ラベル 不誠実 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 不誠実 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年7月2日土曜日

作意

かねてから戦時期をまたぐNHK朝ドラのシリーズには強い違和感、場合によっては反感すら抱いてきました。勿論、現在放送中の”とと姉ちゃん”も含めての話です。

どのシリーズでも、時代が戦時下の回では必ず厭戦・反戦プロパガンダドラマと化し、朝から憤懣遣る方無い気分に陥ります。で、いくつかの疑問と共に思う処を少し記してみます。

こういった厭戦プロパガンダドラマの脚本、演出はやはりそういった思想を持つ作家を起用して生み出されているのか、或いは、NHKの思想を反映するよう脚本家、演出家に要求しているのか、興味のあるところです。いずれにせよ、厭戦・反戦意識を視聴者に植え付けたいという、NHKのくどい上に行き過ぎた意向が働いているのは間違いありません。

この手法から推測すれば、過去、実際の戦時下でNHKが上記と逆方向のプロパガンダ放送をラジオで行ってきたことは想像に難くありません。かなりえげつない戦意高揚放送を流してきたのだろうなと。戦争を賛辞する、現在と鏡像の状態にあったわけですから。

そういった自らが行った過去の放送をおくびにも見せず、素知らぬ顔で厭戦・反戦プロパガンダドラマを放送していることに強い抵抗を感じます。何様ですかと。NHK様ですか。みなさまの公共放送の...ああ、そうですか。

戦争という行為の肯否以前の話として、公共放送の情宣活動によって、上から目線で視聴者を教育、啓蒙してやろうという意図を感じます。極端に言えば、厭戦・反戦思想の教育、統制を図っているのでは、と思わせます。方向性は異にするものの、かつて国家の協力者として戦争の片棒を担いでいたのと同質ではないか、ということです。

朝から、そういった意図があからさまに伝わってくるわけで、これが不快感を催させる源なんだなぁと。

その手法も実在の人物をモデルにしつつもフィクションとすることで事実と虚構の隙間を利用したものです。即ち、事実を脚色した創作を利用することで、虚構をあたかも事実であったかのように視聴者に信じ込ませるわけです。社会派と称される文芸作品、歴史小説でみられる常套手段ですが、それは果たして誠実な手法なのか、斜に見ています。

山崎豊子は正しく、百田直樹は怪しい、坂の上の雲”は事実で、はだしのゲン”は虚構という見方、或いはその逆にも与できない、ということです。

今日、戦争の賛辞、戦意高揚の手段としたそういった手法の使用はすっかり影を潜めていますが、国威発揚のためには時折用いられているような気がしてなりません。

6/28放送の中で耳にした、主人公常子の言葉です。
お国を守るために、戦争をしなければならないのは、仕方のない事です。軍人さんが、命を懸けて戦って下さっているのも、よく分かっています。ただ…戦争を讃えるような雑誌を作る事が、私には、どうしても苦しくて。いろいろなものを奪っていくような戦争を讃え、国民を、あおるような雑誌を作りたいという気持ちには、どうしても、なれないんです。なんとかして、違う内容の雑誌を作る事はできないでしょうか。
当時のNHKラジオもそうだったと代弁させたかったのでしょうか。モデルとなった女性が実際にそういう主旨の発言をしていたかもよく分かりません。

上記文言をもう少し勘ぐってみると、本心か否かはともかく、国を守るためとして消極的に戦争を肯定しているわけです。ドラマ全体としては、戦時下の思想や発言が制限された社会、窮乏生活が厭戦感を醸し出していますが、主人公の言葉として”厭戦・反戦”は発せられていません。

それを口にすることは即ち、軍部だけでなく国家、体制、為政者を批判することになりますから。過去の全体主義時代のこととはいえ、NHKは国家を批判しない、ということなんでしょう。厭戦・反戦を謳うものの、根幹の責任部分からは目を逸らすと。ご都合主義であり、日和っているというのが素直な印象です。

代わりに、国防婦人会の参加者、町内の班長といった市井の名も無き戦争協力者を憎まれ役に仕立てて厭戦感を植え付けています。やり方として如何なものでしょうか、陰湿さを感じます。
”(時代を問わず)愚かな人間に舵取りを任せると国を誤る”
くらいの台詞があればもう少し評価できるのですが...

更に記せば、上記戦時下における窮屈で困窮した生活に対する不満は当時の対戦国であった米国に向けられるのが自然な感情の発露ではないでしょうか。それが誤ったものであったとしても...

主人公の口から”許すまじ”とか、”憎むべき”といった米国を批判する文言が全く出てきていないわけです。まぁ、米国に対する配慮が働いているのは間違いない処ですが、平均的市民の感情としてそういう部分を排除して描かれていることに不自然さ、わざとらしさを感じます。

先日、NHKスペシャルで 
"そしてテレビは“戦争”を煽(あお)った"
というドキュメンタリーを視聴しました。てっきりNHKが戦時下にどういった役割を担ったかについての検証番組かと思ったのですが、期待は裏切られました。ロシアによるクリミア併合でウクライナとの間で起こった紛争の際、テレビを始めとするメディアが何をどのように伝えたか、という番組でした。

自国に都合よく、又相手国に対する憎悪を掻き立てるような報道が、演出と捏造によって行われていたと。戦時下におけるメディアの行動としては自然で合理的ではあります。報道の在り方としては全く正当ではありませんが、理解できないわけではありません。古今東西、戦時下においてメディアは常に相手国の非難、自国の正当化を通じて、戦意高揚など国民を煽動してきましたから。

この番組で取り上げられたウクライナのテレビ局とNHKは対照的です。戦時下のNHKも同様な姿勢であったと容易に類推できます。戦争の片棒を担ぐメディアによって登場人物の対戦国に対する反感が植え付けられる、そういった片鱗すら朝ドラのシリーズには窺えません。

過去の戦時下においてNHK自らは何を放送したか、そういった部分には頬かむりして”戦争という行為”そのものに対する忌避感を煽っても、不自然、不誠実、欺瞞、お手盛り、そういった印象が常に付いて回ります。

