです。