選挙をマーケティング視点で考えてみる「政治はクラウドファンディングじゃねえんだよ」といったエントリがアップされ、全くもってご尤もと首肯しました。
その中で、20〜30代の有権者が魅力を感じない政策を掲げても該年代層の投票率は上がる道理がない、というのも趣旨の一つかと受け止めました。
ただその一方で、国は投票率の低さに真摯に向きあっているのだろうか、首を傾げざるを得ません。
今回の衆院選では例えば、
投票所に爆竹配備…クマ対策です 岐阜・高山市
広島・庄原市では雪の中 投票所へ
といった報道がありました。物理的な話ではありますが、投票に向かう気持ちを削いでいるわけです。
で、実はこういった有形無形の投票に対する障害が放置されているのではないか、とも憶測しています。投票を促す努力が、運用に十分織り込まれていないということです。その証左の一つに、ネット投票が未だ実現されていないことが挙げられます。問題があることは承知していますが、実現に向けて進む気配すら感じられません。
在宅で、或いはモバイルからの投票が可能になることで、投票のハードルを劇的に下げることは容易に想像できます。投票率、コストを含めた投票制度の効率的運用も十分期待できるわけです。
勿論、付随する特有の不正が起こるかもしれないことは否定しません。起こり得る問題に対する対応は必須です。ただ、現行制度下でも、ワインやら団扇やら、挙句にはドリル破壊の疑惑が最近でも湧き出ており、現状が一方的に公正、清廉と断じるには無理があります。
ではなぜネット投票の実現を含め、投票に関する制度的な改正が進まないのでしょうか。選挙制度は民主主義を具現化する根幹の手段であり、本来、投票率の向上、民意の忠実な反映といった、その最適化には多大なる資源が投入されてしかるべきです。
前のエントリとも関連しますが、やはり、自律性と矜持の欠如かと。
与野党含めて、
”制度を設計、運用する側自らは、己に不利益となりかねない選択をするはずがない。たとえ、それが公益に資するとしても。”
と見るのが自然なところです。瓢箪から駒で、首相公選制や直接民主主義に繋がりかねませんから。議席、利権、権威の堅守も重要な職務の一つなんでしょう。
違憲判断が下されながらも一票の格差が解消されない、議員定数の削減が進まないのと根源は同じと考えれば、さもありなんと頷けるわけです。
正に
――無党派層は寝ていてくれればいい――は正直というか的確な発言だなぁ、と改めて思うわけです。現行の小選挙区比例代表制と低投票率、高齢者優遇政策を組み合わせて、与党の座を維持すると共に、負担や責任は次世代に先送りしていく、現行民主主義の抗えない本質でしょうか。
もう少し、公益に目を向けた効率的な制度設計、民主主義の手続き最適化に焦点が当てられて然るべきでは、と考えます。誰が、という部分が難題ですが。
どうでもいい追記です。
AKB総選挙、結果も含めてそれこそどうでもいいわけですが、その圧倒的に高い投票率と投票者の意思と結果の相関には注視すべき部分があるのかもしれません。ないですかね。当然と言えば当然なんですが...購入しているわけですから。
0 件のコメント:
コメントを投稿