2016年6月19日日曜日

邪推

自動車の燃費不正問題が結構な騒ぎとなっています。

で、以前のエントリでも少し触れているのですが、燃費偽装が行われているならば、鮮度偽装があってもおかしくないなぁ、と改めて思いました。

蒸し返します。
0〜2℃の凍る直前、0〜-3℃の微凍結といった温度下であれば、通常の冷蔵保存より長期間の保存が可能
例え上記機能を謳う冷蔵庫であっても、鮮魚、精肉などの生鮮食品を購入、保存する際、その使用者が記載された消費期限を気にしないとは思えません。”パーシャルだから風味の劣化もなく、大丈夫のはず”と、そこまでチルドやパーシャルでの保存に信頼を寄せられるものでしょうか。

やはり生鮮食品では依然消費期限が意識され、殆どの場合その期限内に使い切られており、期限を超えて保存されることは少ないのが実のところのような気がします。

該機能によって、消費期限の過ぎた生鮮食品を躊躇うことなく口にしている世帯が増えているようには見受けられないのです。(勿論超過した程度にもよります。少しとかちょっと過ぎたという話ではありません。)

こういった意識下では”鮮度が長く保持される機能”も十分活用されないのではないか、更に、十分活用されないことを前提にすれば鮮度保持性能の偽装も起こり得るのではないか、そんな杞憂が脳裏をかすめた次第です。

2016年6月14日火曜日

墓標(追記あり)

ここの処、城郭やその石垣の復元、再建についての話を見聞しました。
進む石垣修復 白河の小峰城
2020年までに名古屋城の天守閣を木造復元させる計画があるって本当?
<熊本城>石垣修復費用354億円 文化庁試算
姫路城 平成の修理
こういった古城の復元事業に対し、なかなか素直に支持できない違和感を抱いており、少し記します。

該事業は公共事業であり、直接間接を問わず事業の原資が公金であるのは間違いない処です。で、その事業目的は観光資源の確保文化遺産の保護とされています。

ただ、城本来の存在意義を鑑みた時、果たして古城の復元は公共事業として適切性はあるのだろうか、疑問を持ちました。日本において城は元々、戦、合戦の基地、砦として、支配者の権勢を示威するオブジェとして、或いは日本全体の統治者(徳川家)が各藩、特に外様大名家財政を疲弊させるための方便として利用されてきた、と理解しています。

観光資源、文化遺産としての意義など当初はなく、城を復元、再建してまで観光資源とする必然性はないんじゃないかと。勿論、現在の日本で城を使った戦、内戦など想像すらできません。国家が地方自治体の財政を疲弊させることも動機がありません。地方自治体の首長が権勢を示威する...これはその当時ほどあからさま、直接的ではないにしてもモニュメント、墓標としての意味合いを含めれば完全な否定はできないかもしれませんが。

即ち、城本来の目的はほぼ失われているわけです。言い換えれば再建してまで城を観光資源とする必然性はない、ということです。観光資源が必要で、そこに公金を投入するならば、城に拘ることなくもう少し知恵を出して他の選択肢も考えるべきです。必要ならですが...

公共事業の無駄、公務員制度の改革がやたらと新聞紙上を賑わせた際耳にした、ハコモノ行政と何ら変わりありません。むしろ典型例ではないでしょうか。ハコ、巨大な建造物建設に莫大な公金を投じて、何をどれだけ生産しようという目論見なのか、理解できないでいます。

例えば、白河小峰城の石垣修復で50億円、名古屋城天守閣の木造復元では最大504億円、熊本城では石垣修復で354億円の事業費が見込まれています。まず事業ありきの印象は否めず、適切な費用便益分析ができているとは思えないのですが。こういった巨額の公共事業について、これまでの費用便益分析の検証結果を糧としているのでしょうか。公共事業についてより高精度の生産性評価が為されるべきです。性懲りもなく、同じ轍を踏む図が思い浮かびます。

尤も、損失が累積し負債が問題になる頃には、決定権者を含めた関係者が非当事者になっているのは確実です。維持管理費も含め、負担が継続的に後世に受け継がれていくわけですが、”責任を後世に先送りする”という意味では民主主義社会が具現化されている、と言えるのかもしれません。

抗えない民主主義の負の側面ではありますが、だからといって目を背け続けていても愚が繰り返されるばかりです。

城を再建するのであれば、本来の機能を鑑みて近代戦に対応した基地、砦、シェルターでもいいじゃないかと。観光資源としてして捉えるならば、タワー、塔、巨大観音像、実物大ガンダムでも、もう少し他に何かないのかと思ってしまいます。公金に頼りさえしなければサグラダ・ファミリアでも構いませんけど...
――400年の歴史を積み重ねた石垣です。再び数百年の風雪に耐えられるよう、以前と同じ状態に修復します。――
何かの記事で目にしました。いや、城本来の存在意義が失われた現在、400年の歴史があるからといって再建の根拠には乏しいわけです。崩落も又一つの歴史です。安全対策を施した上で、
――よく保ったなぁ400年も。ここらでお役御免にしとこうか。今後は城址として残しておこう。――
といった向き合い方でいいんじゃないかと。

”国破れて山河あり。城は在っても民はなし。”数百年の歴史に耐えられるよう再建しても、少子高齢化の果て人口減で人がいなくなってしまっては...天空の城じゃあるまいに、城を再建するならその資源を保育園建設に振り向けろ、ということです。

少子化、人口減、それに伴う社会保障費の増大への対策を蔑ろにする一方で、声高に文化だ、伝統だと叫んで、城郭やその石垣の復元、再建に注力しても現世代の自己満足に過ぎない、といった感が否めないわけです。まだ世に出ぬ後世に思いを馳せれば、他に目を向けるべき部分はそこじゃないだろうと。
――金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。――
城の復元が人を残す事業でないのは確かです。
2019年10月の消費増税も延期すれば、財政再建計画は崩壊する
といったブログエントリがあったとしても、城の復元云々をやっている間は消費増税を延期し続けて大丈夫なのかもしれませんが。


ところで、各地の城郭、石垣の復元は首長の理解、承認、支援なしには遂行不可能な事業です。換言すれば、なぜ首長は城を含めた建造物を建設、再建したがるのでしょうか。かつて為政者の役割を担っていた、各地の大名、武将、有力者が権威を誇示して己の存在を標しておきたい、ということと同根のものを感じてしまいます。モニュメント、記念碑、墓標の意味合いを含んでいるような...

