2019年7月1日月曜日

老後

働き方改革のせいか何か分かりませんけど、NHKでは、地上波、BSに関わらず以前にも増して、やたらと再放送が繰り返されています。夜通し朝ドラ”おしん”が垂れ流されたり...

本編だけでなく、本編を編集した特別編、総集編の再放送も...一日の全番組中、予算を投じて新規に制作された番組は一体どれだけあるのか、あまりの再放送の多さに辟易しています。ニュースやクロ現、BSスペシャル、BS世界のドキュメンタリー等の報道系番組も例外ではありません

そんな中、朝ドラシリーズの再放送には目に余るしつこさを感じています。先日はひよっこ特別編の再放送でした。時代としては1964年に開催された東京オリンピック前後のドラマです。

現在放送中のなつぞらが日本アニメの創成期にアニメーターを目指すヒロインの物語ですから、話の濃い時代は1950〜1970年辺りでしょうか。

まぁ、両者共にザクッと言えば、高度経済成長の時期、”今日より豊かな明日”が信じられ、又、実際そうであった頃のドラマなわけです。

で、前のエントリを記す際、少し調べたのですが、国民皆年金は1961年あたりに制度化されました。とすると上記ドラマのヒロインは現在、年金受給世代に該当するでしょうか。当時、国民皆年金が制度化されるにあたって、”今日より豊かな明日”を延長した”豊かな老後”が国から提示されたであろうことは想像するに難くありません。薔薇色の老後を想定して、不安も恐れも、怒りもなく豊かさを求めて年金制度に加入していったのだろうと。何せ、スポンサーは後の世代ですから。

昨今の”二千万円足りない”などといった話など、制度化された際には、その片鱗すら現れていなかったはずです。そういった世代間扶助方式の持つ将来の不確実性を指摘する声が、例えあったとしても抑えられていたのかもしれません。

民主主義の本質の一つである、”未来への負担先送り”が具現化したにすぎないとすれば、それはその通りです。年金制度そのものが設計を失敗した欠陥制度ですから、制度自体を是正しない限り、負担の付け回しが延々と続いていくのは避けられないだろう、とみています。

この問題は、例えば賦課方式から積立方式に年金制度を変更することで解決できるわけですが、一時的に膨大な財源が必要となります。そのための負担を誰が担うのかとなると、仮に国庫から支出するにせよ、結局国民負担に行き着くわけで、拒絶されるのは必定です。積立方式を採用した年金システムを新たに制度設計し、賦課方式から積立方式への移行スキームを構築できる人材もいませんし、決断し旗を振れるだけの度量のある為政者も思い浮かびません。同一の(行政)組織が、ガチガチに固まった旧来の制度を否定し、自発的に新制度へと移行することは極めて困難です。自らが設計した制度の失敗を認めることが出発点になりますから、高い障壁が立ち塞がり移行を阻むであろうことは明かです。

ただ、財源については、最近話題に上がっている現代貨幣理論、これが正しいのであれば充当する財源を用意、というか膨大な財政赤字を恐れることなく年金債務を抱え込めるのかもしれません。
「財政赤字のフリーランチ」はいつまで続けられるか
によれば、
ゼロ金利が続くかぎり政府は借金したほうがいい
長期金利が名目成長率より低い(r<g)状態では、財政赤字の財政的コスト(fiscal cost)は発生しない。
とのこと。その正当性は判りませんけど。政府が旗を振ることなく、つまりこれを認めることなく債務を積み上げている現状を鑑みれば、その延長として年金制度を積立方式に変更することの実現可能性もあるのではないかと。

不作為のまま、手を挙げる誰かが現れないことのほうがより深刻な問題に思われます。

それはさておき、前述のような高度経済成長の時代を背景にした話を見聞していると、件の二千万円問題など当時は全く想定だにしなかった、できなかったのだろうというのは間違いありません。不確実さに対する不安を微塵も感じさせない、”今日より豊かでステキな明日”を手放しで信じる社会が描かれているわけですから。違和感は勿論抱きますけど。

それを能天気で無責任と批判するつもりはありません。四十年後、五十年後に二千万足りなくなる欠陥制度と声を上げても誰も取り合わなかったでしょうし。それでもやはり、当時の社会にその旨が伝わっていたらという思いはありますし、謬りを検証する必要性を強く感じます。

”謬りはなかった”、”選択は適切だった”、”合理的な判断だった”、”議論を尽くした結果である”、”社会全体、みんなの総意である”、”想定することはできなかった”との文言により、過去の意思決定を正当化することこそ避けるべきです。愚を繰り返さないための糧にしないと社会は少しも賢くなりません。同じ轍を辿ることになります。

なんだか、かつて旧日本軍に蔓延していた空気、この空気が年金制度の周辺にも漂っていないでしょうか。異論が封じられ、撤退どころか転進すら認められず、身動き取れないまま破綻へと向かわせる、そんな空気による支配が進んでいるようにも見受けられます。

果たして、この空気を能動的に排除することはできるのか、甚だ疑問です。未だ前の敗戦について公式に検証できていない国家に、”もっと自律を”と求めるのも過大な願いではあります。失敗を失敗と認めるにあたり、それを阻む高い障壁が立ちはだかります。

空気の研究に続く、障壁の考察”を待望している今日この頃です。

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