――”日本で初めて”、”国産初”といった語に違和感を禁じ得ないものがあります。――と以前のエントリで記しました。
ことさら、”国産初のウイスキーを造る”と意気込まれても、素直に共感できないものがあるわけです。”日本で初めて”に囚われ、それが目的になっていないか、単に”日本初”という冠を望む功名心に端を発してはいまいか、といった疑問を払拭できません。
それは確かに賞賛される功績であるのは間違いないところですが...
主人公亀山の妻エリーが懐妊した時、嬉々としてゆりかごを作っていました。もう”日本で初めてゆりかごを作った男”でもいいじゃないか、と思ったわけです。真否は別にして。
日本人に、これまで知られていなかった、ウイスキーという新しい酒の旨さをを体験して欲しい、楽しんでもらいたい、が本来の動機であって然るべきではないでしょうか。
それが、結果として日本初であるならば申し分なしで、素直にその動機を尊び賛辞を送ることができます。
ただ、これまでの話で、同じ時代を過ごした人々の、或いは現代の視聴者の、一体どれだけにウイスキーの美味しさが伝わっているのか、又伝えることに注力したのか、そういった部分が蔑ろにされてきたのでは、と見ています。
で、単に”日本初”に固執しているかに受け止めた次第です。
ピートのクセは現代であっても馴染みのない人もいるわけで、当時果たして伝わっていたのか...諸手を挙げてウイスキーの美味しさを支持している登場人物は、亀山をスコットランドに派遣した住吉酒造の社長ぐらいでしょうか。
自身が試して美味かった、だから皆も美味いと感じて当然、というのも独り善がりだなぁといった印象です。
”美味さが理解できないのは感性が鈍いから”といった優越意識が垣間見えます。現代でもそういった意識は、食についての評論、ブログの形として至る所に転がっています。
――そがいな飲み方はほんまもんのウイスキーの飲み方じゃなあ。ウイスキーを馬鹿にしとる。――竹鶴12年を水割、お湯割り、時には炭酸で割って頂いている私はニッカウヰスキーから叱責されてしまうのでしょうか。
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