昨今、引継者、管理者が不在という理由で、お墓を解体・撤去する廃墓、いわゆる墓じまいの件数が増加しているようです。首長の墓標ともみなし得てしまうような公共の建造物についても墓じまいを検討することが必要ではないかと考えます。

2016年5月29日日曜日

口実

”物価は上がんねぇし、景気は良くなんねぇな。”

”黒田に言って紙幣をじゃぶじゃぶ印刷して、金利までマイナスにさせたのに...借金増やして結構金もばら撒いたんだけどな。”

”やぱっり、あれだな。消費税か...これじゃ消費増税はできねぇな。でもな、何があっても上げるって言っちゃったしな。”
「リーマンショックや大震災のような事態が発生しない限り実施する」
”このままじゃアベノミクス失敗って叩かれて人気が落ちちゃうな。政策に自分の名前を含めるなんて愚かなことしなきゃよかった。

”そうか、今をリーマンショック前とぶち上げよう。で、サミットの時みんなに支持してもらおう。何でもいいからこじつのデータを準備しとけ。”

”僕が言えばみんな賛成してくれるからね。お墨付きがありゃ増税を延期して黒田印刷にお札の増刷を指示できるわけだ。”

「エネルギー・食料・素材など商品価格がリーマン・ショック前後での下落幅である55%と同じ」
「リーマン級の経済危機再燃を警戒する」
失笑。

”何言ってんだアンタ。自分の人気取りのためにアタシたちを利用しようって魂胆かい?”

かくして伊勢志摩サミットは平穏に閉幕致しました。

2016年5月17日火曜日

精査

精査の真っ最中なのかもしれません。
東京五輪招致「コンサルタント料」、契約書など確認できず

Q.契約書そのものは存在しないんですか?
 「契約書は保存されていると思います」(JOC側)
Q.どこに?
 「JOCにはございません」
 「正確な場所は我々も聞いていません」(JOC側)
猪瀬前都知事の領収書にも似た契約書が公開されるのでしょうか。言い含められた元担当者と一緒に。これは精査でなく工作です。
”これ以上の報道は差し控えろ”
これは精査でなく恫喝です。

2016年5月14日土曜日

生業

まぁ、今更というか、遅きに失したというか...
厚労大臣時代の発言に既に予兆させるものがあったわけです。
高額出張費、韓国人学校…都庁に批判1万件超 職員悲鳴
「会計責任者が勘違い」 政治資金問題 舛添知事一問一答
以前のエントリで記しましたが、議員歳費、議員年金に纏わる上記発言から抱いた違和感が具現化したに過ぎない、ということです。
――政治家としての正当な報酬を得て、国民の代表として職務に邁進するわけである。さもなければ、他に収入の道がある金持ちしか政治家になれないことになる。――
この後”議員歳費を削減するな”、”退職金がないから議員年金は必要だ”、”退職金も出ないような勤め先には、優秀な人材は集まらない”といった発言が続きました。
果たして政治家は職業なのだろうか、といった疑問を抱いたわけです。もはや政治家ではなく政治屋じゃないかと...
政治を生計を立てるための仕事、生業と捉えるならば、政治屋(家)が給料、賞与等の報酬や退職金、年金といった特典を要求するのも頷けます。自らが生活する糧を得るための手段なわけですから。
生業としての都知事の職に就いているわけですから一連の公私混同も頷けます。都知事の権限で使える公金は法に抵触しない範囲で自分のために費消すると。抵触している気もしますが...
――サラリーマンじゃあるまいに宛名白紙の領収書を貰う根性がけち臭い。――
ルキウスさんが自身のブログで言及されていますが、端から都知事というサラリーマンでしたから、如何ともし難いんじゃないかと考えます。

菅官房長官ならば、
”(元々生業なので)批判にはあたりません。”
と突き放すところです。そういった人物を都知事に担いでしまった自らのリテラシーにこそ真摯に向き合うべきかもしれません。

ところで、”精査”という語ですが、先般の甘利前大臣の事例と併せて、
”時間を稼いで尤もらしい言い訳を捻り出しつつ、言い含めた人身御供を用意すること”
私の中では定義付けられました。

2016年4月10日日曜日

標語

ツッコミどころ満載なわけですが...
「普通の人豊かに」が旗印=民進・山尾志桜里政調会長に聞く
ご自身がアカウントを持つブログ、ツイッター、フェイスブックでも全く触れず華麗にスルーというのも如何なものかと思うわけです。

ガソリンプリカ、コーヒー、さくら館、寄付、いずれについても、まるでそんな事案などなかったかのように、SNSでは自身の見解、釈明は公開されていません。
民進・山尾志桜里政調会長の定例会見(全文1)プリペイド購入した事実ない
SNSの特長の一つである即応性が見事に蔑ろにされています。むしろ、であるからこそ自らに都合の悪い問題には蓋をせんとする、不誠実さが際立ってしまいます。何のためのSNSなんでしょうか。

さて、冒頭の”普通の人豊かに”ですが、記事中では”普通の人から豊かになろう”となっています。これが安倍政権の”1億総活躍社会の実現”に対抗する旗印とのこと。

なぜ、”普通の人が”ではなく”普通の人から”なのか、理解できないでいます。”普通の人が豊かになろう”では”1億総活躍社会の実現”の単なる言い換えになってしまうので差別化を意図しただけなのか...

この部分で対抗しても無意味な気がします。1億総活躍社会は実現に向けて進んでいるとは言い難く、それは”普通の人から豊かになろう”でも同じことです。どちらがより美味そうな餅の絵を描けるかの争いではないはずですが。

語の意味する到達目標には差異は殆ど無く、重視すべきは実現するための施策です。党名を決定するだけでも擦った揉んだし、旗を掲げるにも現政権と重ならないように”普通の人から...”と微妙に表現を弄る...(後部分は憶測です)

果たして、具体的で実現性のある施策を打ち出せるのか、疑念が払拭できないわけです。”普通の人から...”とすることで却って、”普通の人とは?”、”じゃ、普通でない人は後回しなのか?”といった話が出てきてしまいます。

為すべきは、大仰で抽象的な標語を振り回すのではなく、目標に近づくための適切で具体的な施策の提案に注力することです。

2016年3月15日火曜日

定石

又今日(3/15)も窓ガラスが割られていました。NHK朝ドラ”あさがきた”のドラマ内の話です。

女子大の設立に向けて奔走する主人公に対する、正体不明の悪意を石礫に代弁させているわけです。朝ドラの主人公に対する伝統的な攻撃手法です。政権に配慮してか、戦時下の時代設定ではないので、”非国民”とか、”国賊”といったビラには包まれていませんでしたが。

その前週には結婚後間のない、主人公の甥が兵役に徴用されています。戦死させて厭戦を煽動するには絶好というか、伝統的な立ち位置なわけです。この部分は史実に基づくものではなく、創作のはずです。制作者側のどういった意図がこの部分を付加したのか...

Wikiによれば朝ドラは
作品は、主人公の半生・生涯を中心に、それをとりまく家族や家庭を描いたホームドラマの体裁がほとんどであり、原則的に主人公は女性(ヒロイン)。
といった特徴があるわけですが、 石礫”と”徴兵”、”厭戦”、”情宣”もキーワードとして追加するべきと存じます。

2016年3月6日日曜日

代弁

前のエントリに続けます。

素朴な疑問です。”保育園落ちた日本死ねブログを利用した安倍総理批判で注目された民主党山尾衆院議員ですが、質疑の報道を見ていて漠とした他人事感が拭えませんでした。

一寸考えてみた所、御自身についての経験が織り込まれていなかったからではないかと。Wikiによれば4歳になるご子息がいらっしゃるようです。御子息の保育園事情はどうだったのか、全く判りません。

上記ブログから窺われるような苦労を実感しての件の質疑だったのか、率直に言えば”あんた自身はどうだったんだ”ということです。その辺りが当事者意識の欠如をなんとなく感じさせた一因のような気がします。ブーメランを投げたのか?

”母親”という共通の属性を持つ議員が幼児保育について代弁し、共感を得ようという意図かもしれませんが、なんだかなぁと...

自分を棚上げしなくて済む、独身の男性議員が質疑に立った方がブーメランと化す危険が低かったんじゃないかと思った次第です。勿論、フリでも演技でも幼児保育に向き合う真摯な姿勢が欠かせないのは言うまでもありませんが。

2016年3月5日土曜日

狩場

予想通りでした。

次はこれかと思っていた所、
”電力会社を変えませんか”
やはり架かってきました。勧誘電話が...

当面、テレアポ会社が群がる蜜となるわけです。通信の自由化に伴う、マイライン、ネット接続、光回線、ケータイに続く新たな商材の登場です。これまでの勧誘で培ってきたノウハウを活用して草刈り場と化していくとみられます。

キーワードは”おトク”、”ポイント”辺りでしょうか。で、話の最後に二年縛り”が注意を引かないように出てくるのかなぁと。

そう思っていましたら、電気温水器やら太陽光発電システムやらいろいろ便乗しているようです。
電力自由化、苦情・相談が急増=年明けから325件―国民生活センター
電力の小売全面自由化まで、50日を切りました!-正確な情報を収集し、契約内容をよく理解しましょう!便乗した勧誘も気をつけましょう-

2015年12月12日土曜日

下駄

先日、所用で栄に赴いた際、デパ地下をうろついてみました。何年ぶりでしょうか。

で、全く食指が動きませんでした。心躍らせる上質な食料品が見当たらないのです。美味そうに見せる陳列と能書き、”如何ですか。美味しいですよ。売り場店員の掛け声が一層、実質にそぐわない価値の底上げを感じさせます。

そういった言葉に乗せられ購入してみると、まぁ大抵は”やっぱり、こんなもんか。”という結果に落ち着きます。期待感が持ち上げられた分だけ評価のハードルは高まり、より強い満足感を求めてしまいますから。山高ければ谷深しで、当然その反動として不要な失望感を抱くことになるわけです。

一応、名古屋が本店となるデパートの食品売り場に、心惹かれる何かを求めて訪れたのですが...

なんだか以前より劣化しているように思えてなりません。

同様な印象を抱くことは特段、珍しくもなくありふれています。食品、飲食店、音楽、映画、文学といった、評価に主観的要素を排除できない、換言すれば権威主義が跋扈しがちな分野で容易に見当たります。

以前にも記しましたが、オムライスもその一例です。オムライスが売りの洋食店、若しくは専門店を訪れると、
”特製”、”自家製”、”拘りの”、”当店オリジナル”
といった語が目に入ります。 トマトソースやドミグラスソースの形容です。否定するつもりはありませんが、そういった修飾語は期待感を過剰に高めてしまいます。概してその後酸味が強かったり濃厚過ぎたりで、”う〜ん...”となるわけです。

やはりですね。
――ごちそうさま。ケチャップが妙に旨かったんだけど...――
――ありがとうございます。自家製なんです。――
こちらの方が本来なんじゃないかと。最初に自家製だの、オリジナルだのと自ら進んで梯子を登ってどうするんでしょうか。期待先行となって当然の話で、それで美味くなければ目も当てられません。却って価値を貶めることになってしまいかねません。

このエントリ中のケチャップの赤を見て、そんな思いが脳裏を過ぎりました。

巷間、販促を目的としたそういった惹句は溢れかえっています。典型は”至高”、”究極”、”絶品”、”秘伝”でしょうか。ある意味、優良誤認ではないかと思わせる如く虚飾のインフレが進んでいます。実質との乖離は大きくなる一方で、即ち、過剰な期待感が裏切られた時の失望も留まることなく増大していくわけです。リピーターは生まれず、狩猟のように次から次へと新規客を誘引せざるを得ないのではないでしょうか。

”インフレ期待の喚起”などといった金融政策で、物価上昇への誘導を目論むものの、未だ達成できていない日銀と通底したものを感じています。

言葉や画像による煽動、虚飾で見掛けの価値を無理やり引き上げることに違和感や不信感を抱いてしまいます。過剰な期待が先行し、それが裏切られて却って低評価になってしまうんじゃないか、そういった話です。

2015年11月3日火曜日

販促

巷間、横浜傾きマンション問題の話題で持ちきりです。収束の兆しは一向に見られません。

一方、ネット上では密かにステマの疑念が払拭できないノンクレジット(広告主の名前を表記しないこと)広告の話題が、こちらも依然燻り続けています。下記は代表例です。
ベクトル社が名指しステマ記事にホームラン級にアレな反論をして広告業界大困惑の巻
思ったところを少し。

広告は物品、サービスといった商品の販売側が売上を上げるための手段です。ところが、売り手側からの商品の情報提供はしばしば誇大広告になりがちで、商品の価値が底上げされています。様々な媒体に掲載された広告による商品選択、消費活動を通じて、消費者側も売り手側から発信される広告の欺瞞性をなんとなく感じ取っているわけです。

そこで、ウェブ上だけでなくテレビ、ラジオ、雑誌といったあらゆる媒体で、消費者側からの声、いわゆる口コミや、専門家と称されるライターのレビュー、比較記事が重用され、広告としての役割を担わされるようになってきています。

使用者としての評価は購入者の側に立った有用な情報、専門家としての評価は客観的な情報であり、商品選択、購入の判断に大きな影響を与えます。

で、こういった情報の発信者と販売側に何らかの金銭の授受があった場合には、情報の真偽、信頼性如何に関わらず、当該情報にはその旨表示せよ、という話です。

この時、風味、面白さ、洗練、格好といった主観に基づく評価はともかく、計測可能な仕様情報の提供に対してすらそういった扱いが要求されるのだろうか、との思いが去来しました。例えば、長さ、重さ、速さ、時間、温度といった客観評価には恣意性は込められないんじゃないかと...

例えば、上記エントリ中でリンクされている、
【ステマ症候群:拡大版】iPhone商戦の陰で広がるステマ記事発注の舞台裏
では、
記事の書き手は、東京メトロ銀座線の各駅で、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクという通信3社それぞれのiPhone6sの通信速度をアプリで計測。その結果、銀座線の19駅のうち13駅においてau(KDDI)が勝利したと調査結果を掲載している。
とあるのですが、誰が測定しても同じ値となる測定法を採用しているならば問題ないのでは、と思った次第です。広告主であるKDDIでも競合となるドコモ、ソフトバンクのいずれが測定しても測定値の優劣に揺るぎがない、そういった客観的手法で得られた、事実を用いた記事ならばノンクレジットでも容認できるのではないか、ということです。

とは言うものの、理想に過ぎない話でしょうか。昨今の様々な企業不正を鑑みれば、測定値ですらその信憑性に疑問符を付けざるを得ないのが実状です。測定値の改竄、流用(旭化成建材杭打ち問題)、不正ソフトによる規制クリア(VW排ガス不正)などが明らかになっていますから。

不正とは断定されずとも、評価に際し、”当社比”従来比”同クラス内での比較当社測定による、等の枕詞は頻繁に目にします。さすがに、数値で表示される評価で”個人の感想です”といった注釈を見たことはありませんが...

いずれにせよ、企業倫理の問題に行き着く話です。ステマだとか誤認といった欺瞞的な広告以前の不正事件が頻発している現状です。違法ではないノンクレジット広告、ステマを自粛すべきと認識する、そういった誠実さを企業にどこまで期待できるのか、疑念を拭えないでいます。 

2015年10月25日日曜日

ビラ

公職選挙法の寄附行為にあたるのでしょうか。
島尻安伊子
ポスターとしての価値がマイナスなのでカレンダーの価値で相殺しているとみれば、問題ないのかもしれません。まだマイナスかも...

かつて、団扇としても使えるかもしれない、討議資料、ビラの配布騒動を思い起こしました。選挙管理委員会の証紙付きであろうとなかろうとどうでもいいんですが。
蓮舫さんが「うちわ問題」で勝利したワケ
この時もですね、
”討議資料としての価値がマイナスなので、団扇で損失の補填を図りましたが埋め切れませんでした。”
と応じるのが適正ではなかったかと思った次第です。

ちなみに

看過

連日、杭打ちデータ改竄による横浜市のマンション傾斜問題に関する報道が巷を賑わせています。
横浜市のマンション傾斜問題
こっちの問題を覆い隠さんばかりです。
「盟主」巨人から賭博選手がボロボロ出てくる 「平成の黒い霧になるのか」疑心暗鬼のプロ野球界
絶好のタイミングです。そういった力が働いているのでしょうか。

それはさておき、件のマンション傾斜問題で、どうにも腑に落ちない疑問が思い浮かびました。問題の発端は、マンションの棟と棟を繋ぐ渡り廊下の手すりに2cmの段差が床には1.5cmのズレが生じていたことのようです。で、市建築局が確認、三井不動産レジデンシャルが52本の杭を調べた結果、虚偽データを使用した施工不良が明らかになったと。

このズレが生じた部分は、電車に例えるならば連結部に相当するのでは、と思ったわけです。マンション各棟に生まれる応力や歪を吸収するといった役割は全くなかったのでしょうか。ズレが生じたことを肯定するという意味ではなく、杭の上に建築された棟の、居住部分の傾きとの関係はどうなんだろう、ということです。

杭の施工不良で棟が傾斜してしまったのであれば、居住部分の床も相応して水平がずれてしまっているような気がします。ただ、住民の方々の居住部分や棟内の共用部分についてのズレや傾きは報道されていないような...

そういった意味で、件の手すりの段差や床のズレは、果たして、杭の施工不良によってのみ生じたのだろうか、よく判りません。杭の施工不良と渡り廊下の手すりの段差、床のズレの間の関係について説明が不十分なような気がします。

又、該杭の施工不良は杭打ち作業の現場管理人?責任者のずさんな施工、施工データの改竄によるとされています。杭の長さが足りなかったと...支持層に到達しなくとも打ち込めるだけ打ち込んで届いたことにしようと...

 設計に基づいて資材を用意していたなら、通常資材は余らないのでしょうか。その時点で異常に気づけたんじゃないかと。杭の太さ、長さといった規格、打ち込む本数、位置、深さが設計され、設計に基づいて用意された資材を指示通りに施工した...

元々の設計ミス、支持層までの距離の見積り不足の可能性も否めない...素人の勘ぐりです。用意された資材で指示通りに施工した、それを杭の打ち込み不足と非難されても...確かに支持層に到達したことの確認作業を怠った責任はあります。

しかしながら、この確認作業で打ち込みが不十分、且つ資材も不足といった事態に直面した時、
どういう対応をすべきか
それは現場の判断のみで十分か
責任の所在は何処に求めるか
そういった危機管理というか、トラブルシューティングの仕組の不備こそが問題の根幹であると考えます。元請けや設計会社に施工不良の原因があっても、下請けの施工会社がその責任を負わされるのか、といった話です。
建て替えとなった場合は、販売会社の三井不動産レジデンシャルや施工会社の三井住友建設と費用負担を協議する
旭化成側の発言ですが、この辺りに”一方的に責任を求められても...”と元請けや販売会社の押し付け体質に対する反発が滲んでいます。と記していた処、
マンション傾斜の発端は三井住友建設のミス…短いくい発注
といった記事が...本問題は発覚した一例ですが、氷山の一角のように思えてなりません。

2015年10月19日月曜日

学習

漫然と民放、特に民放のBS放送を眺めれば、放送内容はテレビ通販ばかりです。特段珍しくもなく、健康食品絡みの通販がかなりの割合を占めていることにもさほど驚きはしていません。いずれ記すかもしれません。

ただ、先日思ったのですが、やたら流れているような気がします。フライパンの通販が...

よくわからないのですが、世の中、それほどまでにフライパンが欲しがられているのでしょうか?不思議でなりません。

大方のセールスポイントが焦げ付かない、油不要とか、手入れの容易さだったりします。そういった機能を付与するコーティングの耐久性もセールスポイントでしょうか。

で、アマゾンや楽天といった通販サイトのレビューを見ると怨嗟の山が築かれているわけです。
”購入後数ヶ月の使用でこびりつくようになった”
これが代表的なコメントです。であれば、1年2年と経過していくに従い、こびりつくフライパンが幾何級数的に増殖していくのでしょう。重量比にすれば極僅かな、おそらく表面数〜数十μmのコーティング層の劣化、損傷がフライパンとしての機能を死に至らしめ、金属屑、ガラクタの山を築いていくと。

となれば、次のこびりつかないフライパンを探す必要に迫られます。”そういうもんだ”と、消耗品として購入→使用→廃棄の逃れられないサイクルに囚われてしまっていくということです。
料理道具のプロが語る!メーカーが絶対に教えないフライパンの売り文句の真実②
フッ素樹脂加工したフライパンのテスト
フライパンの磨耗テスト
鉄のフライパンを使い続けていて買い換えたことがない側からすれば、一般に、どの程度の耐久期間があれば不満が出ないのか、興味深いところではあります。

併せて、何故そこまで表面加工されたフライパンに拘るのかも不思議でならないわけですが...

2015年10月4日日曜日

欧州(余談)

ところで、今回のVW排ガス不正で例示される、企業の不正が発覚すると、当該企業には当局から罰金や制裁金が課せられたり、株主や顧客への損害賠償が求められたりします。

先日も、米ゼネラル・モーターズ(GM)がエンジン点火スイッチの欠陥を認識しながら10年以上も放置していた問題で、米司法省に制裁金を、集団訴訟の原告には和解金を支払うことが決定したようです。
米GM、欠陥放置問題1770億円で和解 司法省などと合意
 国内の場合、自動車を含めた、性能や機能について規制当局から認定を取得する製品では、東洋ゴム、ノバルティスファーマ、武田薬品あたりが昨今の改竄、捏造の事例でしょうか。

又、食品、衣料品の品質、産地、期限表示に関わる不正の事例は枚挙に暇がありません。
食品偽装問題
だまされないで!「カシミヤ偽装大国=中国」歯止めかからぬ不当表示…
不正競争防止法景品表示法に抵触する事案ですが、後を絶ちません。

で、不当表示、優良誤認、不当廉売といった、公正な競争を阻害する事案が発覚した場合、当該事業者は行政処分を受け、消費者には賠償を迫られるわけです。

更に最近では、広告である旨不記載の広告、事業者、或いは事業者から委託された宣伝業者が顧客を装って体験レポートを口コミサイトに投稿する、いわゆるステマに対する批判が強くなっています。
「ヤフージャパン一人勝ち」と「報道記事の買い叩き」がステマ横行の原因
なんでみんなテレビのステマは話題にしないのかなというと・・
勿論、民放の情報番組もステマの範疇ど真ん中ですが、厳密に言えばこういったステマも事業者間の公正な競争を阻害しているとみて間違いないわけです。

で、ある事業者の不正によって競合の他事業者が不利益を被った場合、その逸失利益に対する責任も当該不正事業者が負うべきではないだろうか、と思った次第です。

実際の処どうなんでしょうか。飲食でも、物販でも有名店や大規模チェーン店によって近隣の同業店が営業不振に陥り、撤退、廃業、倒産に至ったというのはよくある話です。B to Cの事業に限らず、B to Bの分野でも好業績のX社が不振になったY社を吸収合併する、といのも珍しい話ではありません。

不正を駆動力としてこういった結果が生じた場合、同業は明らかに不利益を被っているわけですが、賠償がなされたという話は寡聞にして知りません。そういった事例はあるのでしょうか。

上記例の後者で、X社によるY社の吸収合併後、不正が発覚、旧Y社の社員が希望退職迫られる...想像に難くない理不尽な話です。目も当てられないというのが率直な印象です。

該不利益には、不正発覚前の業績不振のみならず、発覚後の当該業種に対する信用の失墜や監督官庁による規制強化に伴う間接費の増大も含まれます。

この辺りは門外漢なので全くわかりません。社会の共通認識としてどう捉えるのが適切なんでしょうか。

少なくとも、不正による利益、不正が発覚した場合の賠償(不利益)、不正が発覚する確率、そういった要素を用いて費用便益を分析した時、
合理的選択として不正を働く
そういった条件が成立してしまう限り、不正の根絶は難題です。

”(永久に、ではないとしても)やった者勝ち”=”正直者がバカを見る”、そういった条件の是正に繋がる、公正な競争環境の整備が必要と考えます。

残念ながら、提言できるような材料は持ち合わせていません。”カルテル・入札談合に対する課徴金減免制度”が一つの示唆になるだろうか、といった程度です。
カルテル・入札談合に対する課徴金減免制度の新設の効果と課題
独禁法の課徴金減免制度、自主申告が半減 13年度50件
相互に監視、牽制、密告しないと不正を防止できないというわけで、自律性は全く期待されていないということです。何だか情けない話ですが、市場主義経済社会を象徴する本質のようで致し方ないのかもしれません。


2015年9月23日水曜日

配慮

――政権への側面支援なんだろうか――
NHKの次期朝ドラ”あさがきた”の紹介を眺めていて脳裏を過ぎりました。

番宣、予告、総集編についてはいずれ記しますが、NHKの次期朝ドラは幕末が舞台のようです。モデルとなった広岡浅子氏は1919年(大正8年)にお亡くなりになっています。

”マッサン”や”花子とアン”に代表されるこれまでの数シリーズのように昭和初期(戦前)の時代が該ドラマには含まれていません。

つまり、朝から耳にしたいとはとても思えない、”鬼畜米英”、”非国民”、”国賊”といった怒声は流れないわけです。

それはそれで、先般安保法制を成立させた政権への配慮ではないかと捉えてしまうのは下衆の勘ぐりでしょうか。


2015年7月4日土曜日

相殺

自宅から徒歩二、三分の所です。幹線道路の信号付近で愛知県警守山署が頻繁に取締りを実施しています。

古くからの街道でそれ程速度を出せる道路ではありません。シートベルトの未装着や運転中の携帯電話の使用が取締りの対象のようで、結構な人数の運転者が違反切符を切られている模様です。

その付近一帯には、何とも言えない、やってしまった感が立ち込めています。自宅まで押し寄せてきそうです。一回の取締時間はそれほど長時間ではありませんが、多い時には週に二度ほど実施されています。絶好の漁場なんでしょうか。

で、果たして警察には業務の生産性という概念があるのだろうかと、疑問が生じました。生産性の高い警察業務と、例えば上記取締において、少数、短時間で多くの違反切符を交付することが符合しないのは明白であり、疑問の余地はありません。

それはノルマの遂行だったり、点数稼ぎに過ぎません。シートベルトの未装着は事故が起こってから重大な被害へと繋がり得る違反ですが自己責任の部分もかなりあるでしょう。運転中の携帯電話の使用も重大事故を引き起こさない、とするつもりはありません。

しかしながら、飲酒、或いは酒気帯び運転、速度超過、一時停止違反、信号無視となると話は違います。自損事故に留まらず、重大な対人、対物事故の原因となる恐れは、シートベルト未装着や携帯電話使用の比ではないはずです。

そういった、より危険性の高い違反を、例え件数が少なくとも、取り締まることこそが生産性の高い交通業務ではないかと思うわけです。

ヒト、モノ、時間を使ってシートベルト未装着や携帯電話使用の切符を交付してどうする?他に取り締るべき違反があるんじゃないだろうか、ということです。

信号無視や一時停止違反には始終遭遇しています。2014年時点、愛知県は交通事故死者数12年連続ワースト1位のようですが、その主原因がシートベルト未装着や携帯電話使用にあるとは考えられません。

まぁ、飲酒、或いは酒気帯び運転を検問で取り締るより、シートベルト未装着等で違反切符を交付する方が着実に数字を稼げる、ということかもしれません。大体、飲酒、或いは酒気帯び運転の検問は夜間実施することになります。帰宅が遅くなってしまいますしね。

では、一時停止違反はどうでしょうか。見通しの良くない交差点で車対車の事故のみならず、人身事故も頻発しています。まぁ、速度を落としてはいますから重大事故に至ることは少ないかもしれませんが...

しばしば通りがかる交差点で、一時停止違反の取締を見かけたことがあります。二名の警官が乗車したパトカーが、交差点で一時停止違反を目立たない位置から監視していました。

どの程度の時間監視を続ける のかは存じませんが、一箇所の交差点当たりパトカー一台に警官二名...生産性が低いなぁ、と思った次第です。

かつてに較べ圧倒的低コストで長時間、高精細の画像記録が可能な今日、少人数による同時多点取締ができないものなんでしょうか。

例えば、スーパー、コンビニ、銀行といった不特定多数の人間が出入りする場所では、防犯カメラによる来客の行動記録はもはや当たり前に行われています。賛否があろうことは承知していますが、トラブルによる被害の最小化が目的であり、やむを得ない対応かと受け止めています。

そういった環境を鑑みれば、いわゆる事故多発地点での事故を抑止する方策として、ネットワークカメラによるリモート監視がもう少し活用されてもいいのでは、と思っています。

複数地点を同時に一人で監視可能な上、記録も行われるわけですから、取締りの生産性が著しく向上するんじゃないかと。

では、一時停止違反に起因する事故の効率的な低減に有用とみられる、交差点でのリモート監視がなぜ進まないのでしょうそれはやはり監視者に対する根強い不信感に依拠する部分が大きいためではないかと、憶測しているところです。

タイムリーな話題は、俳優 萩原流行氏のバイク事故でしょうか。真偽は存じませんが...
ようやく非を認める…萩原流行さん死亡事故は全容解明に向かうことができるのか?
こんなおまけつきです。
実際、『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ系)は、1日の会見を番組冒頭から「注目の会見が始まります」「生中継でお届けします」と煽りながら、内容が警察批判であることがわかると、短時間で打ち切り。番組の最後の方で簡単に内容をまとめるだけに終わった。
他には、
富山事件
 志布志事件
 足利事件
 袴田事件
大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件
などが記憶に新しい事件かと。

守山署に限れば、
証拠品投棄容疑で警部補を書類送検
巡査部長が証拠品など自宅に持ち帰る
調書改ざん、破棄容疑
副署長や地域課長が酒気帯び運転で処分
といった事案が検索されるわけです。これじゃぁなぁ...リモート監視以前に上記を何とかしたほうが生産的かもしれません。

先のエントリのコメントで、
改憲はすべきだが、”あんな連中にはしてほしくないなぁ”、というのが素直な印象です。
と記しているのですが、似たものを感じています。

ところで、テレビの番組改編期に各放送局で一度は”警察24時”のような特番が放送されます。警官個々人に焦点を当て職務の崇高さ、正義感、真摯さを伝えようという意図なんでしょう。

当然ですが、直近で不祥事を起こした部署は取り上げられないわけです。で、なんとなくなんですが、警察の不祥事発覚が多ければ多いほど該特番の本数が増えているように感じています。広報の一部として、相殺というか、不祥事以上に特番を流すことで覆う意図でもあるんでしょうか。気のせいかもしれません。

又、冒頭の取締りも署内の不祥事が発覚後、比較的直ぐに実施されているような印象を持っています。市民の批判を封じ込める、或いは、上記番組のケースと同様な意図があるとするならば、強い反発を禁じ得ません。専横です。勘ぐり過ぎとは思いますが...


下の画像は街中を走行中のワンカットです。数台の自転車が車道を逆走しています。小学生でしょう。危ねえなぁ、近寄りたくねえなぁ、と思うわけです。



冒頭の取締り時も、両耳にイヤフォンを装着してたり、スマホを弄りながら歩道を逆走する自転車を目撃しています。歩道の逆走、傘さし走行は年少者、高齢者問わず見かけますが、自転車は注意されることなく取締り現場をスルーして行きました。
ケースバイケースとなる裁量部分も含め、自転車の運転者に誰がルールを教えるのか?どうやって遵守させるのか?
自動車運転中の携帯電話の使用やシートベルト未装着を取り締るより、こっちの方が喫緊の為すべき責務じゃないでしょうか。

2015年6月23日火曜日

客筋

少し前にウェブ上のネイティブ広告が色々と物議を醸しました。
男・徳力基彦、ネイティブ広告の時代の勘違い野郎共に物申す
なぜ日本ではステマやノンクレジット問題がなかなか根絶されないのか
ウェブメディア中にあたかも記事の如く広告を忍ばせ、[PR]、(広告特集)、<ad>といった広告であることを示すクレジットが付記されているとかいないとか、又、広告会社が該クレジット無しの広告について営業活動をしているとか、していないとか...

確かに、広告である旨を明記したほうが好ましいわけですが、目立たない位置に小さく”広告”、”プロモーションと”表示されていてもなぁ、と思った次第です。こちらのリンクに例示されています。
ネイティブ広告を「ステマじゃない」と擁護したり「正しく理解」させようとしたり「定義」したりする前にすべきことがある
クレジットが明確に認識できてこそ広告と捉えることができるのではないでしょうか。見落とし易い表示では後で広告と気付いた時、かえって騙された感が増幅されるのではないかと思う一方、メディア側からは、
”表示がある、見落とすほうが悪い”
と主張できる免罪符になってしまうことを懸念しています。それが狙いかもしれませんが。

こういった広告手法の話題を目にすると、やはりモノが溢れている、供給過多を実感します。必需品は仕様と価格が購入を決定するでしょうから、広告には左右され難いでしょうし、高額品は多面的に調べてからの購入が通常かと思います。

とすれば、それほどの高額品でもなく、緊急性、必要性がそれほど高くもないモノの衝動買いを誘う、これがネイティブ広告の取り扱い対象かと。で、このネイティブ広告が問題になるという状況は、モノ余りの反映ではないか、と捉えています。

しかしながら、一方で、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌といった既存メディアよりは誠実さを感じると言ったら言い過ぎでしょうか。まぁ、一度地に落ちた評判を取り戻すには相当の労力が必要ですし、早期に好ましくない兆候を摘んでおかないと暴走を止められない、ということかもしれません。
新書の棚に並んでいるから読み物だと思って手に取ったらただのカタログだった、とかって読者ががっかりする行為でしか無いわけです。
上記リンク内にあった文言です。既存メディアはかなりの部分で既にこういった状態に成り下がっているんじゃないかと。

"dancyu"という料理や食材をテーマにした雑誌があります。創刊後まもなく購読を続けてきましたが、十年以上前に止めました。

特段、ネットで代替するようになったという理由ではありません。

その当時で、”盛り過ぎ、下駄履かせ過ぎのカタログ”という印象を抱くようになったことに依るものです。読者の利益になる情報を提供しているのか、という点で疑問符がついたということです。

飲食店の情報掲載は否定しませんが、その記事内容が”盛り過ぎ”で、”掲載料取ってんのか?”と思いました。著名人”○○さんのお取り寄せ”といった特集では通販の宣伝広告が満載です。

特に、盆暮れのギフトシーズンには通常より増ページでギフト通販のカタログかと見紛うばかりでした。その辺りはまぁ、甘受していましたが...

一番のきっかけはですね、この雑誌は誌面の一部に料理の作り方を掲載していたわけです。それもこの雑誌の売りの一つだったかと。ある時、佃煮、甘露煮、一夜干し、西京漬けを作ろうと思い立ち、相当量のバックナンバーから参考となる情報を探そうとしました。ええ、十年分以上です。

見つかったのは....該商品の広告ばかりでした。
”大事な広告主の商品を宣伝して、消費を煽る立場なのに商品の作り方を公開してどうする、広告主に対する背任じゃないか。”
ということなんでしょう。爾来、該雑誌に対する購読意欲も失せたということです。

加えて、記事に対する権威付けも鼻につくように感じ出しました。著名人を起用して、この味が、良さが、本物が判る読者こそさすがと...判らない読者は感性が...といった雰囲気が記事から伝わってきました。

前のエントリで引用した瀬戸内氏の文言にも通底する、選民意識というか優越感を刺激するようなやり口も如何なものだろうか、ということです。

新聞の広告欄に掲載されている映画や書籍の宣伝からも同様の意図が窺えることもあり、そういった場合、いい印象を抱けません。

ここ最近、ラジオについてはよくわかりませんが、テレビの視聴率が冴えない、新聞や雑誌の売上不振といった話を見聞します。その中で既存メディアの凋落は、ネットからの情報への置き換わりが主因である、という見方があります。

ただそれだけではなく、コンテンツの質そのものの劣化、即ち、あからさまなネイティブ広告の氾濫、過剰な演出、実質の伴わない下駄の履かせ過ぎに視聴者や読者が辟易しているのではないかと...

そういったコンテンツの劣化に加え、該コンテンツを告知する宣伝がこれまた盛り過ぎのわけです。

コンテンツの評価はインフレ状態、不振だから数で補う、質は更に低下しハズレが増加、で、評価に値するコンテンツは埋没、こういった悪循環に陥っているのではと推察しています。

ここから抜け出すのもなかなか難しいなぁと。展望はあるのでしょうか。

本エントリに関連して、小説、文芸作品、権利についていずれ思う処を記してみるつもりです。